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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
地魁星
ちかいせい
朱武
しゅぶ
 梁山泊での順位  37位
 持ち場  機密管理に協力する副軍師
 特技  謀略
 あだ名  神機軍師(しんきぐんし)
 出身地・前歴  定遠州・華州華陰県少華山の山賊の第一の頭領
 兵法に精通しており、謀略にたけていたので神機軍師と呼ばれた。
地煞星ながら謀略にすぐれた山賊の頭領
 朱武は地煞星のひとつ地魁星が生まれ変わった好漢である。
 朱武は華陰県少華山で、山賊たちの第一の頭領をしていた。少華山には朱武の他に第二の頭領・陳達、第三の頭領・陽春がいた。最初、この三人は九紋竜史進の物語におまけのように登場してくるので、三人とも二流の豪傑のような印象がある。しかし、地煞星の中では筆頭に位置するだけあって朱武だけは違っている。彼は梁山泊が朝廷に帰順して後に起こる戦争の場面で、呉用を補佐する軍師として、その才能を発揮する。戦争では、梁山泊軍団はしばしば左右両軍に分かれ、それぞれ宋江と盧俊義に率いられて別行動を取った。このとき、盧俊義軍には朱武が軍師として加わる。このため、盧俊義軍にあっては作戦の多くが朱武の頭脳にかかってくるので、朱武はなくてはならない存在になっている。とくに、遼国戦争において敵の繰り出す陣形を次々と見破る場面などは圧巻で、これが九紋竜史進の手下だった山賊の朱武なのかと思わせる。
朱武の物語
◆史進に捕らえられた陳達を謀略で救出する

 朱武は史進の住む史家村に近い少華山で盛んに活動していた山賊たちの頭領で、四五百人の手下がいた。その隆盛振りは華陰県の役所でも手に負えず、山賊の頭領である朱武、陳達、陽春の首には三千貫の賞金がかけられた。朱武は華陰県を敵にするには山寨の蓄えが心許ないのを心配し、一稼ぎして兵糧をため込んでおこうと頭領たちに提案した(第2回)。陳達は、それなら華陰県の役所を襲おうといったが、朱武も陽春も反対した。華陰県の役所を襲うには史家村を通らなければならないが、そこには史進という虎のような豪傑がいるのでただではすまないと考えたからだ。しかし、向こう意気ばかり強い陳達は朱武らの反対を押し切り、たった一人で手下の者百四五十人を引き連れて史家村に押し掛けていくと、案の定史進に敗れて簡単に捕らえられてしまった。
 逃げ帰った手下から事態を知らされた朱武は、みんなで押し掛けていって史進と戦おうという陽春を押し止め、ある策略を提案した。それから、朱武と陽春は2人で史家村へ出かけると歩いて史進の屋敷の前にやってきた。そして、山賊が来たという知らせで馬に乗って飛び出してきた史進の前にひざまづいていった。「われわれ三人は生まれた日こそちがえ、死ぬときは一緒と申し合わせました。(『三国志演義』に登場する)関羽、張飛、劉備と志は同じつもりです。今日、陳達があなたに捕らえられたのを知り、一緒に死ぬためにまいったのです」実はこれが朱武の作戦だったのだが、そうとは知らぬ史進は三人の義侠心に大いに感激し、陳達を解放した上で三人を座敷に上げてもてなした。そして、これ以降は朱武らと史進は互いに贈り物をしあうような親しい関係になった。

◆史進、魯智深を救出して梁山泊へ

 それから二ヶ月ほどたった八月、史進が山賊と親しくしているということが役所に知られてしまった。十五夜の夜に、史進は山賊の頭領を招いて屋敷で月見をしたが、ちょうどこのとき役人たちが史進の屋敷を取り囲んだ。史進に恩のある朱武は自分たちを縛って役所に突き出せば巻き添えにはならないと申し出た。しかし、史進にそんなことができるはずもなく、ついに屋敷に火をつけると、下男たちを引き連れ、朱武らとともに少華山へと逃げ延びた。山寨に入った朱武はこうなった以上はこの山寨の主になってくれないかと史進に勧めた。史進は一度はこれを断り、武芸の師である王進を頼って旅に出たが、やがてその望みが絶たれると再び少華山に舞い戻った。そして、これ以降は朱武は史進のもとで第二の頭領として山賊家業に励むことになった。
 それから4年以上が過ぎた春華州の賀太守が王義という絵描きに無実の罪を着せたことを知った史進が、賀太守を殺しにいって逆に捕らえられてしまうということが起こった(第58回)。朱武らが途方に暮れていると、梁山泊入りしたばかりの魯智深と武松が、少華山の頭領たちに梁山泊入りを勧めるために訪ねてきた。そこで、朱武が史進が捕らえられた事情を話したところ、これを聞いた魯智深が朱武や武松が止めるのもきかずにたった一人で史進を救出するために華州に出かけてしまった。朱武は魯智深の身に何かあっては大変だと思い、手下の者二人に命じてあとから様子を探りに行かせた。すると、しばらくして手下が戻ってきて、魯智深までが華州で捕らえられてしまったことを報告した。これには朱武も武松も驚いたが、ちょうどこのとき魯智深と武松の様子を探るために梁山泊から派遣された戴宗が少華山にやってきた。戴宗は武松から事情を聞くとすぐにも梁山泊に報告した。こうして、史進と魯智深を救出するために梁山泊が乗り出すことになった。このおかげで、史進と魯智深は救出され、これを機に朱武は史進、陳達、陽春らとともに手下を引き連れて梁山泊入りした(第59回)。
梁山泊入山後の活躍
◆呉用を補佐する副軍師として戦争で活躍する
宣和元年 2月、梁山泊入りした直後に、朱武は史進、陳達、陽春とともに徐州芒碭山の山賊・樊瑞と戦う。強力な敵の前に朱武らは敗走し、あとからやってきた梁山泊の援軍が樊瑞らを退治した(第59回)。

