小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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魏志倭人伝 |
ギシワジンデン |
歴史 |
三世紀に成立した中国の正史『三国志』に含まれる「魏書」の三十巻に「東夷伝(とういでん)」があり、その一部におよそ2000文字にわたって倭人(わひと)に関する記述がある。これが『魏志倭人伝』である。したがって、『魏志倭人伝』という本があるわけではないし、その呼び方もあくまでも日本における通称である。
とはいえ、『魏志倭人伝』は3世紀の邪馬台国や倭人の風習について、ほぼ同時代に書かれた記録であり、歴史資料として第一級のものとされている。
邪馬台国といえば、九州説とか畿内説とか、その所在地が議論の的となるが、その根拠となるのも『魏志倭人伝』の記述である。
『魏志倭人伝』は「倭人は、帯方郡の東南の大海の中におり、山がちな島の上にそれぞれの国邑を定めている。」(世界古典文学全集 三国志Ⅱ 筑摩書房。以下引用部はすべて同じ)という記述で始まるが、それに続いて邪馬台国までの道程を記している。
「帯方郡から倭に行くには、海岸にそって船で進み、韓国を経、南に進んだり、東に進んだりして、倭の北の対岸である狗邪韓国(くやかんこく)に至る。そこまでが七千余里。そこではじめて〔海岸を離れて〕一つの海を渡る。その距離は一千余里。対馬国につく。」「さらに南に向かって瀚海(かんかい)と呼ばれる一つの海を千余里船行すると、一大国(一支(いき)国)につく。」「東南に陸路を五百里行くと、伊都(いと)国につく。」「東南の奴(ぬ)国までは百里。」「東に進んで不弥(ふみ)国まで行くには百里。」「南の投馬(とうま)国までは、水路で二十日かかる。」「南の女王が都している邪馬壱(やまたい)(臺)国へは、水路十日、陸路一ヵ月がかかる。」
この記述が簡単で曖昧なため、さまざまな議論が起こるのである。
また、邪馬台国に卑弥呼(ひみこ)という女王がいたことは日本人には常識だが、これも『魏志倭人伝』の次の記述に基づいている。
「その国では、もともと男子が王位についていたが、そうした状態が七、八十年もつづいたあと、〔漢の霊帝の光和年間に〕倭の国々に戦乱がおこって、多年にわたり互いの戦闘が続いた。そこで国々は共同して一人の女子を王に立てた。その者は卑弥呼(ひみこ)と呼ばれ、鬼神崇拝の祭祀者として、人々の心をつかんだ。」 |
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