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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
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天間星
てんかんせい
公孫勝
こうそんしょう
 梁山泊での順位  第4位
 持ち場  機密を管理する軍師
 特技  槍棒
 あだ名  入雲竜(にゅううんりゅう)
 出身地・前歴  薊州・道士
 自由自在に風雨を呼び、霧にまたがってまるで竜のように雲にまでのぼることができるので入雲竜と呼ばれた。
梁山泊軍の勝利には絶対不可欠の無敵の道士
 公孫勝は天罡星のひとつ天間星が生まれ変わった好漢である。
 姓は公孫、名は勝。道号は一清。身の丈八尺の大男で、亀の甲羅の扇子を持ち、どんなときでも道士の恰好をしていた。もともと道士であって、風雨を呼び起こす程度の力があったが、梁山泊入山後に薊州二仙山の師匠・ 羅真人から五雷天コウの法を授けられ、大成長した。この五雷天コウの法は黒雲の中から金のよろいをつけた神の戦士を出現させて敵と戦わせるもので、敵にどんな強烈な魔法使いがいても無敵の力を発揮した。梁山泊は朝廷に帰順すると遼国、田虎、王慶、方臘の順に反逆者たちを討伐し、王慶討伐戦が終わるまでひとりの頭領も戦死しなかったが、その理由の最大のものが公孫勝の存在といってよかった。どこまでも我が道を行く男で、方臘討伐戦直前に十分に義理は果たしたといって梁山泊軍から離れ、二仙山に戻ってしまった。これによる梁山泊軍の戦力低下ははなはだしく、方臘討伐戦では数多くの戦死者が出た。
公孫勝の物語
◆生辰綱略奪計画を持って晁蓋一味に加わる

