小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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抱朴子 |
ホウボクシ |
錬金術書 |
中国東晋(とうしん)代(317~420)に葛洪(かっこう)(283~343)によって書かれた神仙道の書。煉丹術(れんたんじゅつ)(錬金術(れんきんじゅつ))書。神仙になるための仙薬の製造法や服用法、補助的な仙術などが詳述されており、これによってはじめて道教の教学が体系化された。
内篇20巻、外篇50巻からなる。外篇は政治・社会・文明の批判書となっている。重要なのは内篇で、ここにおいて葛洪は不老長寿を求める神仙道の様々な技術を語り、その中で煉丹術こそ最重要な技術だとして説明したのである。
中国には古くから様々な養生法、長生法があり神仙道に取り込まれていたが、葛洪によればそのような技術を追求しても長寿は得られるけれども、真の不老不死は得られない。不老不死を得るには、煉丹術によって丹薬を作り、それを服用する以外には方法がないからである。だが、丹薬を作るのは困難で時間もかかるので、それが得られるまでの間は様々な養生法、長生法でとにかく長生きするしかないのだという。
煉丹術の中では葛洪は『太清丹経』『九鼎丹経(きゅうていたんきょう)』『金液丹経』に基づくものを特に重要視した。
これらの経典にはいわれがある。かつて、後漢末期の錬金術師・左慈(さじ)が修行していたとき、山中に神人が現れ、それを授けた。それが師から弟子へと手渡され、左慈→葛玄(かつげん)→鄭隠(ていいん)→葛洪と受け継がれたのである。
不老不死の丹薬を作る具体的方法については、『抱朴子』内篇の金丹篇、黄白篇に数多く書かれている。その方法は主に水銀と各種の金属を焼成してアマルガム(合金)を作るというものである。例えば、「金桜先生が青林子から伝授された黄金合成法」は次のようなものである。
「まず錫を鍛(きた)えて幅六寸四分、厚さ一寸二部の板にする。赤塩を灰汁(あく)と和(あ)えて泥状にし、錫の表面に塗る。その厚さは平均に一分。赤土の釜の中に重ねて置く。錫十斤に対して赤塩四斤の割合である。封をして、縁(へり)のところをぴったり固める。馬糞の火で温めること三十日。火を引いて蓋をあけて見ると、錫のなかみは全部灰状になって、その中に豆のようなものがコロコロとつながっている。これが黄金である。土の甕(かめ)に入れ、炭火とふいごで加熱する。十回鍛煉するとすべて完成する。だいたい十斤の錫で黄金二十両できる。」(本田済訳『抱朴子』内篇・黄白篇、平凡社東洋文庫)
こうしてできた黄金は不老不死の薬にもなるもので、金丹と呼ばれる。
ただし、手順さえ正しければそれでよいというものではないようだ。例えば、西洋錬金術と同じように、中国の煉丹術でも丹薬作りの奥義(おうぎ)は師から弟子へと直接伝授されるもので、煉丹術を極めるには必ずすぐれた師に入門する必要があるのだという。また、煉丹術を行う前には、百日間の斎戒(さいかい)、五香の湯での沐浴(もくよく)、身体を清浄にする、穢れたものに近づかない、俗人と交際しないなど、様々な決まりを守る必要があった。つまり、術者の精神性が重視されたのである。
ところで、葛洪自身はこうした方法で不老不死を手に入れることができたのだろうか? 残念ながらそうではないようだ。葛洪は江蘇(こうそ)地方の名門の生まれで、少年時代に父を失い、貧苦の中で独学し、やがて神仙道・煉丹術に打ち込むようになった。そして、左慈から伝わる重要な経典も手に入れ、ついに中国で最高の煉丹術書『抱朴子』まで書き上げた。だが、葛洪はその間ずっと貧乏で、材料も買えず、実験することもできなかったのだという。 |
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