小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
2位 |
持ち場 |
梁山泊の総頭領 |
特技 |
棍棒 |
あだ名 |
玉麒麟(ぎょくきりん) |
出身地・前歴 |
北京・大質屋の主人 |
麒麟とは想像上のすぐれた霊獣のこと。北京きっての大富豪で、身の丈九尺(270cm)、棍棒の腕は天下無双という河北の傑物なので、玉麒麟と呼ばれた。 |
梁山泊第二位なのに活躍の場の少なかった大豪傑 |
盧俊義は天罡星のひとつ天罡星が生まれ変わった好漢である。
梁山泊の正殿・忠義堂の前には、梁山泊総頭領の盧俊義を表す「河北玉麒麟」と宋江を表す「山東呼保義」の2本の旗が翻っている。だが、登場するのは百八星の中でも90番目とかなり遅く、とんでもない大物のわりにはそれに見合った活躍をせず、どこにも取り柄がないという印象さえある。梁山泊集団は何がなんでも宋江に義理を尽くす好漢たちの集団なので、宋江に匹敵する地位の豪傑が特別目立った活躍をしては困るという物語的事情もあるかも知れない。梁山泊入りした盧俊義に宋江はしきりに第一位の座を譲りたがるが、宋江周辺にいる主だった好漢たちの誰一人として盧俊義を支持しないところなど、盧俊義の魅力のなさの現れかも知れない。梁山泊上位三十六名の星をひとまとめにして呼ぶ天罡星と、盧俊義の個人的な星の名が同じなので、少し奇妙な感じがするが、このことにとくに意味はない。 |
盧俊義の物語 |
◆‘易者’呉用を呼んで運勢を占わせる
盧俊義は32才で、北京にある大質屋の主人をしており、数多くの使用人を抱えていた。その年の5月、その店先に流れ者の易者と付き人がやってきた。この易者というのは実は梁山泊の呉用が変装したもので、付き人は李逵だった。これより一ヶ月ほど前、梁山泊の総頭領だった晁蓋が曽頭市との戦争で傷を受けて死亡し、梁山泊で供養が営まれた。このとき司祭を務めた河北の僧侶から盧俊義の名をきいた宋江は、是非とも河北の傑物として知られる盧俊義を仲間に加えたいと考え、呉用と李逵を派遣したのである。晁蓋が死んだことで、宋江は梁山泊の仮の総頭領となっていたが、内心では自分は総頭領にふさわしくないと考えていた。宋江が盧俊義にこだわったのは、盧俊義の方が名実ともに梁山泊の総頭領にふさわしいと思えたからでもあった。
さて、こういうわけで呉用と李逵が変装して北京にやってきたのだが、二人は盧俊義の店の前に来ると鈴を鳴らし、「運勢を占いますぞ、見料は銀一両。身の行く末を占いますぞ」と繰り返した(第61回)。銀一両というのは高かったが、これを聞いた盧俊義は、それ相当に学があるんだろうと考え、店の者に易者を呼びにやらせた。
呉用は盧俊義に呼ばれると店に入り、李逵を表の間に待たせておいて奥の間に入り、テーブルを挟んで盧俊義と向かい合って席を取った。「福には興味はありません。災いを占ってほしいのです。どんなことでもおっしゃってください」と盧俊義はいった。呉用は占い道具を取り出してテーブルに置き、しばらく占ってから、「や、これはどうしたことか」と叫んだ。「これは間違いなく百日以内に刀剣の災いに襲われますぞ。財産どころか、命までなくなる。」と呉用がいうと盧俊義は驚き、「どうすればいいでしょう」と問う。「北京から東南方に千里向こうへ逃れるのです。いま、あなたの運勢の占い歌を教えますから、壁に書いておいてください。やがて、わたしの占いに感謝することになるでしょう」と呉用はいった。盧俊義は筆を執り、いわれるままに四句の歌を白壁に書き付けた。「蘆花叢裏一扁舟(蘆花のしげみのうちの一扁の舟)/俊傑俄従此地遊(俊傑にわかにこの地において遊ぶ)/義士若能知此理(義士もしよくこの理を知らば)/反躬逃難可無憂(身をかえりみ難を逃れて憂いなし)」。それから盧俊義は礼を言って呉用らを送り出した。
◆東南方へ旅に出て梁山泊に捕らえられる
