ようこそ。ここは草野巧のホームページです。
フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
フランボワイヤン・ワールド・トップ水滸伝の豪傑たち目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。


天機星
てんきせい
呉用
ごよう
 梁山泊での順位  第3位
 持ち場  機密を管理する軍師
 特技  戦略
 あだ名  智多星(ちたせい)
 出身地・前歴  済州・家塾の教師
 まるで三国志演義の諸葛孔明のようにあらゆる書物に通じている物知りで、知略に富む人物なので智多星と呼ばれた。
梁山泊の陰の指導者ともいえる最高の軍師
 呉用は天罡星のひとつ天機星が生まれ変わった好漢である。
 字(あざな)は学究、 道号は加亮といい、梁山泊百八星の中ではずば抜けたインテリで、梁山泊の頭脳にあたる軍師として活躍した。宋江、盧俊義に次いで梁山泊第三位の地位にあるが、トップの二人はどこといって長所のない存在で、自分勝手に何かすると必ず失敗してしまうので、呉用こそ梁山泊の活動の中心にあった人物といえる。もともとは鄆城県城外の家塾(寺子屋)の教師に過ぎないが、とにかく何でも知っている優れた策士で、どんな難問でもこの人にかかれば解決できないものはないといった雰囲気がある。また、ときにはうまくいかないこともあるのだが、「いやなに、心配することはありません。こうすればいいのです」と平然として次の作戦を考えてしまうところなど、ちょっとユーモラスな感じもある。
呉用の物語
◆晁蓋らと生辰綱を略奪して梁山泊へ逃れる

