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李靖 |
リセイ |
英雄 |
李勣(りせき)と並ぶ唐(とう)初の名将で、唐朝創業の功臣(571~649年)。
中国歴史上十指に数えられる名将で、伝説も多く、『西遊記(さいゆうき)』では死後に玉帝に召されて元勲(げんくん)・托塔李天王(たくとうりてんのう)になったとされている。『封神演義(ほうしんえんぎ)』で哪吒(なた)太子の父とされている李靖、別名托塔天王は殷(いん)の紂(ちゅう)王に仕えているが、やはり歴史上実在した李靖が伝説化したものである。
歴史的には最初は隋(ずい)に仕えていた。李世民(りせいみん)に許されて帷幕(いばく)に加わると以降は忠誠を尽くし、大活躍した。隋末の群雄討伐戦、江南(こうなん)平定戦などに参加。北方民族の突厥(とっくつ)との戦いでは行軍総管を務めた。634年には侵入してきた吐谷渾(とよくこん)を討伐した。こうした功績により、衛国公(えいこうこく)、開府儀同三司(かいふぎどうさんし)に封ぜられた。また、唐(とう)朝の二代皇帝・太宗(たいそう)となった李世民は凌煙閣(りょうえんかく)に腹心24人の姿を描かせたが、李靖は武臣第一等として描かれた。 |
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