|
楊貴妃 |
ヨウキヒ |
美女 |
中国、唐(とう)の玄宗(げんそう)皇帝に寵愛された妃(719~756)。名は「玉環(ぎょくかん)」。蜀(しょく)の生まれ。
晩年の玄宗の運命を変えた美女で、白居易(はくきょい)の《長恨歌(ちょうごんか)》のほか、小説《楊太真外伝(ようたいしんがいでん)》、戯曲《梧桐雨(ごとうう)》《長生殿(ちょうせいでん)》など、多くの文学作品の題材とされている。
最初、玄宗の第18皇子寿王瑁(じゅおうぼう)の妃だったが、晩年の玄宗に見初(みそ)められて玄宗の後宮に入り、翌745年に貴妃の称号を与えられた。貴妃は政治に口を出すような女性ではなかったが、玄宗は彼女との快楽に溺れ、政務をおろそかにした。また、彼女の一族はみな出世し、贅を極め、世人の羨望を集めた。しかし、貴妃のまた従兄弟(いとこ)・楊国忠(ようこくちゅう)が宰相となると、楊一族に対する反発が強まった。間もなく、安禄山(あんろくざん)の乱が起こり、唐王朝が危機に瀕すると、激怒した兵が楊国忠はじめ楊一族を血祭りに上げ、貴妃も玄宗の側近高力士(こうりきし)に絞殺された。
|
|
|