 公孫勝は幼いころから槍棒をたしなみ、武芸にも通じた道士だったが、以前から鄆城県東渓村の名主・晁蓋の名を知っており、いつかは知り合いになりたいものだと思っていた。そんなある年の5月ころ、公孫勝は北京大名府長官・梁中書が妻の父にあたる東京の宰相・蔡京に十万貫の生辰綱(誕生祝いの金銀財宝)を贈るという確かな情報を手に入れた。公孫勝はこの情報を手みやげにすぐにも晁蓋の屋敷を訪ねた(第15回)。
 ちょうどこのころ晁蓋の方でも別のルートから情報を得て生辰綱略奪の計画を立てており、そのために呉用、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七が晁蓋の屋敷に集まり、重要な相談をしていた。そんなこととはつゆ知らぬ公孫勝が晁蓋の屋敷を訪ねると、屋敷の下男が出てきて公孫勝に米を渡し、「今日は晁保正どのは忙しくて面会できない」という。 お斎(とき)をもらいにきたんじゃないと公孫勝がいってもらちが明かない。公孫勝はついに怒りだし、「馬鹿にするんじゃねえ」と大声を上げて下男を十人ばかり殴り倒した。そこへ屋敷の中からいかにも頑丈そうな男が出てきて、「道士どの、すでに斎米を出しているのにどうしてそんなに暴れるのです」という。公孫勝は笑いだし、「わたしが来たのは食い物のためでも十万貫のためでもない。晁蓋どのとじかに話がしたいからだ」といった。男は自分がその晁蓋だと名乗り、公孫勝を奥の座敷に招き入れた。
 やっとのことで晁蓋に会えた公孫勝は自己紹介をしてから、「以前から晁蓋どのにお会いしたかったのですが、このたび十万貫の手みやげができたので、それを持っておうかがいしたのです」といった。すると、晁蓋が「それは北京梁中書の生辰綱のことでしょう」とズバリといいあてた。公孫勝は大いに驚いたものの、「この宝物を何もせずに放っておいてはいけません。それについて晁蓋どののお考えは?」と話を進めた。ここへ一人の男が飛び込んできて、「そんな悪巧みをするとはまったく不届き千万なやつだ」と叫んだので、公孫勝は一瞬度肝を抜かれた。が、晁蓋は笑いだした。聞けば、この男というのが呉用で、公孫勝が来る前から晁蓋とともに生辰綱を奪う計画を立てていたのだという。奥の間には劉唐や阮氏三兄弟も待機していた。すぐに7人は奥の間に集まり、晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七の順に一味の席次も決められた。このときの話し合いで、公孫勝が生辰綱運搬隊が済州黄泥岡の街道を通るという情報を提供したので、黄泥岡に近い安楽村にすむ白日鼠の白勝という男も仲間に引き入れることが決まった。こうして、8人の好漢による生辰綱略奪が実行されることになった。
 この計画は見事に成功した。夏の盛りの6月4日、8名は黄泥岡にのぼり、運搬隊がやってくるのを待ち受けた。このとき、公孫勝たち7人は荷車をひいた棗売り商人に、白勝は酒売り商人に変装した。真昼頃、青面獣の楊志に率いられた生辰綱運搬隊が総勢14人で、旅商人の身なりをして黄泥岡を登ってきた。折りしも暑い日だったので、生辰綱運搬の兵士たちは疲れはて岡の上で休息をとることにした。そんな兵士たちの前で、晁蓋や公孫勝たちが白勝から一桶の酒を買ってうまそうに飲んでみせると、兵士たちは我慢ができなくなった。リーダーの楊志も、初めのうちは酒の中にしびれ薬でも入っていたら大変だと考え、兵士たちに酒を飲ませることを渋っていたが、棗売り商人たちが平気で飲むのを見て、ついに酒を飲むことを許可した。公孫勝たちは兵士たちの様子を面白そうに眺めていた。生辰綱運搬隊が酒を飲む直前に、公孫勝たちは相手の目を盗んでもう一桶の酒の中にしびれ薬を混ぜておいたからだった。間もなく、運搬隊の全員がしびれ薬で動けなくなったとき、公孫勝たちはいまだとばかり生辰綱の財宝を奪い取り、荷車に積んで山を下りた。(第16回)。
 この後、白勝と阮氏三兄弟は分け前を受け取って家へ帰っていったが、公孫勝は呉用、劉唐とともに晁蓋の屋敷に滞在し、毎日酒を飲みながら楽しく過ごした。ところが、そうやって十日ほどもたったある日の午前中に、以前から晁蓋と親しくつき合っていた鄆城県の押司(高級書記)・宋江が慌てた様子で晁蓋の屋敷に馬に乗って駆けつけてきた。聞けば、黄泥岡での一件がばれ、すでに白勝が逮捕され、すぐにもここに捕り手がやってくるという。「とにかく、大急ぎで逃げてくれ」宋江はこう言い残して去っていった。晁蓋たちはこれからどうすべきか相談し、「われわれには大金があるんだから、それを贈れば仲間に入れてくれるでしょう」という呉用の意見に賛成し、すぐにも梁山泊へ逃げることに決定した。話が決まると、下男たちに金銀財宝を持たせて呉用と劉唐が先に出発し、阮氏三兄弟の家に向かった。公孫勝は晁蓋とともに後に残り、屋敷の整理を手伝った。