 呉用は鄆城県郊外の大金持ちの屋敷で、子供たちを集めて勉強を教える家塾の教師をしていた。ある年の5月のはじめ、呉用が早朝から書斎にいると外の大通り大声で怒鳴り合う声がし、剣を打ち合う音が聞こえてきた。呉用が二本の銅錬(鎖状の武器)を持って門から出てみると、呉用もよく知っている捕盗係の都頭(隊長)・雷横が見知らぬ大男と朴刀で打ち合いを演じていた。呉用は銅錬を振り回して二人の間に割って入り、「お二人さん、いったいどうして争いなさる」(第14回)。すると見知らぬ大男は呉用をにらみつけ、「書生なんかが出てくるな」という。雷横は知り合いだったから、「実はかくかくしかじか」と説明を始めた。それによれば、雷横は昨夜その男を強盗か何かと勘違いして捕まえたが、実は東渓村の名主・晁蓋の甥だとわかった。そこで、男を解放してやることにしたところ、晁蓋が雷横にいくらかの心付けを与えた。ところが、男はこれが気にくわないので、その金を奪い返すために雷横を襲いに来たのだという。呉用は晁蓋とは子供のときからの友達だったが、甥がいるなどという話は聞いたこともなかったので、すぐにもこの話には裏があるなと感づいた。そこへ、晁蓋が慌てた様子で駆けつけてきた。晁蓋は大男を叱りつけ、その不始末を丁寧に雷横に詫びたので、どうにかケンカは治まり、雷横も去っていった。
 呉用がすぐに、「この大男さんはまったくすごい腕前だが、どこから見えた甥御さんですか」と晁蓋に尋ねると、晁蓋は「それについて実は相談したいことがあるので、うちへ来ていただけませんか」という。間もなく晁蓋の屋敷で座敷に招かれた呉用は、そこではじめて、この大男が劉唐という好漢だと知らされた。劉唐は、北京大名府長官・梁中書が、妻の父に当たる東京の宰相・蔡京の誕生祝いに十万貫もの金銀財宝を贈ると知り、どうせ悪いことをして手に入れた財宝なのだから奪い取ってしまおうと考えて、晁蓋のところを訪ねてきたのである。この話しに続けて晁蓋は、「わたしは昨夜、北斗七星がわたしの屋敷に落ちてくる夢を見ました。柄の部分から、一つの星が白い尾を引いて飛んでいくのが見えました。これはきっと何かいいことがあるに違いないのです」といった。
 呉用はうなずき、「何かあると思っていましたが、それはすばらしい話です」といい、それから「ですが、ここにいる3人では少なすぎる。せめて北斗七星くらいの数の好漢がいればいいのだが……。おおそうだ。すばらしい好漢が他にも3人いますぞ」と続けた。3人というのは梁山泊のほとりの石碣村で漁師をしている阮小二、阮小五、阮小七だった。「その3人ならばわたしも聞いたことがある」と晁蓋も喜んだので、すぐにも呉用が出かけていって3人を説得することになった。
 この説得はうまく行き、呉用は数日後には3人の好漢を連れて晁蓋の屋敷に戻ってきた(第15回)。晁蓋の屋敷の奥の間にそろった6名の好漢は、すぐにも一味同心して事にあたろうと誓いの儀式を行った。それから6人は酒を飲み始めたが、そのとき屋敷の下男がやってきて、表に晁蓋どのにあわせろといってきかず、暴れている道士がきていると伝えてきた。やむを得ず晁蓋が出ていき、小部屋に案内して話を聞いたが、実はこの道士というのが公孫勝で、やはり梁中書の生辰綱(誕生祝いの財宝)を奪い取りたいと考えて晁蓋を訪ねてきたのだという。こうして、公孫勝を加えた7人で、あらためて誓いの儀式が行われた(第16回)。このとき、公孫勝がもたらした情報で、生辰綱運搬隊が黄泥岡を通るという事がわかったので、黄泥岡に近い安楽村に住む白勝という者も8人目の仲間として加えることになった。「北斗七星の柄の部分から飛んで出た星というのがその男なのでしょう」と呉用はいった。人数が揃い、後はどうやって奪い取るかということだけが問題だったが、このときすでに呉用には確かな計画が浮かんでいた。それは商人に変装して生辰綱運搬隊を襲うというものだった。
 呉用の考えたその作戦はものの見事に成功した。6月4日、晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮氏三兄弟、白勝の一味は済州の黄泥岡で、白勝は酒売りに、残りの者たちは棗売り商人に変装して生辰綱運搬隊を待ち伏せた(第16回)。やがて楊志に率いられた生辰綱運搬隊がやってくると、棗売り商人になった阮小二らは白勝から酒を買って運搬隊の前でうまそうに飲んで見せた。これを見た運搬隊の兵士たちが売れ残った酒を飲みたがると、一味の者がとっさにしびれ薬を混ぜ、それを兵士たちに飲ませた。こうして生辰綱運搬隊の者たち全員が動けなくなったところで、晁蓋ら一味は財宝を荷車に積み、山を下りて逃げ出した。それから、呉用、公孫勝、劉唐は晁蓋とともに晁蓋の屋敷に戻り、阮氏三兄弟と白勝は分け前をもらって自分の家に帰っていった。
 その後、呉用は公孫勝、劉唐とともに晁蓋の屋敷に滞在し、毎日酒を飲みながら楽しく過ごした。ところが、そうやって十日ほどもたったある日の午前中に、以前から晁蓋と親しくつき合っていた鄆城県の押司(高級書記)・宋江が慌てた様子で晁蓋の屋敷に馬に乗って駆けつけてきた(第18回)。聞けば、黄泥岡での一件がばれ、白勝はすでに逮捕され、晁蓋の屋敷にも間もなく捕り手たちがやってくるのだという。ついさっき、済州からの使者が晁蓋逮捕を命ずる公文書をもって鄆城県の役所にやってきたが、偶然にも宋江がそれに関わったので、昔なじみのよしみで知らせに来たのである。「とにかく、大急ぎで逃げてくれ」宋江はこう言い残して去っていった。「こうなったら梁山泊に逃げ込むしか手はありません。われわれには大金があるんだから、それを贈れば仲間に入れてくれるでしょう」と呉用はいった。話が決まると、下男たちに金銀財宝を持たせて、呉用は劉唐と一緒に先に出発し、阮氏三兄弟の家に向かった。晁蓋と公孫勝は屋敷に残り、屋敷の整理をすませてから石碣村に向かうことにした。
 その夜、7人が阮小五の家に集合したとき済州府から派遣された五百人もの捕り手たちが迫ってきた。呉用らは阮氏兄弟の仲間の漁師にも手伝ってもらい、舟に分乗して梁山泊を目指した。このとき、阮氏兄弟や公孫勝が追手のほとんどを湖の中で殺してしまったので、間もなく7人は無事に梁山泊のほとりの朱貴の店にたどり着いた(第19回)。

