小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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中国神話について |
■『史記』に見る古帝王の系譜
ひとつの国の神話を理解するのに、神統譜があると大いに助かる。それによって、数多い神々の関係がわかるからだ。
では、中国神話にギリシア神話や日本神話に見られるような信頼できる神統譜があるかといえば、残念ながらそのようなものは見当たらない。
とはいえ、ヒントがないというのも困りものだ。そこで、ここでは中国神話の仮の神統譜として、『史記』の「三皇本紀」「五帝本紀」に載せられている古帝王の系譜を上げておきたい。
『史記』は前漢の司馬遷がまとめた歴史書で、黄帝から武帝にいたるまでの歴史が記されている。この『史記』を書くにあたり、司馬遷はその最初に「五帝本紀」を置き、中国の古代の聖王である五帝の系譜をまとめている。五帝とは、黄帝、顓頊、帝嚳、堯、舜の五人で、これらの優れた帝王が順に現れて、中国を支配したというのである。なかでも優れているとされているのは最初におかれている黄帝で、すべての帝王の頂点に立っているといえる。
ところで、「五帝本紀」を読んですぐに気づくことは、黄帝が中国で最初の帝王とされてはいるが、それ以前にも中国を支配する者がいたということだ。「五帝本紀」によれば、黄帝は神農(炎帝)の時代が衰えたときに登場し、炎帝に代わって中国の帝王になったのである。とすれば、中国最初の帝王としては炎帝を取り上げるべきではないかと思われるが、なぜそうではないのだろう。それは、司馬遷が『史記』によってあくまでも人間の歴史を書こうとしたからだといえる。つまり、司馬遷にとっては、炎帝から以前は伝説的存在で、黄帝以降は人間だと考えられたのである。現在では、これら五帝はみな中国古代の神々だったことが認められているが、司馬遷にとってはそうではなかったのである。
そこで、後になって、『史記』を補う形であらたな記述が付け加えられた。唐の時代に司馬貞が書いた「三皇本紀」がそれで、現在の『史記』では、「五帝本紀」の前に「三皇本紀」が置かれるという形になっている。
この「三皇本紀」で語られているのは、黄帝以前に中国を支配したとされる神話的帝王たちで、三皇というのは伏羲、女媧、神農の三人のことである。ただし、「三皇本紀」でも、伏羲の前に燧人という神がいたことになっているので、伏羲が最初の神というわけではない。その偉大さという点で、最初に置かれるべき神ということだろう。
こうして、とにかく帝王ともいうべき偉大な神々の系譜が存在することになったので、これを中国神話の仮の神統譜としておくことにしよう。とはいえ、これはあくまでも仮の神統譜であって、真の神統譜と呼ぶには問題が多い。そして、この問題は、中国神話に関して一般的に指摘されている問題と重なっていると思える。
■勢力争いによって作り変えられる神話
では、ここで紹介した仮の神統譜にはどんな問題があるのだろう。
まず初めに指摘しなければならないのは、それが前漢という比較的新しい時代に作られたということだ。中国にはそれよりもはるか昔に、夏、殷、周という王朝が登場し、順に交代したといわれている。これら王朝は中国全土を支配するような統一国家ではなく、どれも小さな国々の集合体で、夏、殷、周はその頂点に立った国だという。が、いずれも高度の文化を持った国で、独自の神話があった。夏については実在が確認されていないが、実在が確認されている殷でも、紀元前17~前11世紀ころの国である。また、夏、殷、周だけが中国に存在した勢力ではない。現在でも、中国には数多くの少数民族がいるが、これら少数民族は古代には現在よりもはるかに数が多く、苗族や羌族のように、中央の勢力に多大な影響を与える民族もあったという。当然のことだが、これらの民族にも独自の神話があった。このように古くから様々な神話が存在していたのを、後の時代にひとつの神統譜のもとにまとめたことで、大きな問題が生じないはずがないといっていいだろう。
そもそも、黄帝とはどのような神なのだろう。今から振り返れば、黄帝は中国で最もポピュラーな最高神といってよい。中国神話の中で天帝といった場合、そのほとんどが黄帝を指すのでもそれはわかる。だが、実際には黄帝はそれほど古い神ではないらしい。黄帝という言葉が文献に現れるのは、周も終わりに近い戦国時代だという。黄帝は神仙思想とも結びつく神だが、この時代には神仙思想の流行もあった。また、五行思想では黄を中央の色としている。こうしたことがあいまって、戦国中期から黄帝信仰が広まり、ついに中央の天帝になったのだといわれる。
