小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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老子 |
ロウシ |
経典 |
道家の祖とされる老子(ろうし)が書いたと伝えられる中国古代の思想書で、道家の基本経典。上下2篇、全81章。全部で5000文字ほどの短編であり、どの文章も非常に有名である。『道徳経(どうとくきょう)』とも呼ばれるが、これは上下篇の初めの文字それぞれ「道」、「徳」であることからきている。
老子は司馬遷(しばせん)の『史記(しき)』「老子韓非列伝」では孔子(こうし)(前551~前479)と同じ時代の人とされている。
『史記』で紹介されている伝説によると、老子の母は天から降った神女だった。老子を身ごもって81年も過ぎてから、脇の下から老子が生まれた。生まれたときから白髪で老人のようだったので、老子と命名されたという。やがて、無為自然をモットーとする道家思想を興した老子は、周の滅亡を予感すると西方へ旅立った。このとき、函谷関(かんこくかん)という関所の長官である尹喜(いんき)に求められ、5000字余りの『老子』を書き残したが、函谷関を出てからの老子がどこに行ったかは不明だという。
しかし、老子が実在の人物かどうかははっきりしない。仮に実在したとしても、『老子』の内容は孔子に始まる儒教への対抗思想という側面があり、孔子よりかなり後の人だろうと考えられている。ただ、前250年ころの戦国時代末には『老子』という題名の書が存在していたことははっきりしている。
『老子』は一人の著者によるものではなく、道家の思想家たちによって、長い年代にわたって書き継がれたものとする見方もある。
『老子』の思想はしばしば「無為自然」という言葉で表わされる。老子はすべての根本にある概念を「道」とする。だが、それは「○○主義」とか「これが常道だ」といわれるような現実的な「道」ではない。現実世界のものはすべて生まれたり死んだりするが、老子の「道」はそんな生滅を超えた宇宙の理法のようなものである。したがって、現実のものはすべて相対的なので、それを覆い隠す人為的なものは否定されなければならないのである。人為的なものとは、知識・欲望・道徳のようなものだ。そして、老子は無為、自然に帰することで、人生も政治もうまくいくとしているのである。
こうした言葉が『老子』にはふんだんに溢れている。最後にいくつか引用しておこう。
●「道の道とすべきは常の道に非ず、名の名とすべきは常の名に非ず(以下略)」(第一章)
(永遠不滅の道はこれがそうだと言葉で表せるようなものではない。本当の名というのもこれこれだといって、言葉で名付けられるようなものではない)
●「天下皆、美の美たるを知れば、これ悪のみ。皆、善の善たるを知れば、これ不善のみ(以下略)」(第二章)
(天下の人々がみなこれは美だというものは実は醜悪なのである。みながこれは善だというものは実は不善なのである。なぜなら、すべては相対的なので、美や善はそれを固定する差別によってしか生まれないからだ)
●「大道廃れて仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家混乱して、忠臣あり」(第十八章)
(儒家の者などがいっている仁義忠孝など決して素晴らしい道徳ではない。すでに大道が廃れてしまったから、人為的な仁義でそれを埋め合わせているのだ。家族や親族が不和になったから、孝行などといいだすのだ。忠臣も同じで、国家が混乱してしまったからありがたがられるのだ。つまり、仁義忠孝などは病的な社会で生まれた病的な道徳なので、そんなものがないほうがうまくいくのである) |
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