翌日、盧俊義は数十人もいる店の大番頭・小番頭、それに腹心の部下の燕青を呼び出し、前日の占いの話をし、東南方に千里の旅に出ると宣言した。旅に出るにあたっては、旅先で商売もしたいので第一の大番頭の李固と店のもの数人を連れていき、燕青には残って家のことを取り仕切ってほしいといった。これを聞いたものは驚き、誰もが反対した。「そこへいくには梁山泊の近くを通らなければなりませんから、あまりに危険です。もしかしたら、梁山泊の悪党がご主人を罠にはめに来たのかも知れないじゃないですか」と燕青はいったが、盧俊義はきかなかった。「そんな馬鹿なことがあるものか。それに梁山泊など恐くもない」と応えた。妻の賈氏(かし)が反対すると、盧俊義は「女なんかに何がわかるか」といい、李固が、「わたしは近頃脚気をわずらい、長旅はできません」というと盧俊義は怒りだし、「うるさい。わしがそうするといったらそうするんだ」と怒鳴りつけた。
盧俊義はすぐにも李固に命じ、10台の車に数十頭の馬の用意をさせて旅の準備を整え、四日目に出発した。数日後、盧俊義一行はある宿に泊まった。翌朝早くに出発しようとしたとき、宿の者が、「ここからしばらくいくと梁山泊の入口にさしかかります。とにかく気をつけた方がいいですよ」といった。これを聞いた盧俊義は、「そうか、もうすぐか」というなり、荷物の中から白い旗を取り出し、それを竹竿に結びつけた。旗には、「北京の盧俊義ここにあり、ただただ強人を捕らえんと欲す」と書かれていた。それから盧俊義は李固らに向かい、「わしが宋江のやつを捕まえてやるぞ」といった。これにはみんなが驚いた。李固は地面に頭をすり付けて、「旦那さま、後生ですからいますぐ北京に帰らせてください」と懇願し始めた。盧俊義は「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや、とはこのことだ。わしは今日まで自分の腕を振るう機会を待ち続けていたんだ。これで念願がかなうんだ。反対する者がいたらいますぐ切り捨ててやるぞ」と怒鳴りつけた。こうして、盧俊義は配下の者たちを追い立てるようにして宿を出発した。
しばらくして山道になり、一行が大きな森の近くまでくると、ふいに口笛の音が響きわたった。すぐにも四五百人の山賊たちが森の中から飛び出してきて、盧俊義一行の退路をふさいだ。「きやがったな」と盧俊義は威勢よく朴刀を構えた。このとき、呉用とともに盧俊義の屋敷を訪ねてきた李逵が前方に飛び出してきて、「おれらの作戦にまんまとひっかかったな。さっそく仲間入りしてもらおうか」と叫んだ。盧俊義は、「何をいうか。わしはおまえらを捕まえるためにやってきたんだ」と叫び、すぐにも李逵に襲いかかった。二三合渡り合っただけで李逵が逃げ出したので盧俊義が追いかけると、今度は林の中から太った和尚が飛び出してきた。「わしは花和尚の魯智深だ。盧俊義どの、ようこそ梁山泊にいらっしゃった」と叫んだ。ところが、魯智深もまた盧俊義と少しばかり打ち合っただけで逃げ出し、今度は武松が現れた。この武松も同じようにして逃げ出すと次には劉唐、穆弘、李応の三人が盧俊義を取り囲んだ。戦い続けて盧俊義が汗だくになったころ、どこかで銅鑼が鳴ってこの三人も逃げ出した。このとき、盧俊義は旅の荷物を運んできた店の者や人夫や荷車がなくなっているのに気がついた。すぐに、遠くの方を山賊たちが車や馬や李固たちを連れ去っていくのが見えた。盧俊義は追いかけた。と、またしても目の前に2人の賊が現れた。朱ドウと雷横だった。戦うとすぐ2人が逃げ出したので、盧俊義は追っていった。坂のあたりで二人が見えなくなり、上の方から板をうち鳴らす音が聞こえてきた。見れば坂の上の方に「替天行動(天に替わりて道を行う)」と刺繍された黄旗がひるがえっている。その下に宋江、呉用、公孫勝がたち、後ろには数百人の部下が従っていた。「泥棒どもめ、わしをだましたな」と盧俊義が叫ぶと、後ろの方から花栄が姿を現し、「大きな口をたたくものではありませんぞ」と怒鳴り、弓を構えた。