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葛玄 |
カツゲン |
道教 |
神仙 |
『抱朴子(ほうぼくし)』を書いた葛洪(かっこう)の従祖(祖父の兄弟)にあたる神仙。陶弘景の『真霊位業図』では、第三階位の神々の一人とされている。
三国呉の人で、左慈に師事して『九鼎丹経(きゅうていたんきょう)』(黄帝が作ったとされる不老長生薬の製造法)などの経典を授かったが、これらが鄭隠(ていいん)を経て、葛洪に伝えられたという。
『神仙伝』、『捜神記』などに葛玄の使った様々な道術の話がある。それによれば、葛玄は火の中に入っても衣服が焦げることもなく、符を使って川の流れを自由自在に操ることができたという。また、飯粒を口から吐き出すとそれが無数の蜂になって飛び回り、再び口に入って飯粒に戻ったりしたという。
ある日、弟子に向かい「わしは8月13日の日中に尸解して昇天する」といい、その日になると室に入って息絶えた。だが、三日後の夜に大風が起こると、葛玄の姿は忽然と消え、後に衣服だけが残っていたという。 |
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