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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/図書編
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 小説
イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
史記
シキ
歴史書、正史(せいし)
 中国前漢代に司馬遷(しばせん)によってまとめられた歴史書。
 中国では国家によって正式に認められた王朝の歴史書を正史と呼び、清の乾隆帝(けんりゅうてい)によって正史二十四書が定められたが、『史記』はその最初に位置するものである。また、「紀伝体」という形式を確立し、その後の歴史書の模範となった重要な書であり、文学としても非常に優れているという定評がある。完成は紀元前90年前後と見られている。全130巻。52万6千5百字。ただ、すべてが司馬遷の手になるのではなく、10巻ほどはその父である司馬談が書いたといわれている。
 『史記』というのは後世につけられた名称で、司馬遷自身は『太史公書(たいしこうしょ)』と呼んでいる。

 『史記』は非常に長い期間の歴史を対象にしており、伝説上の五人の帝王(五帝)の時代からはじまり、夏(か)・殷(いん)・周(しゅう)王朝を経て、前漢(ぜんかん)の武帝(ぶてい)の時代までが扱われている。実在したことが確認されている最古の王朝である殷は紀元前1600年ころに興ったというから、『史記』が扱う期間は最低でも1500年をゆうに超えることになる。
 このように複数の王朝にわたる長い期間を扱う歴史を通史という。ちなみに、『史記』より後に書かれた『漢書(かんじょ)』『三国志(さんごくし)』など中国の正史の多くは一王朝を対象にしたもので、これは断代史と呼ばれる。

 全130巻の構成は、本紀(ほんぎ)12巻、表10巻、書8巻、世家(せいか)30巻、列伝70巻よりなってる。
 本紀は王・皇帝のこと、表は年ごとの事件、書は制度、世家は諸侯のこと、列伝は臣下のことを扱っている。どれも事実を詳細に記述しているが、表を使って読者の理解を助けるなど配慮の行き届いた書といえる。
 とはいえ、なかでも重用なのは本紀と列伝で、史記以降に作られた中国の正史はすべてこの二つを持つべきとされた。これが紀伝体という形式である。

 このように『史記』は質量ともにぼう大な書だが、それはたんなる事実の集積ではないということは注意すべきである。司馬遷の時代、歴史書といえば『春秋(しゅんじゅう)』だった。この時代には歴史書という分類はなく、歴史書は「春秋類」に入れられた。この『春秋』は伝説的に孔子(こうし)が書いたとされており、それは道徳の本と考えられていた。もちろん歴史的事実は記述されるのだが、それをとおして「決してこんなことではいけない」という思いが述べられ、遠まわしに正しい秩序が示されるということだ。
 『史記』もまたこのような精神を受け継いでいた。この点に関して有名なのが、「列伝」の最初に置かれた「伯夷(はくい)列伝」にある「天道、是か非か(天のやることは正しいか、正しくないのか)」という司馬遷の問いかけである。ここに登場する伯夷と叔斉(しゅくせい)は古代の周に仕えた義臣である。だが、彼らはその義を貫いた結果として最期は首陽山(しゅようざん)で餓死することになった。それなのに世の中には悪辣非道なのに天寿を全うするものも多い。そこで司馬遷は「天は常に善人に味方する」といわれているけれども、本当にそうなのかと問うのである。
 こうした意識が根本にあるためか、『史記』にあっては勝った者が善で負けた者が悪と決まってはいない。そして、人物の扱い方も独自であり、後の時代の正史と比べてはるかに多彩である。たとえば、秦末乱世に活躍した項羽(こうう)は漢を興した劉邦(りゅうほう)のライバルで、漢王朝から見れば敵である。また、王や皇帝として天下を治めたわけではないから本来なら本紀には入らない人物である。しかし、何も持たないところから出発し、諸侯を率いて秦を滅ぼし、覇王を号した。司馬遷はこれを重要視し、「項羽本紀」として本紀に含めたのである。
 また、秦王の政(後の始皇帝)を暗殺しようとした荊軻(けいか)のような暗殺者を扱った「刺客列伝」、義理と人情に生きた人々の伝記「游俠(ゆうきょう)列伝」、商売で富を増やした人々の伝記「貨殖(かしょく)列伝」のようなものまである。このせいで、班彪(はんぴょう)(『漢書』を著した班固の父)のように儒教道徳に反するという理由で『史記』を非難する人物もおり、当初は高く評価されていなかったといわれている。
 とはいえ、それが『史記』の良質な点であることは間違いなく、そのおかげでわれわれは古代中国の歴史を生き生きと味わうことができるのである。
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