小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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孫子 |
ソンシ |
兵法書 |
中国古代の兵法書。中国の兵法書の中でも最古のものである。中国古代のすぐれた兵法書を集めて『武経七書(ぶきょうしちしょ)』と呼ばれるが、『孫子』はその中でも最良のものと評価が高い。春秋(しゅんじゅう)時代末期に呉王闔廬(こうろ)(在位前514~497)に仕えた孫武(そんぶ)の著作とされている。
計(始計)、作戦、謀攻、形(軍形)、勢(兵勢)、虚実、軍争、九変、行軍、地形、九地、火攻、用間の十三篇からなる。
『漢書(かんじょ)』「芸文志(げいもんし)」では「呉孫子兵法八十二篇」となっているが、それがどのようなものだったかはわかっていない。現在一般的な13篇からなる『孫子』は魏(ぎ)の武帝(ぶてい)(曹操(そうそう))が整理した『魏武注孫子』を元にしている。
『孫子』巻頭の「計篇」冒頭に「孫子(そんし)曰(い)わく、兵とは国の大事なり、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。」(『新訂 孫子』岩波文庫)とあるように、戦争というものを非常に重要なものとして考察を行っている。
しかし、決して好戦的な書ではない。「謀攻篇」に「孫子曰く、凡そ用兵の法は、国を全(まっと)うするを上(じょう)と為(な)し、国を破るはこれに次ぐ。」「是の故に百戦百勝は善の善なる者に非(あら)ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」とあるように、単に戦術・戦略を述べるだけでなく、国家運営を含めたはるかに大きな視野の中で戦争を考えているという特徴がある。
その優れた思想性ゆえに本家中国以外の国にも『孫子』の影響は及んでいる。
日本ではとくに有名なものとして、戦国武将武田信玄の旗指物に書かれていた「風林火山」をあげることができる。これは『孫子』軍争篇の「故に其の疾(はや)きことは風の如く、其の徐(しずか)なることは林の如く、侵掠(しんりゃく)することは火の如く、知り難きことは陰の如く、動かざることは山の如く、動くことは雷の震(ふる)うが如くにして、郷を掠(かす)むるには衆を分かち、地を廓(ひろ)むるには利を分かち、権を懸(か)けて而して動く。」から取られている。
ヨーロッパではナポレオン・ボナパルトが有名で、戦場には常に『孫子』の翻訳を携帯していたという。
著者の孫武がどのような人であるか詳しいことはわからないが、司馬遷(しばせん)の『史記(しき)』「孫子呉起列伝」に孫武が呉王闔廬に謁見したときの興味深い逸話が紹介されている。 |
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