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中国明代の小説『水滸伝(すいこでん)』で、豪傑たちが結集した砦(とりで)。現在の山東省梁山県にかつてあった梁山泊という湖の中に山があり、そこに砦があった。この山は現在は梁山と呼ばれている。
梁山は高さ200メートルほどの山がいくつか集まったもので、周囲は20kmほどある。
『水滸伝』の舞台となった宋(そう)の時代にはこの山の周りに湖があった。東西50km、南北150km、周囲400kmという壮大な湖である。その位置は当時の中国の交通の要衝といってよかった。この湖は一部分が黄河(こうが)とつながり、さらに首都・東京(とうけい)ともつながっていた。南北にも川があり、長江(ちょうこう)にもつながっていた。
また、湖そのものが大きく入り組んでいるため、政府の監視の目も行き届かなかった。つまり、山賊の本拠地としてはうってつけの場所であり、現実にも梁山泊周辺には数多くの盗賊たちが巣食っていたという。
『水滸伝』の梁山泊もこうした現実を背景にしている。そこに天罡星(てんこうせい)36星、地煞星(ちさつせい)72星、合計108星の生まれ変わりとされる108人の豪傑とその配下である十万人が結集するのである。
これだけの人数だから、豪傑たちは一度に集まってきたわけではない。
物語では108星の本拠地となる梁山泊は最初から存在しているが、当時の梁山泊はただの山賊たちの寨(とりで)のようなものだった。山賊たちを束ねる頭領たちも王倫(おうりん)、杜遷(そうまん)、宋万(そうまん)、朱貴(しゅき)という小物ばかりである。
ここに東京で近衛軍の槍棒の武芸師範をしていた大物の豪傑、林冲(りんちゅう)が仲間になりたいと訪ねてきた。近衛府長官で、『水滸伝』中の最大の悪役である高俅(こうきゅう)の罠にはまり、人殺しをしてしまい、やむを得ず逃げてきたのだ。その半年後には今度は大物の豪傑が7人も梁山泊を訪ねて来た。晁蓋(ちょうがい)、呉用(ごよう)、公孫勝(こうそんしょう)たちで、北京(ほくけい)長官・梁中書(りょうちゅうしょ)から東京の宰相・蔡京(さいけい)に送られた誕生祝いの財宝を略奪するという大事件を起こし、梁山泊を頼ってきたのである。
こうして次から次と新しい豪傑が加わることで梁山泊の規模は巨大化し、組織も生まれ変わった。
最終的に、この組織の頂点に立ったのは総頭領の宋江(そうこう)である。宋江は豪傑としての腕前はそれほどではないのだが、とにかく義理堅く、人望があり、どんな荒くれ者もその名を聞いただけで平伏してしまうという不思議な存在である。ほかに有名どころでは、軍師の呉用、大魔道師の公孫勝、さらに魯智深(ろちしん)、武松(ぶしょう)、楊志(ようし)、戴宗(たいそう)などが集まった。108人の豪傑には順位付けがあり、役職も決まった。ある意味、一つの独立国のようなものを作ったのである。
だが、梁山泊はただの豪傑集団では終わらなかった。何度となく梁山泊を討伐しようとして果たせなかった朝廷はついに梁山泊の山賊全員を「招安」するという手段に出た。「招安」というのは、朝廷が退治できない強敵に官爵や褒美を与え、朝廷の配下にするというものだ。
ここに梁山泊の砦は解体され、108星以下十万の山賊たちはみな朝廷に帰順した。そして、梁山泊の軍団はそのまま朝廷の軍団となり、宋国の領土を侵害していた北方の遼(りょう)国や田虎、王慶、方臘(ほうろう)といった中国国内の巨大反乱軍と戦うことになったのである。しかし、戦いには勝利したものの、梁山泊の豪傑たちもその多くが戦死してしまったのだった。
→竜虎山 |
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