◆林冲の不満を利用して梁山泊を乗っ取る

 朱貴の店でもてなされた7人は、翌朝、梁山泊の手下たちの出した舟に乗って金沙灘へわたった。山寨の頭領の王倫、杜遷、宋万、林冲たちがそこで7人を出迎えた。それから7人は山寨に案内され、贅沢な酒食でもてなされた。が、このとき呉用はあることに気がついた。酒を飲むうちに打ち解けてきた晁蓋はこれまでの経緯をこまかく頭領たちに説明したのだが、そのとたんに王倫の顔が曇り、考え込んだようになり、それからというも受け答えが上の空になったのである。夜、宴会が終わって宿舎に案内されたとき、晁蓋は歓迎されたことに大喜びだったが、呉用は素直には喜べなかった。「兄貴は本当にだまされやすい人です。王倫は最初の間こそわれわれに好意を持っていましたが、われわれがどれほど大変なことをやってきたかを兄貴が話してからというもの、その気持ちが変わってしまったのです。態度には出しませんでしたが、われわれを仲間にしたくないと思い始めています。頭領たちの中では禁軍の教頭だった林冲だけがそのことに気づいていて、そんな王倫に不満を持っています。ここにわれわれの付け入る隙があります」と呉用はいった。
 すると翌朝になってその林冲が呉用たちを訪ねてきた。7人は起き出して林冲を迎え、呉用が進み出て丁寧に昨夜の礼をいった。が、林冲は心から恐縮した様子で、「これほどの豪傑たちがやってきたというのに、十分な歓迎ができずに本当に申し訳ありませんでした。それというのも王倫が狭量な人間だからです。みなさんがどれほどの豪傑かわかってからというもの、王倫は自分の立場が危うくなることを恐れ初め、みなさんを仲間に入れることに乗り気でないようなのです」という。そこで呉用はその気もないのに、「それではやはり、わたしたちが出ていくしかないでしょう」といった。すると林冲は大いに驚き、「そんなことをされては困ります。そのためにわたしは来たのです。今日、王倫が山寨の頭領らしくみなさんを迎えることになればわたしは黙っています。が、自分勝手にみなさんを追い出すようなことがあったときには、必ずわたしがけりを付けます。ですからみなさんは出て行くなどといわず、すべてわたしに任せておいてください。それをお願いしに来たのです」といった。
 こんな事があった後、呉用らは山寨の頭領たちから宴に招かれ、水亭に設けられた席に着いた。このとき、呉用らはみな武器を懐に潜ませることを忘れなかった。やがて宴会が進んで昼過ぎになったころ、王倫が手下のものに命じて数個の銀塊を運んでこさせた。そして、それを呉用ら7人に差し出してから、「みなさんが梁山泊を訪ねてくださったことはとても嬉しく思います。ですが、梁山泊はみなさんのような大豪傑にはあまりに小さすぎる場所です」といい始めた。王倫が呉用たちを追い出しにかかったのである。と、このとき林冲が肩を怒らして立ち上がり、「この野郎め、おれがやってきたときも追い出そうとしたが、今度もまた同じことを繰り返すのか」と大声を張り上げ、王倫に近づいていった。「黙れ、おれは山寨の主だぞ」と王倫も怒って林冲を怒鳴りつけた。呉用らは争いをとめるふりをして立ち上がったが、実際にはそんな気持ちは少しもなかった。晁蓋と劉唐は王倫を守るようなふりをしながら、王倫が逃げられないように取り押さえた。阮氏三兄弟は杜遷、宋万、朱貴が止めに入らないようにひきとめた。呉用と公孫勝は「おやめなさい」と林冲を取りなしたが、邪魔するようなことはしなかった。困り果てた王倫は、「ものども、出会え」と叫んだが、このとき林冲が手に持った刀で一刺しに殺されてしまった。この様子を見た杜遷、宋万、朱貴の3人は分が悪いのをさとり、すぐにも呉用たちの前に平伏し、「わたしたちも仲間に入れてください」といいだした。梁山泊の手下たちにも文句を言い出すものはいなかった。こうして、呉用らは梁山泊にやってきた翌日に梁山泊を自分たちのものにしてしまった。そして、すぐにも席次が決められ、晁蓋が第一の頭領になり、続いて呉用、公孫勝、林冲、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七という順に決まった(第20回)。
梁山泊入山後の活躍
◆軍師として終始一貫梁山泊を指導し続ける
政和7年 7月、江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を救出する。