その矢が盧俊義のかぶっていた笠の房を射抜いた。びっくりした盧俊義が逃げ出すと山上から軍勢が押し寄せてきた。盧俊義は行き先かまわずやみくもに逃げ回り、湖の畔に出たころにはすでに日も沈みかけていた。このとき、湖に漁師の乗った一艘の小舟が現れた。「こんな時間にこんなところで何をしているんです。ここは危険な場所ですよ」と漁師はいった。「道に迷ったんだ。舟に乗せて安全な町の近くに運んでくれないか。十分に礼はするから」と盧俊義はいった。それならと漁師は舟を岸に寄せ、盧俊義を乗せて湖の中に漕ぎだした。ところが、しばらくするとどこからか三艘の舟が近づいてきて、盧俊義の乗った舟を取り囲んだ。泳げない盧俊義がそわそわしていると、盧俊義を乗せてくれた漁師が笑い出し、「わたしは梁山泊の李俊というものです。そろそろ降参したらどうですか」といった。とっさに盧俊義が朴刀で斬りかかると、李俊は棹をつかってバック転し、水の中へ飛び込んだ。ここへ、船尾の方に水の中から別な男が現れ、「浪裏白跳の張順なり」というや、舟をゆすってひっくり返した。泳げない盧俊義はもはやどうすることもできず、張順に抱えられて岸へ連れていかれた。
◆梁山泊に無理矢理もてなされ二ヶ月も滞在する
岸に上げられた盧俊義はそこで新しい着物を着せられ、駕篭に乗せられて道を進んだ(第62回)。間もなく、馬に乗った宋江、呉用、公孫勝が提灯を持った一隊を率いて盧俊義を迎えに出てきた。一行は三つの関門を越え、しばらくして梁山泊正殿忠義堂の前についた。堂に上がったとき、宋江が盧俊義の前に進み出て今回の無礼を詫び、「あなたのような方にお目にかかることができて、大変嬉しく思っています」といった。さらに宋江は、梁山泊の第一の頭領になってくれるよう、盧俊義に勧めた。「わたしは殺されても当然の身なのに、どうしてそんなことをいうのです。その言葉には従えません」と盧俊義はいった。「まあ、それについてはあとでまた相談すればいいでしょう」と呉用がいい、すぐに酒食が用意された。盧俊義はいまさら逃げるわけにもいかないので、みなにつき合って何杯か飲み、この日はすぐに床についた。
翌日になると、盧俊義を歓迎する宴はさらに盛大なものになった。この席でも盧俊義は宋江や他の頭領たちから山寨に留まるように勧められたが、「わたしはこれまで何の罪科もなく、故郷には財産もあります。山賊の仲間になどなる気はありません」といって断った。と、呉用が、「それなら無理強いはしませんが、せめて四五日でも滞在してくださらぬか」という。「わたしはかまいませんが、家族が心配します」と盧俊義がいうと、「では、李固たちだけ帰しておいて、あなたは四五日遅れでお帰りになればいい」と呉用が提案し、李固や人夫、車を先に北京に帰すことになった。盧俊義は、「家に帰ったら今回のことを妻によく話し、心配しないように伝えてくれ」といって李固を送り出した。このとき呉用は李固たちを見送ってくると盧俊義に嘘をついて金沙灘までついていき、「前々からの約束で、おまえの主人は今度梁山泊の第二位の椅子に着くのだ。家に帰ったら、出発前に盧俊義が白壁に書いた四句の詩を見てみるがいい。“盧俊義反(盧俊義が謀反を起こす)”という文字が隠されているから。わかったな、主人はもう二度と帰らないんだぞ」と李固に言い聞かせた。李固たちはこれを聞くと驚き、まるで逃げるように帰途についた。
