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葛洪 |
カッコウ |
道教 |
『抱朴子』の著者 |
神仙思想の集大成とされる『抱朴子(ほうぼくし)』の著者(生没年283~363)。従祖父にあたる葛玄が左慈に師事して『九鼎丹経(きゅうていたんきょう)』などの経典を授かったが、これらが鄭隠(ていいん)を経て、葛洪に伝えられたという。死後、尸解(しかい)して仙人になったといわれるが、仙人らしい話は少ない。
葛洪は山東省東部の豪族の出身で、西晋朝の要職にあった父から葛玄の話を聞き、幼くして仙道に興味を持ったという。16歳のころ鄭隠に弟子入りし、左慈に始まる仙道を継承した。また、鮑靚(ほうせい)という道士に師事し、その娘と結婚している。戦乱の世で、葛洪も軍を率いて手柄を立て、東晋朝が成立すると爵位を授けられ、軍参謀にまで出世した。だが、晩年の七年間は広東省の羅浮山(らふさん)に庵(いおり)を結び、煉丹に打ち込み、81歳(一説に61歳)で死去した。ところが、棺の中に納めたはずの葛洪の死体はいつの間にか消えており、後には衣服だけが残っていたという。 |
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