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中国歴史伝説 |
陵墓 |
中国、秦(しん)の始皇帝の陵墓。現在の陝西省(せんせいしょう)西安市臨潼県の驪山(りざん)の北麓に位置する。
始皇帝(嬴政(えいせい))は秦王に即位した前246年から、その地に自らの陵墓の造営を開始した。前221年に天下を統一して皇帝になるとさらに大々的に造営が進められた。このために動員された人民は70万人を超えたといわれている。
陵墓の墳丘は現在は高さ47mの小高い丘にしか見えないが、本来は方形台状で、高さは76m、基底部は東西345m、南北350mの正方形だったという。前210年、始皇帝が亡くなり、その遺体が地下墓地に埋葬された後で二世皇帝によって墳丘は築かれた。
墳丘の周囲は二重の城壁で取り巻かれていた。内城は東西580m、南北1355m。外城は東西940m、南北2165mあった。
そのうえで、壮大な地下宮殿があった。司馬遷(しばせん)の『史記』などによると、地下宮殿は三層の地下水の深さまで掘り下げられ、棺の外郭は銅で鋳造され、宮中などから運び込まれた珍奇なもので満たされていた。盗掘者を撃退するため、誰かが近づくと機械仕掛けで矢を発する弩(いしゆみ)も設置された。また、水銀で長江(ちょうこう)や黄河(こうが)など多くの川や海を再現し、機械仕掛けで流れるようにしてあった。天井には日月星辰の天文の図、下には地理が描かれていた。人魚の死亡で燭台を作り、いつまでも消えないようになっていたという。
地下宮殿はまだ発掘されていないので正確なところはわからないが、熱赤外線などを使った最近の遠隔調査で、東西170m、南北145mの長方形であることがわかった。墓室は地下宮殿中央30mの深さにあり、東西80m、南北50m、高さ15mの空間になっているという。
このほか、陵墓の周辺にも兵馬俑坑(へいばようこう)などの陵墓と関連ある施設が数多くつくられた。
→兵馬俑坑 |
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