この日の宴会は真夜中になって散会したが、翌日になるとまた盧俊義のための祝宴が開かれた。「今日こそお暇させていただきたい」と盧俊義はいったが、宋江はしきりに「明日はわたしが宴を主宰するので、辞退しないでください」と引き止めた。こうして、次の日には盧俊義は宋江主宰の宴に招かれたが、その次の日には呉用が、その次の日には公孫勝が宴を開くというふうにして、結局三十人ほどの主要な頭領たちが一日ごとに宴を開いたので、いつの間にか一ヶ月が過ぎてしまった。そこで盧俊義が今度こそ帰ろうと思っていると、地サツ星筆頭の朱武が頭領たちを引き連れて現れ、「われわれの地位が低いからといって、その酒が飲めないというのでは、何が起こるか保証はできませんよ」といいだした。やむを得ず盧俊義はさらに滞在を延ばしたので、いつの間にか北京を出てから二ヶ月が過ぎてしまった。「わかりました。明日お見送りすることにしましょう」とこのころになって宋江がいい、盧俊義はやっと梁山泊を出ることができた。
◆北京で捕らえられ梁山泊に救出される
梁山泊を出発した盧俊義は十日ほどで北京に着いたが、城門を閉ざす時刻を過ぎていたので、その日は城外の宿に泊まり、翌朝北京城へ向かった。と、町に近づいたとき、ぼろぼろの着物を着た男が走り寄って来て、地面にひれ伏した。燕青だった。「どうしたんだ、いったい」という盧俊義を燕青は物陰に誘い、「旦那さまが出発して半月ほどしてから李固が帰ってきましたが、李固は奥さまに、旦那さまは梁山泊の仲間になり、そこで第二の頭領になったと告げ、すぐに役所に訴えたのです。それから李固は奥さまと結婚しました。李固は奥さまと以前から関係があったのです。わたしはもちろん逆らいましたが、そのために家を追い出されてしまいました。わたしの親戚や知り合いも李固に脅されたので、わたしとはあってくれません。それでわたしは城外で物乞いをして暮らしていたのです。旦那さま、もし本当に梁山泊に加わったのでしたら、どうか梁山泊に戻ってどうすればいいか相談してください。いま城内に戻っても李固たちの罠にはまるだけです」といった。が、盧俊義は燕青を信じられず、「わしの女房はそんなやつではない」と怒った。それでも燕青が泣きながら訴えると盧俊義は燕青を足蹴にして城内へ向かった。
そうやって盧俊義が家に戻ると店の者たちはみな驚いた。盧俊義は、「燕青はどこだ」と辺りを見回していったが、妻の賈氏(かし)も他の者たちも何も説明しようとしない。「とにかくひと休みして、朝食をお取りください。それからゆっくりお話ししましょう」と李固がいうので、盧俊義もそうすることにした。ところが、ようやく食事の準備が整っていざ食べようというときになって、突然屋敷の中に数百人の捕り手の者たちが飛び込んできた。そして、あっという間に盧俊義は縄を掛けられ役所に引き立てられた。役所には北京長官・梁中書が待ち受けており、大勢の役人が並んでいた。賈氏と李固も控えていた。すぐに、「きさまは北京の住民のくせに、どういうわけで梁山泊の仲間になり、第二の頭領になどなったのか」と梁中書が怒鳴った。盧俊義は、呉用が易者に化けてやってきたことから今日までのことを正直に話し、あくまでも自分はだまされただけだと主張したが梁中書は信じない。それでも盧俊義が罪を認めないと梁中書は役人に命じて盧俊義を鞭打たせた。肉が裂ける痛みに盧俊義は数回昏倒し、ついに耐えきれなくなり、梁山泊の仲間になったと嘘の告白をした。供述書が取られ、盧俊義は死刑囚として大牢に送られた。
この大牢の牢役人に蔡福、蔡慶という二人がいた。この二人が盧俊義のためにあれこれと尽くしてくれることになった。というのも、盧俊義の身を案じた梁山泊から柴進と戴宗が派遣され、蔡福と蔡慶に大量の金を渡し、盧俊義のために働くようにと頼み込んだからだった。一方で、盧俊義の妻と結婚して店を乗っ取った李固も、盧俊義が死刑になるようにと役人たちに金をばらまいていた。両陣営から金を受け取った役人たちはずるずると判決を引き延ばし、最終的に盧俊義は北京から三千里も離れた沙門島へ流罪となることに決まった。これに驚いたのは李固で、すぐにも盧俊義の護送役人を見つけると、十分な賄賂を送り、北京からそう遠くないところで盧俊義を殺すように頼み込んだ。李固が大旦那だと知っていた二人は喜んでそれを引き受けた。
