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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/図書編
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
荘子
ソウジ
古典
 古代中国の戦国時代(紀元前403~同221年)の思想家・荘子(そうし)の思想書で、老子(ろうし)の思想を受け継いた道家思想を大成したものである。荘子は姓は荘、名は周で、荘周とも呼ばれる。紀元前4世紀ころの人と推定されている。
 荘子の読みは「そうし」だが、書物の『荘子』は日本では「そうじ」と読む習慣がある。
 現行本『荘子』は内篇7・外篇15・雑篇11の全33篇からなる。前漢末の時代には52篇あったが(『漢書(かんじょ)』「芸文志(げいもんし)」)、そこには鬼神、怪物など奇怪なものを扱った内容も混在していたため、西晋(せいしん)(265~316)の学者・郭象(かくしょう)がそれを削除し、現在の形に定めたという。
 ただ、『荘子』の中で荘子の思想を忠実に伝えているのは内篇の7篇であり、外篇と雑篇は荘子以降の荘子学派の人々が書いただろうといわれている。内篇の中では逍遥遊(しょうようゆう)篇、斉物論(せいぶつろん)篇に特に荘子らしい思想があるとされている。
 老荘思想といわれるように、荘子の思想は老子の思想を受け継ぐもので、その基本にあるのは「無為自然」「自然に帰れ」ということである。そのうえで、とくに「万物斉同」「絶対無差別」というのが荘子の思想の中心にあるといわれる。それは、すべてのものは結局は同じであって、上下・善悪・生死などといった差別は存在しないということである。その種の区別を超えたところに無限者としての「道」があり、それに入り込むことで完全な人間性が回復できると考えるのである。
 しかし、一概に老荘思想といっても、荘子とは老子には違いもある。
 君主が無為無策なら民は自然と純朴になるというように、『老子(ろうし)』の中には天下国家について語った部分も多い。それだけ、老子は政治的ということだが、荘子は徹底的に個人主義的で天下国家についてなどほとんど語らないのである。そんなことは気にせず、自由気ままに超越的世界を逍遥するという感じである。
 また、『老子』はたった五千余字の書で、内容も断片的で一種の格言集のようなところがある。これに対し、『荘子』は六万五千字あり、突拍子もない比喩やたとえ話が多く、観念的・思弁的・文学的で、どこか荒唐無稽な感じさえするという特徴がある。
 こういう本なので『荘子』には興味深い物語が数多く含まれているが、とくに有名なものに斉物論篇にある「胡蝶の夢」の寓話がある。
 あるとき荘子は夢を見たが、そこで胡蝶となってうきうきと空を飛んでいた。自分が荘子だとは思いもしなかった。それなのに突然目覚めてみると自分は荘子だった。それで、荘子が夢の中で胡蝶になったのか、胡蝶が夢で荘子になったのかさっぱりわからなくなった。物の変化とはこういうものなのだ。
 つまり、夢も現実も一つの変化の表れなのであるから、どちらも肯定しよう。そして、それは生死についても同じだというのである。
なお、『荘子』33篇は以下のとおりである。

●内篇
逍遙遊(しょうようゆう)、斉物論(せいぶつろん)、養生主、人間世(じんかんせい)、徳充符、大宗師、応帝王
●外篇
駢拇(べんぼ)、馬蹄(ばてい)、胠篋(きょきょう)、在宥(ざいゆう)、天地、天道、天運、刻意、繕性(ぜんせい)、秋水、至楽、達生、山木、田子方、知北遊
●雑篇
庚桑楚(こうそうそ)、徐無鬼、則陽、外物、寓言、譲王、盗跖(とうせき)、説剣、漁父(ぎょほ)、列御寇(れつぎょこう)、天下
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