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妬婦津 |
トフシン |
伝説 |
船着場 |
中国の伝説で、美しい女には嫉妬する女神が住んでいたとされる渡し場。臨清県(りんせいけん)(山東省)にあったという。
晋(しん)の泰始(たいし)年間(265~274)のこと、劉伯玉(りゅうはくぎょく)という男に光明(こうみょう)という妻がいたが、非常に嫉妬深かった。それで、伯玉は「洛神賦(らくしんふ)」(洛水で溺死して女神となった宓妃(ふくひ)を詠じた三国時代の曹植(そうしょく)(192~232)の詩)を誦詠し、「このような婦人を妻にできたらいうことはない」といった。
光明は「あなたは洛水の女神をほめ、わたしを馬鹿にしました。わたしは死んで必ず水神になります」といい、その夜のうちに川に飛び込んで死んでしまった。そして七日後、彼女は伯玉の夢に現れ、「あなたが望んだとおり、わたしは水神になりました」といった。伯玉は眼が覚めたが、その意味がよくわかったので、それからは二度と河を渡らなかった。
そればかりか、光明が身を投げた渡し場から河を渡ろうとする美女たちは、わざと衣装を乱し、化粧を崩してから船に乗るようになった。そうしないと水神が嫉妬し、河が荒れるからだった。ただ、不器量な女はどんな着飾っても、水神は嫉妬しなかったという。
そして斉(せい)(山東省)の人々は、「きれいな女を得たければ、妬婦津に立っていればいい。そこに女がやってくれば、いい女かどうかはすぐにわかる」と語り継いだという。 |
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