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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/地名編
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黄河
コウガ
中国神話
 長江に次ぐ中国第2の大河。青海省の崑崙山脈に端を発し、山東省まで9つの省と自治区を経て渤海に流れ込む。全長約5500km、流域面積75万平方kmを越える大河川である。
 黄河文明という言葉があるように、中国の文明と黄河は切り離せない。中国最古の王朝とされる夏・殷・周も黄河流域で興った。黄河文明は黄河の中・下流域で栄えた古代文明で、新石器時代の仰韶(ぎょうしょう)文化、竜山(りゅうざん)文化をへて、王朝の時代へ入ったのである。
 また、黄河は古来しばしば大洪水を起こす恐ろしい河だった。殷は十回以上も都を移しているが、それは黄河の河道が変わったり、洪水の災害によるものだったと見られている。それゆえに「黄河を制するものは天下を制する」ともいわれた。
 黄河がいかに重要な河であったかは神話や伝説からも十分にうかがえる。
 10個の太陽のうち9個を射落としたという伝説を持つ羿は、河伯を弓で射てその妻の雒嬪を奪ったといわれる。河伯とは黄河の神であり、雒嬪とは黄河の支流のひとつ洛水の女神である。したがって、これは水神を奪い合う戦いであって、川の支配権を巡る戦いが反映した神話だと見られている。
 夏王朝の始祖とされる禹も黄河と戦い、支配した神だった。天帝が堯だった時代、黄河が大洪水を起こし、中国全土が水浸しになった。この洪水は天帝が舜の時代になっても治まらなかった。そこで、天帝はまず天神の鯀に命じたが、鯀は治水に失敗した。その跡を継いだのが鯀の子の禹で、中国全土を駆け巡って13年かけて、運河を開鑿するなどの治水工事を行って洪水を治めた。この業績によって、禹は夏王朝を興すことになったのである。
 夏王朝に続いて殷王朝が興るが、この王朝もまた黄河を支配することで天下を取った。神話によれば、殷の祖先は遊牧民で東方で暮らしていた。そのころ、殷族の王亥と王恒の兄弟は貿易のために北方の有易国を訪れた。ここで王亥は有易国の王・綿臣の妻と密通し、このために綿臣に殺され、王恒も戻って来なかった。そこで、新しく殷族の王となった王恒の子・上甲微が河伯から軍隊を借り、有易国を攻め滅ぼした。そして、この後に殷族は大いに繁栄し、湯王の代についに夏朝を滅ぼしたのだという。つまり、殷族は黄河の神である河伯を味方につけたことで天下を取ったということだ。
 このように黄河は重要な河だったので、黄河の神である河伯は数多い川の神の中でも特別だった。河伯には豊作や降雨を授ける力があったとされているが、すでに殷の時代から河伯に対する祭祀が行われ、牛などが犠牲にささげられた。人間の女子が犠牲とされた時期もあり、巫女などが住民中の娘を花嫁として飾り立て、ベッドに寝かせて川に沈めたという。
 古くから広く行き渡っている説では、冰夷(馮夷)という男が渡河中に溺死し、天帝から河伯に任じられたという。道教では、冰夷は薬を飲んで水の仙人となり、河伯になったとしている。その姿について、かつて暴風雨の中に出現した河伯は水の車に乗り、二頭の龍に車を引かせ、螭をそえ馬にしていたという伝説がある。また、河伯は人の頭に魚の体をしているともいわれ、明朝ころからは龍の一種と考えられるようになった。

→長江
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