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函谷関 |
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中国神話 |
関所 |
中国古代の関所。洛陽を中心とする中原とより西方にある長安を中心とする関中とを結ぶ交通の要衝にある重要な関所で、「天下第一関」と呼ばれた。
古関と新関の二つの関所があった。
古関は戦国時代(前431~前221)に秦が東方への守りの拠点として設けたもので、「秦関」ともいう。これは現在の河南省霊宝県南西2kmのところにある。東西8kmも深い峡谷が続き、車一台がやっと通れるほどで、昼なお暗く、まるで函(はこ)の中を進むようだったので函谷関と呼ばれたという。前漢時代に約150km東の現在の新安県北東に新しい関が作られた。これは「漢関」とも呼ばれた。
中国で最も重要な関所なので、函谷関をめぐる伝説はいくつもある。
周王朝の末期、戦乱の世に絶望して西域に隠棲しようとした老子は函谷関を通って旅立ち、その後どこへともなく姿を消したといわれている。このとき、函谷関の役人は関尹喜という人物だった。彼はまだ老子がやって来る前から占いによって偉大な聖人がやってくることを知っていたので、老子がやって来ると正装して丁重に迎えた。そこで、老子は一時この地に滞在し、5000字ほどの経を記して尹喜に託した。これが有名な道教の経典『老子道徳経』だという。
戦国時代、斉、魏、秦で宰相を務めた孟嘗君の話も有名である。彼は秦の宰相だったときに危うく暗殺されかかり、配下の者たちと函谷関まで逃げ延びてきた。だが、関は朝にならなければ開かない決まりだった。このとき、孟嘗君の部下の一人が鶏の鳴きまねをするとあたりにいた鶏も鳴き出し、朝と勘違いした役人が関所を開いたので、孟嘗君一行は無事に逃げることができたという。
函谷関は日本でも有名であり、「箱根の山は天下の険 函谷関もものならず……」と「箱根八里」の歌にも歌われている。 |
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