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フランボワイヤン・ワールド
中国神話伝説ミニ事典/地名編
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桜蘭
ロウラン
歴史
 古代中国西域のシルクロードのオアシス都市として栄えた幻の王国。タクラマカン砂漠東方、さまよえる湖として有名なロプ・ノールの畔にあった。現地での名前はクロライナ。
 楼蘭王国がいつ建国されたかはわかっていないが、司馬遷(しばせん)の『史記』「匈奴(きょうど)列伝」の記載から、紀元前176年までには匈奴の支配下にあったことが知られている。紀元前120年ころからは漢(かん)帝国が積極的に西域経営に乗り出し、匈奴を駆逐していった。紀元前77年、楼蘭は漢の属国となり、名を鄯善(ぜんぜん)と改めた。このころの楼蘭は約1500戸、1万5000人が住む中規模のオアシス都市だったといわれる。
 鄯善となってからは楼蘭はシルクロード交易の中継基地としてそれまで以上に発展した。1世紀にはシルクロードの南道に沿って且末(ちゃるちゃん)国や精絶(ニヤ)国まで併呑し、広大な領域を支配した。4世紀末には仏教の僧侶だけで4000人いたという記録もある。
 しかし、漢帝国も滅び、魏晋(ぎしん)時代を経て、中国そのものが漢民族と異民族で分裂した五胡(ごこ)十六国時代になったことで、楼蘭の運命も変わった。5世紀に入ると北魏に滅ぼされた北涼(ほくりょう)が楼蘭に押し寄せるなど、致命的な事件が起こり、445年に王国は滅亡した。しかも、この後、新しいシルクロードのルートも発展したことで、オアシス都市としても忘れられることになった。こうして、楼蘭は廃墟となって砂漠に埋もれ、完全に失われた王国となったである。
 20世紀初頭、スウェーデンのスウェン・ヘディンおよびイギリスのスタインが、ほとんど同時に楼蘭をはじめとするいくつもの遺跡を発見したことで、改めて注目されることになった。
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