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歴史・三国志 |
古戦場 |
「泣いて馬謖を斬る」の故事で有名な三国時代中国の古戦場。
223年に劉備が死にその子劉禅が皇帝となってから、蜀のすべての権限を握った諸葛亮は呉との同盟を成立させ、さらに南方の異民族も平定した。そして228年、長年の夢である中原の回復に向けて魏に対する北伐を開始した。
蜀の関中から魏の長安方面を攻めるためには東西に横たわる秦嶺山脈を越える必要があったが、このとき諸葛亮はいつつあったルートの中から褒斜道を通るルートを選んだ。諸葛亮は褒斜道の途中の箕谷に趙雲などを駐屯させ、これをおとりにして魏の大将軍曹真を引き寄せ、自分は第一目標であるキ山を占拠した。
慌てた魏では君主の曹叡自身が長安に出て指揮を取り、張郃に5万の兵を与えてキ山の救援に向かわせた。
これに対して諸葛亮は愛弟子ともいえる馬謖を渭水北岸の要衝、街亭に派遣し、防衛戦を敷かせた。だが、実戦経験の乏しかった馬謖は、市街に布陣すべしという諸葛亮の命令に違反し、山上に陣を構えた。この結果、馬謖軍は水の供給路を断たれて大敗し、キ山の本軍も危機的状況に陥り、諸葛亮は全軍を関中へ撤退させることになった。
撤退後、諸葛亮は敗戦の責任者として馬謖を処刑せざるを得ず、そのために涙を流した。だが、たとえ愛弟子だろうと賞罰を明らかにする指揮官の態度として大いに賞賛されることになった。
とはいえ、こうして第一次北伐に失敗したことで、諸葛亮は234年までに6次に渡る北伐を行うことになったのである。 |
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