 この夜、晁蓋と公孫勝がまだ荷物の整理をしているうちに、捕盗係隊長の朱仝と雷横が大勢の手下を引き連れて晁蓋の屋敷に近づいてきた。すかさず晁蓋は下男たちに命じて屋敷に火をつけさせた。ちょうどこのころ捕り手たちが晁蓋の屋敷に到着し、表門から攻め込んできた。公孫勝は晁蓋とともに下男たちを引き連れ、刀を振り回して大声を上げながら裏門から逃げ出した。ところで、この日晁蓋たちを逮捕にやってきた朱仝も雷横も晁蓋が立派な人物だと知っていたので、晁蓋たちを捕らえずにうまく逃がしてやろうと考えていた。そのおかげで、公孫勝も晁蓋も大した妨害もうけずに暗闇の中へ逃げ出し、無事に役人たちから逃れることができた。それから二人は阮氏三兄弟の住む石碣村へ向かい、阮小五の家でみんなと顔を合わせ、舟に分乗して梁山泊を目指した。途中、七人は済州府から動員された500人もの捕り手たちに舟で追いかけられたが、このとき阮氏三兄弟が小舟を操って追手を混乱させ、公孫勝が火を放った葦の茂みに強風を送ったので、敵のほとんどは死んでしまった。
 こうして、七人は無事に梁山泊へたどり着いたが、梁山泊の頭領王倫はこの七人がものすごい豪傑たちだと知ると、自分の立場が危うくなるのを恐れ、体よく七人を追い払おうとした。このとき、すでに梁山泊入りしていた林冲がこれに腹を立てた。かつて林冲が梁山泊に逃れてきたときにも、王倫はなんのかのと理由を付けて、林冲を追い払おうとしたからだ。七人を歓迎する宴の翌日、王倫がこの山寨は皆様方には小さすぎるなどといろいろと言い訳しはじめると、林冲はついに爆発して王倫を刺し殺した。晁蓋、呉用、公孫勝、劉唐、阮氏三兄弟も目立たぬようにこれに協力した。もとから梁山泊の頭領だった杜遷、宋万、朱貴の3人は分が悪いと見るやすぐにも寝返って晁蓋らの配下になることを望んだので、クーデターはあっさり成功した。そして話し合いの結果、晁蓋が新しい第一の頭領になり、続いて呉用、公孫勝、林冲、劉唐、阮小二、阮小五、阮小七という順に席次が決まった。
梁山泊入山後の活躍
◆敵の魔法使いを次から次と打ち破った公孫勝
政和7年 7月ころ、梁山泊入りしたばかりの宋江が老父と弟を梁山泊に呼び寄せる。これを見た公孫勝は自分自身の老母と師匠・羅真人のことを思い、百日のうちには必ず梁山泊に戻る約束をして故郷の薊州へ帰った(第42回)。が、公孫勝は百日たっても梁山泊に戻らなかったので、梁山泊からは戴宗が公孫勝を捜す旅に出たが、戴宗は公孫勝を見つけることはできなかった(第44回)。
政和8年 秋、梁山泊に戻り、高唐州に捕らえられた柴進を救出する。
7月ころ、梁山泊軍が柴進を救出するために高唐州を攻めたが、高唐州長官・高廉の妖術に苦しめられた(第52回)。高廉を打ち破るにはどうしても公孫勝が必要だったので、戴宗と李逵が再度公孫勝を捜して旅に出ることになった(第53回)。秋も終わりのころ、二人は薊州二仙山の麓でやっとのことで公孫勝を捜しだした。公孫勝は師匠の羅真人のもとで修行をしている身で、師匠の許可がなければ梁山泊に戻ることもできなかった。そこで、公孫勝は羅真人に二度お願いし、やっとのことで梁山泊へ戻る許可を得た。羅真人は公孫勝が梁山泊へ戻ることをあまり望んでいなかったが、出発に当たって公孫勝に五雷天コウの法を授けてくれた(第54回)。こうして、高唐州にいる梁山泊軍に加わった公孫勝はさっそく五雷天コウの法を使い、高廉を打ち破った。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。公孫勝は二度目の戦いのときに司令部にあたる中軍で働いた(第57回)。
宣和元年 2月ころ、史進、朱武、陳達、陽春が兵を率いて芒トウ山の山賊・樊瑞らを退治するために出征する。公孫勝は呉用、柴進らとともに宋江に率いられて援軍に出かけた(第59回)。山賊の頭領・樊瑞も妖術を使ったが、公孫勝がそれに対抗して妖術を使ったので、樊瑞配下の項充と李袞が梁山泊軍に捕らえられ、仲間入りすることになった(第60回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。公孫勝は凌振とともに北京城内に侵入し、時遷たちが城内を混乱させ始めたのと同時に、攻撃の合図の号砲を撃った(第66回)。