5月ころ、北京に住む盧俊義を梁山泊入りさせるための作戦が実行される。呉用の作戦で盧俊義が梁山泊にやってくると、まず天罡星の頭領たちが盧俊義を引き止めるために毎日宴会を開いた。1ヶ月ほどして盧俊義が北京に帰りたいと言い出すと地煞星筆頭の朱武は、「末席とはいえわれわれも梁山泊の兄弟です。われわれの酒が飲めないというのですか」といって、盧俊義を無理矢理引き止める働きをした(第62回)。
宣和4年 2月、梁山泊の招安が決まり、勅使として宿太尉がやってくる。朱武は呉用、楽和、蕭譲とともに済州で宿太尉と目通りした(第82回)。

3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、朱武は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、朱武は盧俊義麾下の軍の軍師となった(第84回)。

玉田県での戦い。朱武はどのような地勢にも対応できる“長蛇”の陣形を構えた。そして、敵が“五虎山による”という陣形を構えると、すぐにもそれを見破り、“鯤(こん)化して鵬となる”という陣形で対応した。しかし、この戦いで盧俊義軍は敗れ、援護に駆けつけた宋江軍のおかげで玉田県を落とした(第84回)。

幽州での戦い。朱武と呉用が反対したにも関わらず、宋江と盧俊義が幽州に向けて軍を進め、盧俊義率いる一隊が青石峪という谷に閉じ込められてしまった(第86回)。

昌平県境での最初の戦い。呉用の考えで梁山泊軍が九宮八卦の陣を構えると、敵は次々といろいろな陣形を作り出し、陣形の勝負を挑んできた。朱武は宋江、呉用とともに雲梯の上から敵の陣形を見て、敵が新しい陣形を構えるやいなや、「太乙三才の陣」「河洛四象の陣」「循環八卦の陣」といって次々にそれを見破り、敵をうならせた(第87回)。

◎田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、朱武は軍師として盧俊義麾下の軍に編入された(第93回)。

王慶討伐戦始まる。

山南州城攻略戦。朱武は呉用とともに雲梯の上に立ち、城攻めについて宋江にアドバイスした(第106回)。

山南州城攻略後、盧俊義が一隊を率いて西京州を攻めることになり、朱武は軍師としてこれに従った(第107回)。

西京城攻略戦。西京城には奚統軍という陣法に詳しい将軍がいたので、朱武は盧俊義に進言して、循環八卦の陣を敷かせた。これを見た奚統軍があざ笑って孔明の六花の陣を敷くと、朱武は循環八卦の陣を孔明の八陣の形に変形し、見事に賊軍を打ち破った(第107回)。

荊南州で宋江が病気になる。朱武は盧俊義とともに荊南州まで見舞いに出かけた(第108回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、朱武は軍師として盧俊義軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、朱武は盧俊義指揮下に独松関へ向かった(第114回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、朱武は軍師として盧俊義麾下の軍に編入され、歙州へ向かった(第118回)。

歙州昱嶺関(イクレイカン)の戦い。朱武は時遷を裏道から関所の向こう側へ派遣し、伏兵がいそうな木々の茂みを焼き払わせ、さらに関所に向けて砲架を撃たせ、すでに宋軍が関所を越えたように見せる作戦を実行し、昱嶺関を落とすのに貢献した(第118回)。

9月、方臘討伐戦に勝利し、東京に凱旋する。朱武は朝廷から官爵を授けられたが辞退し、まず初めに樊瑞のもとで道法を学んだ。その後、二人で流浪し、公孫勝のもとで出家して天寿を全うした。
 小説
イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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