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薛仁貴 |
セツジンキ |
英雄 |
古くから人々に親しまれた「薛仁貴征東(せつじんきせいとう)」などの物語で有名な唐(とう)の武将(614~683)。絳(こう)州竜門(山西省)出身。
農民の出だが武人を志し、唐の遼東(りょうとう)遠征に従って大活躍した。
伝説によると、このとき薛仁貴は白ずくめの服装で高句麗(こうくり)軍に斬りこみ、敵を蹴散らしたという。これを見た太宗(たいそう)皇帝(李世民)は「遼東を得たことよりも、そなたを得たことのほうがうれしい」といい、すぐにも右領軍中郎将に列したとされる。
668年に安東都護府が設置されるとともに初代都護となり、北方民族の突厥(とっくつ)との戦いで活躍した。なかでも天山(てんざん)における活躍ぶりは見事で、たった3本の矢を射ただけで敵の最も優れた武将3人を射殺したことから、「薛仁貴、三箭(さんせん)をもって天山を定む」の武勇譚が生まれた。また、薛仁貴、薛丁山(ていざん)、薛剛の薛家将一家は北宋(ほくそう)の楊家将(ようかしょう)に匹敵する武将一家とされている。 |
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