こうして、後の時代になって新しい最高神が登場すれば、その結果として割を食う神が出てくるのは当然だ。その代表に舜がいる。帝嚳、俊という神ももとは舜と同じ神だといわれるが、『中国の神話』(白川静著)によれば、この神は本来は殷の最高神だった。だが、殷が周に滅ぼされた結果、舜の神話は挫折し、結果的に黄帝よりも下位の神として扱われるようになったのだという。白川氏はもっと極端な例として、洪水神・共工のことも取り上げている。共工は羌族の最高神で、後の黄帝に匹敵する権威があったという。だが、苗族や夏系の諸族との戦いに敗れた結果、苗族の女媧神話や夏系の禹の神話の中で、完全な悪神とされてしまったのである。
中国は広大でその歴史はあまりに古い。そのために、こうしたことが頻繁に起こったといわれる。中国神話の本来の姿を突き止めることも、それだけ困難になっているといえるわけだ。
こんなわけで、中国神話を読む場合、そこで語られている神が本来はどの文化に属する神だったのかを知ることがかなり重要になるといっていい。そこで、一応の目安として、神々とそれを信仰していた文化圏との関係を一覧表にしておこう。取り上げている神の数が少なく、不完全といわれかねないが、何かの参考にはなるだろう。
■神話の歴史化という問題
ところで、『史記』「五帝本紀」を見ることで、新しい権力によって古い神話が作りかえられるということのほかに、もう一つの問題点も見えてくる。それは、神話を歴史として語ることによって、いかにも神話らしい荒唐無稽な伝説が排除されてしまうということだ。司馬遷が黄帝以降を人間の帝王と考え、神農以前の神を伝説として排除してしまったのを見てもそれがわかる。
しかも、中国では神話を歴史として語るという傾向が司馬遷よりもはるか以前から存在していたという。こうした傾向の始まりは、どうやら孔子にあるといっていいようだ。「怪・力・乱・神については語ったことがなかった」といわれる孔子は実用を重んじ、荒唐無稽な伝説について語ろうとしなかった。そして、荒唐無稽な神話を扱う場合、それを歴史化し、人間の世界の出来事に転化して語ったという。これについて、袁珂氏は『中国の神話伝説』の中で次のようにいっている。
その例は少なくない。たとえば、黄帝は伝説の中では四つの顔を持つとされているが、孔子は巧みに黄帝が四人の人物を派遣して四方を分治させたと解釈したのである。また、「夔」は、『山海経』ではもともと一本足の怪獣であったが、『書経』の「堯典」では舜の楽官に変じている。魯の哀公〔在位前495―前468〕が夔の伝説のよくわからないところについて、「「夔は一本足なり」といわれていますが、本当に足が一本しかないのでしょうか」と孔子に聞くと、孔子は言下に「いわゆる「夔は一本足なり」とは、けっして夔に足が一本しかないという意味ではない、「夔のような人は一人でも十分なのだ」という意味なのだ」と答えた。孔子の解釈はかならずしもその真意をついていないが、このエピソードから儒家が神話を歴史化した巧妙さを見て取ることができる。歴史はもともと時間を引き延ばすが、そのために神話は災難にあった。つまり、このように改変・転化されるや、貴重なものが少なからず失われたのであり、神話から転化した歴史も幸せというわけにはいかない。
孔子以降、中国の特に儒家の哲学者たちによって、こうしたことが一般的に行われた。この結果として、本来的な神話が失われ、中国神話が不毛になったとさえいわれているのだ。しばしば、「中国には神話がない」といわれるのもこのためといっていいだろう。
■真の姿を模索しつつある中国神話
とはいえ、実際に、中国に神話がないというわけではない。いくつかの文献を見ただけで、古い時代の中国に豊かな神話世界があったことはわかる。先の袁珂氏の文に登場する『山海経』もそのようの書物の一つだ。袁珂氏の文の中に『山海経』で語られている夔の話があるので、ここで『山海経』が夔についてどのように語っているか見てみよう。
東海の中に流波山あり、海につきでること七千里、頂上に獣がいる、状は牛の如く、身は蒼くて角がなく、足は一つ。これが水に出入りするときは必ず風雨をともない、その光は日月の如く、その声は雷のよう。その名は夔。黄帝はこれをとらえてその皮で太鼓をつくり、雷獣の骨でたたいた。するとその声は五百里のかなたまで聞こえて、天下を驚かせたという。(『山海経』(高馬三良訳))
語られている内容は断片的で神話の全体をとらえることはできないが、『山海経』にはこのような断片がふんだんに語られている。
戦国時代に屈原によって書かれた『楚辞』にも豊富な神話世界が語られている。これは詩であるために、神話の全体を紹介するようなものではないが、古代世界の神話の豊かさを十分に感じさせるものだ。
また、『史記』の「五帝本紀」のように歴史化された記述にも神話は隠されているし、古代の遺跡から発掘された土器片に刻まれた甲骨文字にも神話世界を伝えるものがあるという。
もちろん、すでに多くの研究者たちの研究もあり、中国神話のかなりの部分が眼に見えるようになってきているともいえる。
だが、中国神話の奥行きがどれほどのものか、まだはっきりしていないことも確かだ。そういう意味では、他の国々の神話と異なり、中国神話はいまもなお真の姿を模索しつつあるといえるだろう。
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