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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/図書編
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
正史
セイシ
歴史書
 中国の歴史書で皇帝によって公認されたもののこと。
 中国の歴史書は当初は個人によって書かれたが、唐代からは王朝に任命された史官たちが歴史書を作るようになった。この結果、皇帝が公認した歴史書が正史と呼ばれるようになった。正史という言葉が最初にい使われたのは、7世紀に完成した『隋書』においてだといわれている。
 正史は一つの王朝が滅びた後で、新しくできた王朝が滅びた王朝について書いたものである。そうすることで過去を清算し、自分たちの正当性を主張するのが目的といっていい。だから、正史というのはあくまでも国家公認の歴史書という意味で「正しい歴史」の書という意味ではないということは注意が必要だろう。自分たちの王朝に不利な事柄を好き好んで書く者はいないからだ。
 また、王朝は次々と滅び、誕生するので正史の数はどんどん増えていった。現在、正史は『史記(しき)』から『明史』まで24あるが、最後の『明史』は清代の1739年(乾隆4年)に乾隆帝によって正史と認められたものである。そして、清は中国最後の王朝で次の王朝は存在しないから、清の歴史を扱った正史は存在しないのである。ただ、中華民国時代の1922年に編纂された『新元史』も正史とし、その数を25とする見方もある。
 25の正史は表のとおりだが、このうち個人が作った私撰の正史は『史記』『漢書(かんじょ)』『後漢書』『三国志(さんごくし)』で、そのほかは王朝に任命された者が作った官修である。

●中国の正史
書名 巻数 編者 完成年(時代)
1 史記 130巻 司馬遷 前90年ころ(前漢)
2 漢書 100巻 班固 82年ころ(後漢)
3 後漢書 120巻 范曄 445年以前(南朝宋)
4 三国志 65巻 陳寿 297年以前(晋)
5 晋書 130巻 房玄齢ほか 648年(唐)
6 宋書 100巻 沈約 502年以降(梁)
7 南斉書 59巻 蕭子顕 537年以前(梁)
8 梁書 56巻 姚思廉ほか 636年(唐)
9 陳書 36巻 姚思廉ほか 636年(唐)
10 魏書 114巻 魏収ほか 554年(北斉)
11 北斉書 50巻 李百薬ほか 636年(唐)
12 周書 50巻 令狐徳?ほか 636年(唐)
13 隋書 85巻 長孫無忌、魏徴 656年(唐)
14 南史 80巻 李延寿ほか 659年(唐)
15 北史 100巻 李延寿ほか 659年(唐)
16 旧唐書 200巻 劉?ほか 945年(後晋)
17 新唐書 225巻 欧陽修、宋祁 1060年(北宋)
18 旧五代史 150巻 薛居正ほか 974年(北宋)
19 新五代史 74巻 欧陽修 1053年ころ(北宋)
20 宋史 496巻 脱脱(トクト)ほか 1345年(元)
21 遼史 116巻 脱脱(トクト)ほか 1344年(元)
22 金史 135巻 脱脱(トクト)ほか 1343年(元)
23 元史 210巻 宋濂ほか 1370年(明)
新元史 257巻 柯劭忞(かしようびん) 1922年以前(中華民国)
24 明史 332巻 張廷玉ほか 1739年(清)
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