小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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はじめに |
『水滸伝』は天罡星36柱、地煞星72柱の生まれ変わりとされる108人の豪傑たちが次から次と破天荒な大活躍をするとんでもなく長い物語だ。
豪傑の活躍といっても『南総里見八犬伝』のような勧善懲悪の物語ではない。水滸伝の豪傑には無邪気で単純で一直線なのが多い。昔の中国の民衆の目で見られた豪傑なので、真面目に生きている貧しい人々を苦しめるような奴等が許せないのである。ちょっと金があるくらいでいいきになって人を苦しめる者がいれば、出かけていって簡単に懲らしめてしまう。間違って殺してしまうことも、もちろんある。相手が役人だろうと遠慮はしない。貧しい民衆から吸い上げた金で悠々としている役人がいれば、機会を見つけてその金銀財宝を略奪する。酔っぱらった挙げ句に素手で虎退治をしてしまう豪傑もいれば、人殺しが趣味のようなどうしようもない豪傑も登場する。
『水滸伝』にはこうした豪傑たちの活躍が詳細に書き記されている。『水滸伝』は大長編小説であって、当然、小説の全体を貫くストーリーもある。しかし、その大半の部分は、個々の豪傑たちを主人公にした、全体のストーリーとはあまり関係のない物語によってできあがっているのだ。これは『水滸伝』という小説の生い立ちと関係がある。
『水滸伝』は昔の中国で起こった実際の事件をもとに、長い時間をかけて現在の形に成長したものである。その昔、中国にあった宋は北宋と南宋の時代に分けられる。この北宋の最後の皇帝・徽宗の宣和年間(1119~1125)に、現在の山東省のあたりに強盗の一味が登場し、大いに暴れ回った。この一味の頭領が宋江という名で、配下が36人だったのだ。彼らは官軍さえも討ち負かし、安徽省、江蘇省、河北省、河南省にも侵入した。この盗賊集団の末路は、官軍に投降したとも朝廷に帰順して方臘の反乱を鎮圧したともいわれていてはっきりしない。しかし、この盗賊集団の活躍が民衆の想像力を刺激し、豪傑たちの物語がどんどんと膨らんでいくことになった。
南宋時代(1127~1279)の随筆『酔翁談録』に、『青面獣』(楊志)、『花和尚』(魯智深)、『武行者』(武松)などといった講談の題名が記されている。青面獣の楊志、花和尚の魯智深、武行者の武松というのは、現在の『水滸伝』にも登場する大物の豪傑である。これらの豪傑の物語は、宋江の事件とは関係なしに、古くから説話のような形で民衆の間で語られていたものではないかともいわれている。そのへんははっきりしないのだが、このことからわかるのは、『水滸伝』全体のストーリーとは関係なしに、豪傑たちひとりひとりを主人公とした、それだけで十分に楽しめる物語が作り上げられてきたということだ。
元代(1271~1368)になると、これまでに書かれた個々の物語をまとめた『大宋宣和遺事』という歴史読み物も登場する。総大将の宋江のほかに36人の豪傑が登場する物語で、内容は簡略だが、豪傑たちが梁山泊に結集し、朝廷のために方臘を討伐するという枠組みができあがっている。この時代に人気のあった演劇の中には、36人の大頭領の下に72人の小頭領がいたというセリフもあり、『水滸伝』のメンバーが108人になったこともわかる。
これが現在あるような小説『水滸伝』としてまとめられたのは、明代(1368~1644)のことだ。著者は施耐庵とも羅貫中ともいわれる。ただし、この小説にも大きく分けて2種類ある。『水滸伝』では物語全体が何回かに分けて語られるが、現在日本で翻訳されている『水滸伝』にはこの回数が100回のものと120回のものがある。小説後半の戦記物語の部分に遼国戦争と方臘討伐が語られるのが百回本で、百二十回本では遼国戦争と方臘討伐の間に田虎討伐と王慶討伐の話が追加されている。中国には豪傑たちが梁山泊に集まった段階で話が終わってしまう七十回本というのもあって、中国人の間ではこれが一番人気があるという。
『水滸伝』はこのようにしてできあがってきた小説なので、ひとりの豪傑の活躍を見るだけでも十分に楽しめる内容になっている。というより、ひとりひとりの豪傑の活躍を見ることが、『水滸伝』を読む楽しみといってもいい。108人の豪傑たちは、それぞれがいろいろな活躍をしたあとで、最終的には梁山泊という山賊の寨(とりで)に結集するが、108人が梁山泊に結集したあとの物語は、こんなことをいっては何だが、多少退屈なところもある。108人も豪傑がいると、ひとりひとりのすごさが見えなくなってしまうからかもしれない。やはり、豪傑というのは、集団でいるときよりも、ひとりでいるときの方が輝くのである。
そこで、本稿では、『水滸伝』に登場する108人の豪傑たちのひとりひとりにスポットをあて、それぞれ別個に紹介することにした。108人も豪傑がいると、その中には“どうしてこれが豪傑なの?”と思いたくなるような者もいるのだが、この108人は数万から十万を超えるような山賊たちを率いていたのである。たとえ108人の中では目立たなくとも、それなりの敬意を払わなければいけないだろう。
『水滸伝』は日本では江戸時代の中頃から一般でも親しまれるようになり、大いに人気を博した。その人気は明治以降も続いた。現在はかつてほどには読まれなくなったようだが、江戸時代の中期以降に日本で作られた物語に登場する豪傑たちは、その原型を『水滸伝』に持っているといってもいいほどだ。
本稿を読んで、そんな豪傑たちの素顔に触れ、楽しんでいたただければ幸いである。
なお、本稿を書くにあたっては、基本的な資料として、平凡社から出ている駒田信二訳の『水滸伝』と岩波書店から出ている吉川幸次郎・清水茂訳の『完訳水滸伝』を用いた。駒田氏訳の方は120回本の翻訳、吉川氏・清水氏訳の方は100回本の翻訳である。これらの業績に感謝すると同時に、あらかじめことわっておきたい。
草野 巧
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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