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張良 |
チョウリョウ |
英雄 |
漢帝国建国の功臣(?~前168)。字(あざな)は「子房(しぼう)」。仙人(せんにん)の黄石公(こうせきこう)から太公望(たいこうぼう)の兵法書を授けられ、劉邦(りゅうほう)の謀臣(ぼうしん)となったという伝説がある。
祖父が韓(かん)の宰相(さいしょう)だったほどの名家出身で、張良の家には300人の召使がいた。だが、秦(しん)によって国を滅ぼされると全財産を費やして始皇帝暗殺を企てた。あるとき怪力の男に重さ300kg以上の鉄槌を投げさせ、巡行中秦王を襲わせた。だが、鉄槌は副車にあたって秦王暗殺は失敗、張良は姓名を変えて流浪の身となった。このころ、下邳(かひ)(江蘇(こうそ)省)の地で黄石公に出会い、太公望の兵法書を授けられたという。
前209年、反秦の機運が高まる中、張良も立ち上がった。このとき、彼が黄石公に授けられた兵法の話をすると、ただ一人劉邦だけが耳を傾けた。そこで、張良は劉邦に従い、以降は常に良策を献じ、劉邦を最終勝利者に導いたのである。 |
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