こうして、盧俊義は李固から賄賂をもらった護送役人とともに北京を出発した。護送役人たちは衣類の包みやその他の手荷物をみんな盧俊義の首枷に引っかけ、道々意地悪をしながら盧俊義を護送していった。その夜泊まった宿で、二人の役人はぐらぐらに煮立った湯をたらいに汲んできて、盧俊義をだまして足を洗えという。盧俊義が足を出すと役人の一人が無理矢理引っ張って熱湯の中へ突っ込み、盧俊義に大火傷を負わせた。この火傷のために盧俊義は痛くて眠ることができないのに、役人たちはさっさと眠ると翌朝早くに目を覚まし、すぐに出発だという。盧俊義は足一面に水ぶくれができ、痛くてまともに歩けず、何度となくよろよろした。と、護送役人たちは棍棒で盧俊義の腰を殴りつけた。盧俊義は我慢に我慢を重ねて歩いたが、しばらくして大きな森の近くまで来たとき、「もうだめです。歩けません」と訴えた。まだ夜明け前で道に人影はなかった。役人たちは盧俊義を森の中に連れていき、「早く起きすぎたので、おれたちも一眠りしたいが、おまえに逃げられたら困るからな。念のために縄を掛けさせてもらうよ」といった。そして、盧俊義を座らせて松の木の根元に縛り付けた後で、役人の一人が「おまえは森の外で見張りをしてくれ」といい、一人を森の外へ行かせた。残った一人は盧俊義に向かい、「おれたちを恨むなよ。李固という男におまえを殺すようにたのまれたんだ」といって手にした棍棒を振り上げた。これを聞くと盧俊義ももはやこれまでかと観念し、目を閉じた。
ところが、盧俊義が目を閉じている間にどこからか一本の矢が飛んできて棍棒を持った役人の胸に突き刺さった。この役人がどさっと倒れた音を聞いてもう一人の役人が戻ってくると二本目の矢が飛んできて、そののどに突き刺さった。間もなく誰かが盧俊義を縛る縄を切り裂き、首枷をたたき壊した。盧俊義が目を開けると、それは燕青だった。不思議がる盧俊義に燕青は、「ご主人のことが心配で城内に忍び込んだところ、李固が二人の護送役人に賄賂を使っているのを目撃したんです。これは何かあるぞと思いましたから、ご主人たちの後をずっとつけて来て、この森の中でご主人を殺そうとした役人たちを射殺したのです。ここまでやった以上はもはや梁山泊を頼るしかありません」といった。「だが、わしはもう歩くこともできないんだ」と盧俊義がいうと燕青は「わたしがおぶってまいります」といい、さっそく盧俊義を背負って東の方へ歩き出した。しばらくして若い燕青も疲れて、二人は小さな居酒屋に入ると部屋を借りて休むことにした。
ところで、盧俊義と燕青が森を離れてから、旅の者が森の中で殺されている二人の男を見つけ、北京の役所に届け出た。役所ではすぐにも森に役人を送って調査し、殺されたのが盧俊義の護送役人で、使われた矢が燕青のものだとつきとめた。そうとは知らない燕青は、店に飯の菜にするものが切れていると知ると盧俊義を残し、小鳥を取るために弓を持って出かけていった。と、間もなく大勢の捕り手たちが居酒屋を取り囲み、盧俊義は捕らえられて再び北京に連れ戻されてしまった。北京の役所では、今度こそ盧俊義が燕青とともに役人殺しをしたものと考え、翌日の昼に町の十字路で盧俊義を処刑することに決めた。一方、燕青は盧俊義が役人たちに捕らえられた後で、偶然にも梁山泊から盧俊義の消息を探りに来た楊雄と石秀に出会った。燕青から盧俊義の危機を知った二人は、楊雄が燕青を連れて梁山泊に戻ることにし、石秀がさらなる情報を得るために北京に侵入することにした。