6月、江州にいた宋江が謀反の罪で捕らえられるという事件が起こった。江州長官・蔡九は父に当たる東京の宰相・蔡京に、宋江をどう処分すべきかを問う手紙を書き、これを牢役人・戴宗に運ばせたのだが、この戴宗が偶然にも朱貴の居酒屋を訪れたことから、梁山泊もこの事件を知ることになった。このとき呉用は宋江を救うために、蔡京から蔡九にあてた偽の手紙を作ることにし、蕭譲と金大堅を入山させて作成させた(第39回)。しかし、この手紙を戴宗に持ち帰らせてから、呉用は自分の失敗に気づいた。父が子に手紙を書くのに本名の印鑑を使う習慣がないのに、呉用は本名の印鑑を使った文書を作成させてしまったのである。このために戴宗までが江州で捕らえられることになったが、呉用はすぐに、好漢たちが変装して杭州城に侵入し、処刑場を襲う作戦を考え、梁山泊の好漢たちに宋江と戴宗を救出させた(第40回)。

7月ころ、宋江が故郷の老父と弟・宋清を梁山泊に招くために単身旅立つ(第42回)。呉用は宋江の身を心配し、すぐにも戴宗を送って宋江の様子を探らせた。このおかげで、宋江は故郷で捕り手たちに捕らえられそうになったのを梁山泊の好漢たちに救われた。
政和8年 1月ころ、祝家荘との戦争が起こる(第47回)。
この戦いで、梁山泊軍は祝家荘を攻めあぐねていたが、このころ孫立、解珍、解宝ら8名の好漢たちが祝家荘を倒す良策を手みやげにして梁山泊を訪ねてきた。呉用はすぐにも孫立たちを連れて梁山泊軍を訪れ、宋江に相談した上で、この地にやってきた新任の軍人のふりをして祝家荘に侵入するという作戦を孫立たちに実行させた(第49回)。続けて呉用は、李家荘の主人・李応とその支配人の杜興を梁山泊入りさせるため、裴宣、蕭譲、侯健、金大堅らを役人に変装させ、逮捕すると見せかけて李応と杜興を連れ出す作戦を実行させた(第50回)。

7月、朱仝を梁山泊入りさせる作戦を実行する。呉用は李逵、雷横とともに滄州を訪ね、密かに朱仝に会って梁山泊入りを持ちかけた。しかし、朱仝がこれを拒否すると、朱仝が面倒を見ていた滄州長官の愛児を李逵に殺させ、朱仝が滄州にいられなくなるようにして無理矢理に梁山泊入りさせた(第51回)。

秋、柴進を救出するため、梁山泊軍が高唐州を攻撃する。梁山泊軍は高唐州長官・高廉の妖術のために大いに苦しめられ、呉用はこの術を破るにはどうしても公孫勝を探し出すしかないと宋江に進言した(第53回)。そこで、戴宗と李逵が旅に出て、薊州にいた公孫勝を連れ帰り、梁山泊は公孫勝の力で勝利を得た。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍との戦う。呉用はその二度目の戦いに出征し、中軍で宋江とともに全軍の指揮を執り、呼延灼を破った(第57回)。

