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許遜 |
キョソン |
道教 |
神仙・浄明道の祖師 |
生没年239~301。江西省南昌生まれの仙道修行者で、死後に神仙として祀られるようになった。許真君、感天上帝とも呼ばれる。
まだ子供だったころ狩に出て母鹿を射ると、傷を負った母鹿は産み落としたばかりの小鹿をなめ続けて絶命した。これを見た許遜は弓を捨てて仙道に入った。そして、三清の法を受け継ぐ呉猛という道士の弟子となり、秘訣(ひけつ)のすべてを受け継いだという。
42歳のとき東晋王朝から旌陽県(せいようけん)の知事に任命されると、貧民の救済や疫病対策に大いに活躍し、生きているうちから各地に許遜を祀る祠(ほこら)が建てられた。
知事を辞めて後、許遜は孝悌王(こうていおう)という神から秘法を授けられたともいう。また、宋の将軍・王敦(おうとん)に殺されそうになり、白いコウノトリに変身して空を飛んで逃げ出したという話もある。
民衆に人気のある神であり、12世紀に生まれた浄明道教団の祖師ともされている。 |
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