いよいよ盧俊義の処刑が行われることになり、盧俊義が仕置き場の十字路に引き出され、首切り役人の蔡福、蔡慶が準備を整えたとき、石秀は十字路のそばの居酒屋の二階からその様子を見ていた。間もなく、役人の一人が「時間だぞ」といい、裁判所の書記が罪状を読み上げた。まさにこのとき石秀が大声で「梁山泊が参上したぞ」と叫んで二階から飛び降り、道をふさぐ者たちを刀で斬り捨てて盧俊義に駆け寄ると、盧俊義を抱き上げて逃げ出した。それにしても、石秀はもともと北京の道を知らず、盧俊義を抱えて逃げ切るというのは土台無理な話で、二人は間もなく捕り手たちに取り押さえられた。が、二人が梁中書の前に引き立てられたとき、石秀が「もうすぐ梁山泊軍が攻め寄せて来るぞ」といったので、役人たちはみな恐れをなしてしまった。さらに、翌日になると梁山泊が作成したビラが何百枚も北京城の内外にばらまかれた。その中に、盧俊義と石秀を殺すようなことがあれば北京を焼き尽くすと記されていた。こうなると、北京でも盧俊義と石秀を殺すわけにはいかなくなり、二人はとりあえず死刑囚の牢に入れられることになった。
こうして牢に入れられた盧俊義と石秀は翌年一月に梁山泊軍が北京を陥落するまで牢内に留まった。その日、救出されて正式に梁山泊入りした盧俊義に、宋江がまたもや山寨の主の地位を譲りたいと申し出た。李逵や武松が反対しても、宋江はどうしてもそうしたいという。盧俊義が拒絶してもさらにしつこく勧める。「それでは、後日なにか手柄を立てたときに、あらためて位の相談をしましょう」と呉用が割って入ったので、宋江もやっと満足した。
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梁山泊入山後の活躍 ◆戦争では自ら大軍団を率いて転戦した盧俊義 |
宣和2年 |
春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。盧俊義は燕青とともに兵を率いて曽頭市外の間道で伏兵となった(第68回)。戦いが激しくなったとき、二人は逃げてきた敵将・史文恭を捕らえた。
3月、宋江がまたしても盧俊義に梁山泊の主を譲るといいだし、宋江の考えで、宋江が東平府を、盧俊義が東昌府を攻め、先に城を落とした方が主になるという約束が交わされる(第69回)。この戦いで盧俊義軍は東昌府の張清に苦しめられ、先に東平府を落としていた宋江軍の力を借りることになり、盧俊義は梁山泊第二位の頭領で落ち着くことになった。
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宣和3年 |
夏、童貫率いる朝廷軍が攻め寄せる。盧俊義は石秀、楊雄とともに伏兵を率い、逃げてくる童貫の前に立ちふさがったが、捕らえることはできなかった(第77回)。
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宣和4年 |
3月、梁山泊が朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が始まり、盧俊義は宋軍の正将として出征した。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、盧俊義は右軍を総轄し、三十六名の頭領を率い、玉田県を攻め落とした(第84回)。
幽州での戦い。宋江軍と合流して薊州城を取ると幽州から敵が攻めてきた。軍師の呉用と朱武はこれは敵の罠に違いないと考えたが、宋江と盧俊義はこれを無視して敵を迎え打つために幽州へ兵を進めた。このとき盧俊義は十二名の将を率いて後方で戦い、戦ううちに左右が断崖絶壁に囲まれた青石峪という谷の中に閉じ込められてしまったが、援軍のおかげでどうにか危地を脱した(第86回)。
昌平県境の最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、盧俊義は燕青らとともに大将として敵の中軍に討ち入る一隊を率いた(第89回)。この戦いで盧俊義は敵将・耶律得華を討ち取った。
田虎討伐戦始まる。
田虎討伐戦のために宋軍が田虎支配地に近い衛州に結集すると、まず初めに盧俊義が十九名の将と一万の兵を率いて陵川城を攻め落とし、続けて高平県城も落とした(第91回)。高平県城攻略後、宋江軍と合流した。
