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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/地名編
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泰山
タイザン
神話宗教
 中国で古くから信仰されている山東省泰安県の山。主峰は天柱峰(1545m)。
 華北平原の東にそびえるという立地のため、非常に古くから霊山として信仰されていた。
 中国では漢の時代ころから「五岳(ごがく)」が聖なる山として信仰された。五岳とは五行思想にしたがって、中央および東西南北に配された聖なる山のことで、東岳・泰山(たいざん)、西岳・華山(かざん)(陜西省(せんせいしょう))、南岳・衡山(こうざん)(湖南省)、北岳・恒山(こうざん)(山西省)、中岳・嵩山(すうざん)(河南省)があった。このうち泰山は、東方海上にあるとされた蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)などといった架空の三神山(さんしんざん)にもっとも近いところから、もっとも聖なる山と考えられた。五岳の首峰という意味で、古くは岱宗(たいそう)と呼ばれた。
 中国の帝王が行う最高の儀式とされる封禅も泰山で行うものとされていた。
 封禅の「封」は土を盛って祭壇を作り、天を祀ること。「禅」は地面を平らにならして地を祀ることを意味したが、天の神に対して皇帝として即位したことを報告するという目的があった。また、この儀式によって不老長寿が得られるとも考えられていた。歴史的には秦(しん)の始皇帝が最初にこれを行い、以降は漢の武帝、後漢の光武帝・章帝、唐の高宗・玄宗(げんそう)、宋の真宗、清の康熙帝(こうきてい)なども行った。
 泰山は古くから死者の霊が集まるところとされたが、後漢時代ころまでには泰山の神が人間の魂を司り、泰山の山上には人間の寿命を記した原簿があるなどという信仰も生まれていた。
 ここで、泰山の神として信仰されたのが泰山府君で、東岳大帝とも呼ばれた。
 この後、魏晋(ぎしん)時代になって道教が隆盛してくると、泰山には地獄もあると考えられた。中国の地獄としては他に鄷都(ほうと)あるいは羅鄷(らほう)が知られていたが、鄷都が中国南部の地獄の中心だったのに対して、泰山は中国北部の黄河(こうが)流域一帯で信仰された。
 泰山の地獄は官庁組織によって管理されていると考えられたが、その長官とされたのは東岳大帝だった。東岳大帝はもちろん泰山府君のことだが、時代とともに分離され、泰山府君が閻魔大王のような存在になり、東岳大帝は天帝に近い大きな権威を持つようになった。このため、泰山府君は東岳大帝配下の地獄の裁判官の一人といわれることもあった。
 このように古い時代には泰山といえば泰山府君=東岳大帝の山だったわけだが、ある時期から東岳大帝の娘の天仙娘々(てんせんにゃんにゃん)=玉女大仙(ぎょくじょたいせん)の人気も高くなった。明代には泰山信仰=天仙娘々といわれるほどの人気があった。この人気は現在も変わらず、毎年多数の人々が人々が出産や商売繁盛などの現世利益を求めて天仙娘々のいる泰山を訪れるという。
 1008年、北宋の真宗皇帝(968~1022)が泰山を訪れたときのこと。山頂の古池から破損した石像が発見された。それが玉女像だったので新しく大理石像を作り、立派な廟を建設してそこに納めた。同時に「碧霞元君(へきかげんくん)」という称号も与えた。天仙娘々の人気が高まったのはこのときからだといわれている。

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