青州に雇われた呼延灼が白虎山の孔明を生け捕りにし、桃花山、二竜山、白虎山と梁山泊軍が共同して青州を攻める。呉用は宋江、花栄とともに夜になってから青州城外の丘の上に行き、城の様子を偵察するふりをして呼延灼をおびき出し、呼延灼を生け捕りにする作戦を実行した(第58回)。
宣和元年 2月、華州に捕らえられた史進救出作戦が実行される。呉用の作戦で西嶽華山に参詣する朝廷の使節団を装って華州長官・賀太守を華山に誘い出して殺すことが決まり、呉用自身も朝廷の高官に変装した(第59回)。

史進、朱武、陳達、陽春が兵を率いて芒碭山の山賊・樊瑞らを攻め、呉用は宋江とともに援軍を率いて出発し、苦戦する史進たちを助けた(第59回)。◎5月、盧俊義を梁山泊入りさせるため、呉用は李逵ととも北京を訪ね、易者に化けて盧俊義をだまし、盧俊義が梁山泊方面に旅に出るように仕向けた(第61回)。◎冬、北京に捕らえられた盧俊義と石秀を救出するために梁山泊軍が編成され、呉用は軍師として出征した(第63回)。
宣和2年 正月、再度北京攻撃軍が編成され、呉用はあらかじめ多数の好漢たちを北京城内に潜入させ、内外呼応して北京を攻撃する作戦を実行し、盧俊義と石秀を救出した(第66回)。

春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。
このとき宋江は、以前曽頭市との戦いで戦死した晁蓋が敵の史文恭を討ち取ったものを山寨の主にするという遺言をしていたので、是非とも盧俊義に史文恭を討ち取ってほしいと考え、盧俊義を先鋒にしようとした。呉用はそんなことになったら大変だと考え、盧俊義と燕青には兵を率いて間道で待ち伏せするように命じた。ところがここに史文恭が逃げてきて盧俊義に生け捕りにされてしまったので、戦後、宋江は盧俊義に主の座を譲るといいだした。呉用はそんなことばかりいっていてはみなの気持ちが離れてしまうと宋江に進言し、頭領たちにも目配せし、一緒に反対するように仕向けた(第68回)。

3月、宋江の発案で、宋江と盧俊義のどちらが主になるかを決めるために、宋江が東平府を、盧俊義が東昌府を攻めることになり、呉用は盧俊義の軍に加わった(第69回)。このとき、盧俊義軍は苦戦して宋江軍の応援を仰ぐことになるが、呉用はなぜか最初は少しも働かず、宋江がやってきてから敵将・張清を生け捕りにするため、糧秣船をおとりにして張清をおびき出す作戦を実行した(第70回)。
宣和3年 正月、呉用の反対を押し切って、宋江が柴進、燕青らと東京に灯篭見物に出かける。呉用は宋江の身を心配し、五虎将に千の兵を与えて東京に派遣した(第72回)。

4月、朝廷が梁山泊を招安するために第一回目の勅使を派遣するという情報が入る。宋江は大いに喜んだが、呉用は今度の招安は良い結果にならないだろうと予言した。朝廷の大軍に攻めてこさせ、大打撃を与えてから招安を受け入れた方が梁山泊には有利だというのが呉用の考えで、結果はその通りになった(第75回)。

夏、童貫率いる朝廷軍が攻め寄せる。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、呉用は中軍で宋江の側に位置した(第76回)。

秋、高俅率いる朝廷軍と戦う。二度目の戦いで、呉用は追カンの計を用い、梁山泊の軍団にたえず敵の背後から攻めたてさせ、敵を大いに痛めつけた(第79回)。
宣和4年 春、朝廷からの三度目の招安の勅使として宿太尉が梁山泊を訪れる。呉用は朱武、蕭譲らとともに済州まで出迎えに出かけた(第82回)。

