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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/地名編
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官渡
カント
三国志
戦場
 群雄が割拠していた後漢末の200年、曹操と袁紹の対決があった中国の古戦場。現在の河南省中牟県にある。
 この戦い以前、袁紹は幽州の公孫攢を破り、黄河の北の河北・山西方面を統一した。一方曹操は山東・河南方面を地盤にしていたが、漢の献帝を擁立しただけでなく、袁術の病死によって黄河の南の支配を固めた。こうして、199年8月には黄河をはさんで華北地方を二分する袁紹と曹操が直接向き合うことになった。
 この年秋から両者の戦いは始まり、転戦の末、翌200年黄河の南の官渡で大決戦となった。勢力的には曹操軍が劣勢だった。だが、袁紹軍には内部に対立があり、参謀の一人許攸が曹操側に寝返り、曹操軍は許攸の助言で袁紹軍の兵糧貯蔵地だった烏巣に奇襲をかけ、勝利を手にした。
 『三国志演義』では、この戦いの時点では曹操に属していた関羽が袁紹軍の顔良、文醜を切り捨てる大活躍をし、これを機に曹操のもとを去って、劉備のもとに駆けつけたとされている。
 ただし、この戦いの後も袁紹は河北一帯に強大な勢力を保っていた。それが滅びたのは結局は袁紹の三人の息子たちによる後継者争いがあったからで、曹操はその争いに乗じる形で官渡の戦い後7年もかけて袁氏を滅ぼし、河北を平定するのでる。
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