春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。公孫勝は呉用とともに軍師として曽頭市の本陣を攻める隊に加わった(第68回)。戦いの中で梁山泊軍が曽頭市南門を焼くために火をつけた車を押し出すと、公孫勝は術を使って風を起こし、炎を激しく燃え上がらせた。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。公孫勝は盧俊義麾下の軍に加わり(第69回)、黒い霧で天を覆い、敵将・張清を生け捕りにするのに貢献した(第70回)。

4月、108星が揃った梁山泊で晁蓋の供養が営まれる。公孫勝が大道士となって祭りを執り行った(第71回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍が攻め寄せる。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、公孫勝は呉用とともに中央の陣の宋江の前に位置を取った(第76回)。

秋、高俅率いる梁山泊討伐軍と戦う。二度目の戦いで、公孫勝は強風を起こし、敵大船団を混乱させ、敵将・劉夢竜を生け捕りにするのに貢献した(第79回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順し、それ祝う式典が東京で行われる。ほとんどの頭領が軍装で身を包んでいる中で、公孫勝は鶴の羽で作った上着に道袍という道士の恰好をしていた(第82回)。

宋江、呉用、公孫勝たち十二名の将が兵を率いて梁山泊に戻り、建物の取り壊しなどを行った(第83回)。

4月ころ、遼国戦争が始まり、公孫勝は宋軍の正将として出征した。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、公孫勝は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

薊州城攻略後、宋江が公孫勝の師匠の羅真人に会いたいといいだし、公孫勝は宋江他6名の将と一緒に二仙山を訪れた(第83回)。
二仙山に着くと公孫勝は宋江を羅真人に紹介した。このとき宋江が行く末のことについて尋ねると、羅真人は「将軍はその忠義心によって神明の加護を受け、後には必ず候となり、死後は神として祭られるでしょう。しかし、ご運が悪いので、いろいろと苦労することが多くなります。ことを成し遂げたあとには身を引くことが大切です」と忠告した。また、公孫勝の処遇について、「わたしの弟子の公孫勝はみなさんと同じ星の生まれなので、やむを得ず仲間に入っていますが、本来なら世俗と縁を絶つのが当然の身です。いま引き止めることはしませんが、十分な働きをしたあとにはここに戻らせますから、どうかお許しください」と宋江に依頼した。これを宋江が受け入れたので、方臘討伐戦を前に公孫勝が二仙山に戻るといいだしたとき、宋江は引き止めることができなかったのだった。

幽州での戦い。宋江とともに青石峪に閉じ込められた盧俊義一隊を救出する。宋江一隊が青石峪の入口に着いたとき、敵将・賀統軍(かとうぐん)が妖術を使って雲を起こし、谷の入口をふさいでしまったが、公孫勝が「えいっ!」と一喝するとその雲がすっかり晴れてしまった(第86回)。

幽州城攻略後、遼国から兀顔小将軍が兵を率いて攻め寄せてくる。公孫勝は術を使い、宋軍の陣の真ん中に巨大な壁や無数の火の塊、黒雲などを巻き起こし、呼延灼が兀顔小将軍を生け捕りにするのを手伝った(第87回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、公孫勝は軍中にいて術を使い、強風を起こして石や砂を飛ばした(第89回)。

田虎討伐戦始まる。◎宋軍は敵地に近い衛州に結集し、そこから進軍する。公孫勝は呼延灼、関勝ともに守備隊を率いて衛州城に残った(第92回)。

昭徳城下の戦い。

昭徳城攻略後、宋江軍が敵の魔法使い・喬道清に苦しめられたことから、公孫勝は急遽宋江に呼び寄せられた。前線では喬道清が妖術で無数の神兵を出現させて宋江の軍を苦しめていたが、公孫勝が一喝するとそれらの神兵はただの紙の切れ端になって空から舞い落ちてきた(第95回)。喬道清はさらに黒竜、青竜、赤竜を出現させるが、公孫勝が黄竜、白竜、大鵬を出現させて戦うので何の効き目もない。困り果てた喬道青はついに逃げだし、百谷嶺という山に逃げ込んだ。ところで、この喬道青は公孫勝と同じ羅真人の弟子だったので、間もなく公孫勝が同門だということが判明すると潔く宋軍に投降した(第97回)。

王慶討伐戦始まる。

宛州での戦い。宛州に屯営中、兵たちが酷暑のために疲れているのを知った公孫勝は術を使って酷暑を払い、涼しい風を起こして兵たちに休息を与えた(第105回)。

荊南州紀山の戦い。公孫勝は宋江、呉用とともに戦争の指揮をとった(第107回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、公孫勝は呉用、宋江とともに中軍に位置した(第109回)。この決戦に勝利し王慶を捕らえた宋軍は南豊州で盛大な慶賀の宴を催し、公孫勝が祭司として祭りを執り行った(第110回)。

仲間と別れ、二仙山に帰る。王慶討伐戦後、宋軍は東京に凱旋し、城内を行進した。この夜、城外の宿営に戻ったとき、公孫勝は宋江を訪ね、宋軍を離れて山に帰ることを告げた。すぐにも頭領たち一同がそろって別れを惜しむ宴席がもうけられ、餞別の品々を公孫勝に送った。その翌日、公孫勝は故郷に帰り、修行を再開した。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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