3月、梁山泊が朝廷に帰順し、それを祝う式典が東京で行われる。このときほとんどの頭領が軍装で身を包んでいる中で、呉用は黒い頭巾をかぶり道服という恰好をしていた。他に独自の恰好をしていたのは、公孫勝、魯智深、武松だけだった(第82回)。

この直後、宋江、呉用、公孫勝たち十二名の将が兵を率いて梁山泊に戻り、建物の取り壊しなどを行った(第83回)。

4月ころ、遼国戦争が始まり、呉用は宋軍の軍師として出征した。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、呉用は宋江麾下の軍師となった(第84回)。

薊州攻略後、遼国が宋軍を招安したいと申し出たので、宋軍ではこの案を受け入れるようなふりをして宋江以下十数名の将が一万の兵を連れて敵の覇州文安県城に入った。呉用は遅れていったようなふりをして敵の関所を開けさせ、後続の攻撃部隊を関所の中に引き入れ、宋江らと呼応して文安県城を落とした(第85回)。

幽州での戦い。呉用と朱武が反対したにも関わらず、宋江と盧俊義が幽州に向けて軍を進め、盧俊義率いる一隊が青石峪という谷に閉じ込められてしまった(第86回)。その後、呉用は兵を三手に分ける作戦で、幽州城を攻略した(第87回)。

昌平県境の最初の戦い。呉用は九宮八卦の陣を敷かせたが、敵に打ち勝つことはできなかった(第88回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、呉用は宋江麾下の軍師となった(第93回)。

昭徳城攻略戦。敵将・喬道清の妖術に苦しめられると、呉用は守備隊として壷関に残っている樊瑞を呼ぶべきだと主張したが宋江はこれを無視して林冲、徐寧らとともに出陣し、喬道清の魔法のために危機に陥った。呉用はすぐにも王英、扈三娘らを率いて援軍に出て、宋江らを救出した(第95回)。

王慶討伐戦始まる。

山南州城攻略戦。呉用の作戦で李俊ら水軍メンバーと李逵、魯智深らが兵糧船に乗り込み、敵がこれを奪いに来るところに襲いかかって城を攻略した(第106回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、呉用は中軍で宋江の側に位置した(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。呉用は敵城に糧秣を納入する大商人の船団を装う作戦を立て、潤州城を落とした(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、呉用は宋江麾下の軍師となり、常州、蘇州へ向かった(第112回)。

江州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、呉用は宋江麾下の軍師として睦州に向かった(第116回)。

睦州の戦い。睦州城手前の烏竜嶺の戦いで解珍、解宝が戦死すると、呉用が反対したにも関わらず宋江は関勝、花栄らを率いてその死体を奪い返しに出発した。呉用はすぐにも李逵、魯智深、秦明らに命じて宋江の援護に出発させ、危機に陥った宋江を救出させた(第117回)。

9月、方臘討伐戦に勝利し、東京に凱旋する。
宣和6年 夏、毒殺された宋江に殉じて死を選ぶ(第120回)。
方臘討伐後、呉用は宋軍とともに東京に凱旋し、朝廷から武勝軍(州)の承宣使に任命され、すぐにも武勝軍に赴任した。ところが翌年夏のある夜、呉用は夢の中で宋江と李逵に会い、二人が高俅らの陰謀で朝廷から毒酒をたまわって毒殺され、楚州の高原に葬られたことを告げられた。翌日呉用は楚州へ旅立ち、宋江と李逵の墓を訪ねた。間もなく同じように不思議な夢を見た花栄がそこにやって来て、二人は再会した。このとき呉用が自分は宋江の恩義に報いるためにここで死のうと考えているというと、花栄もその後に従うと応えた。呉用は、「あなたには妻子があるのだからよく考えなさい」と忠告したが、花栄はきかなかった。こうして呉用は花栄とともに宋江の墓のそばの木に首をかけて死んだ(第120回)。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

Copyright(C) 草野巧 All Right Reserved