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(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、盧俊義は正副の将四十名を率い、晋寧州、汾陽州を経て敵の本拠地威勝州へ向かった(第93回)。
晋寧州城の戦い。盧俊義は敵将・孫安と一騎打ちをし、わざと逃げ出して林に誘い込み、あらかじめ隠れていた伏兵にこれを捕らえさせた(第97回)。◎汾陽城攻略後、盧俊義軍は援軍に来た敵将・馬霊の妖術に苦しんだが、公孫勝の応援を得て、これを打ち破り、盧俊義は秦明、宣贊らとともに敵将・索賢、党世隆、凌光を討ち取った(第99回)。
介休県、平遥県、太原県を攻略後、宋江軍から派遣された瓊英(敵から寝返った女将軍)の一隊とともに威勝城を攻め落とした(第100回)。
王慶討伐戦始まる。◎山南州攻略後、宋軍の一部が西京州を攻めることになり、盧俊義がこれを率いて西京州を落とした(第108回)。
荊南州にいた宋江が病気になる。盧俊義は軍師の朱武とともに見舞いに駆けつけた。◎南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷くが、盧俊義はこれとは別に楊雄、石秀らとともに敵の背後に伏兵を敷いた(第109回)。この戦いで、盧俊義は敵の中軍に攻め込み、敵将・方翰を討ち取った。
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宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、盧俊義は正副の将四十七名を率いて宣州、湖州へ向かった(第112回)。
湖州攻略後、盧俊義は軍を二手に分け、自らは正副の将二十三名を率いて杭州の関所・独松関へ向かった(第114回)。その後、盧俊義軍は宋江軍と合流し、杭州を攻めた。
杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、盧俊義は正副の将二十七名を率いて歙州の関所・イク嶺関へ向かった(第116回)。
歙州攻略後、宋江軍と合流して敵の本拠地・清渓県で戦った(第118回)。
方臘討伐戦に勝利後、燕青と別れる。
方臘討伐が終わって宋軍が杭州まで戻ったとき、燕青がひそかに盧俊義を訪ねてきた。燕青は、「すでに大事を成し遂げたのですから、朝廷の官爵など求めようとせず、どこかひなびた土地で天寿をまっとうする、というのはどうでしょうか」と盧俊義を誘った。が、盧俊義は、「これから故郷に帰って錦を飾ろうというときに、どうしてそんな実のないことをいうのか」といって受け合わなかった。すると燕青はその夜のうちに荷物をまとめ、自分一人でどこへともなく立ち去ってしまった(第119回)。
9月、東京に凱旋する。 |
宣和6年 |
夏ころ、朝廷の悪臣に毒殺される。
盧俊義は東京に凱旋すると朝廷から廬州安撫使と兵馬副総管に任じられ、廬州へ赴いた。が、それから半年ほどもたったころ、蔡京、童貫、高俅たちが盧俊義殺害計画を練り、廬州の役人に盧俊義が謀反を計画していると朝廷に訴えさせた。盧俊義は朝廷に呼び出され、皇帝からあれこれと質問を受けた。このとき、盧俊義のために用意された食事に高俅たちが水銀を混ぜた。このため体に不調の起きた盧俊義は馬に乗れず、舟で廬州へ引き返した。この旅の途中、舟が泗州の淮河まできたとき、盧俊義は気晴らしをしようと立ち上がったが、水銀のために思うように身体が動かず、船から落ちて死んでしまった(第120回)。
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小説
イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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