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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/図書編
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
春秋
シュンジュウ
歴史書
 中国古代の歴史書。春秋(しゅんじゅう)時代の魯(ろ)の国の公式の記録であり、年代記である。古代中国では孔子(こうし)が制作に関与したと信じられたが、真の制作者・制作年代は不明である。『春秋』自体は残っていないが、その解説書である『春秋公羊伝(しゅんじゅうくようでん)』『春秋穀梁伝(しゅんじゅうこくりょうでん)』『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』の春秋三伝があり、その内容を知ることができる。
 それによると『春秋』が扱っているのは魯の君主の在位年を基本に、隠公(いんこう)元年(紀元前722年)からで、その下限は『公羊伝』『穀梁伝』では哀公(あいこう)14年(紀元前481年)、『左氏伝』ではその2年後までとなっている。歴史学でこの時代のことを春秋時代というのは、それが『春秋』で扱っている時代だからである。

 『春秋』は魯の国の歴史書だが、その内容は魯に限定されているわけではなく、国や諸侯の盛衰、主君の暗殺事件、自然災害など、当時の中国全地域が対象になっている。ただ、記述は簡単で、箇条書きのように単純に事件が羅列されているだけである。
 ところが、紀元前3世紀の戦国時代の思想家・孟子(もうし)が『春秋』の編纂には孔子がかかわっており、そこには孔子の高邁な道徳思想が隠されているといいだした。このため、中国では古くから『春秋』は非常に重要な書と目され、儒家の教科書である五経のひとつとされた。
 前漢代に『史記(しき)』を作った司馬遷(しばせん)もそれを信じており、次のように書いている。
「わたしは董仲舒(とうちゅうじょ)先生がこういったのを聞いています。『周の王道が衰えてから、孔子が魯の司寇(しこう)(刑罰警察を司る官)となった。諸侯はこれを忌み嫌い、大夫はこれをさまたげた。孔子は自分の説が用いられず、道のおこなわれないのを知ると、二百四十二年間(魯の隠公元年から哀公十四年にいたる)の史実について褒貶(ほうへん)を加え、これを天下君民の儀表(かがみ)とした。諸侯の非行をけなし、大夫の悪行をただし、これによって王道を達成しようとしたのである』と。また孔子は、『わたしはこれを空言(抽象的なことば)で記載しようと思ったのであるが、やはり行跡によって示すほうが明瞭である』と言いました。」(『史記8 列伝四』司馬遷著/小竹文夫ほか訳/筑摩書房)
 つまり孔子は、物事の善悪をより具体的に示すために、抽象的議論ではなく、年代記という形をとって、実際の出来事にそって述べることにした。そういう意図のもとに出来上がったのが『春秋』だというのだ。
 このため『春秋』の簡単な記述をどのように解釈するかは古代中国では非常に重要な課題となり、春秋三伝のような解釈書も書かれたのである。
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