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秦瓊 |
シンケイ |
英雄 |
尉遅恭(うつちきょう)とともに李世民(りせいみん)(太宗)の両腕として活躍した隋(ずい)末・唐初の武人(?~638)。字(あざな)は「叔宝(しゅくほう)」。斉州(せいしゅう)・歴城(山東(さんとう)省済南)出身で、若いころから親孝行と武勇で知られ、隋末から唐初を舞台とした数多い隋唐(ずいとう)物語の中心人物になっている。
『隋唐演義(ずいとうえんぎ)』では北斉(ほくせい)の将軍の息子だとされているが事実は不明。隋末の混乱期に最初は張須陀(ちょうすだ)、次いで李密(りみつ)、さらに王世充(おうせいじゅう)に仕えた。
その後、李世民(唐の太宗)軍団に加わり、武勲を挙げて左武衛大将軍に任じられた。李世民配下の武将として、当時劉武周(りゅうぶしゅう)軍に仕えていた尉遅恭との間に繰り広げた一騎打ちは『秦尉大戦』として京劇のタイトルにもなっている。
太宗に従ってからは忠義を尽くし、側近として寵愛され、太宗の陵墓(りょうぼ)昭陵に倍儀された。道教では尉遅恭と一組で悪霊を追い払う門神として祀(まつ)られている。 |
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