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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/地名編
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鴻門
コウモン
中国歴史
地名
 中国古代、秦の末期の前206年、ともに天下を狙うライバルだった項羽と劉邦(漢の高祖)が会見した場所。この会見は「鴻門の会」と呼ばれる。鴻門は現在の陝西省臨潼県にある。
 これより前、反秦勢力に担がれていた楚の懐王は「関中を平定したものをそこの王とする」と約束していた。関中は秦のもとの領地なので、これは秦に変わって統治するということを意味していた。そして、項羽の軍と劉邦の軍が二方向から秦の首都咸陽へ進軍した。項羽は秦の主力軍を撃破して進んだが、劉邦は一足早く漢中に入り、咸陽を占領し、守備を固めた。ごろつきあがりの中年男だった劉邦に対し、実力的には間違いなく上を行っていた若きエリート将軍だった項羽はこれに激怒した。函谷関から漢中に入った項羽は40万の兵を鴻門に置き、劉邦軍に対陣させた。
 これに対して劉邦は項羽の怒りを鎮めるためにわずか百騎ほどを率いただけで鴻門に陣営に乗り込み、自分は項羽の臣下に過ぎないといって釈明した。その意を酌んだ項羽はすぐにも宴を設けた。項羽の軍師范増は項荘に剣舞と見せかけてこの機に劉邦を殺すように命じる。劉邦に味方していた項羽の叔父項伯はそれに気づくと自ら剣舞を舞って劉邦を守った。このほか、劉邦の軍師張良の奇略、豪傑樊噲の活躍などもあり、劉邦はとにかくも虎口を脱して生き延びたのである。
 劉邦と項羽の勢力争いはこの後も続くが、最終的には劉邦が勝ち、前202年に皇帝となって漢王朝が成立する。劉邦と項羽を語るとき、「鴻門の会」が絶対不可欠な名場面となっているゆえんである。

→函谷関
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