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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
フランボワイヤン・ワールド・トップ水滸伝の豪傑たち目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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天雄星
てんゆうせい
林冲
りんちゅう
 梁山泊での順位  第6位
 持ち場  騎兵軍五虎将
 特技  槍棒
 あだ名  豹子頭(ひょうしとう)
 出身地・前歴  東京・近衛兵の槍棒の教頭(武芸師範)
 年齢は三十四五歳、身の丈八尺を越える大男で、燕のように両あごが張っており、頭が豹に似ているので豹子頭と呼ばれた。
近衛軍の武芸師範第一の槍棒の使い手
 林冲は天罡星のひとつ天雄星が生まれ変わった好漢である。
 大物の豪傑たちの中で一番最初に梁山泊入りし、初期の梁山泊で最も活躍する大豪傑である。もともと八十万禁軍(近衛兵)の槍棒の教頭(武芸師範)としてよく知られた存在で、しかも腕前は教頭の中でも一番だった。ところが、悪役高俅が彼を罪人として流刑にしたあげく、刺客を送って彼の命を狙わせた。このために林冲はやむなく殺人を犯し、梁山泊へ逃れる。こうして、林冲が加わったことで、古くからある梁山泊がまったく別な梁山泊へと変わりはじめ、やがて百八星が集う豪傑たちの巣窟となるのである。ちなみに身の丈八尺とか豹に似ているとかいう彼の体つきや顔つきの描写は『三国志演義』の張飛のものと同じで、林冲が扈三娘と戦う場面では、みなが林冲のことを小張飛と呼んだと記されている。これだけでも林冲が特別な豪傑だとわかる。
物語
◆高俅の罠にはまって滄州へ流される

 林冲は八十万禁軍の槍棒の教頭で、首都・東京で暮らしていた。ある日、林冲は妻と供の者を連れて東嶽廟に参詣に出かけた。その途中、大相国寺の菜園のあたりまで来たところで、林冲は立ち止まった。菜園の中にひとりの大男がいて、周りにいるごろつき風の連中に長さ五尺もある禅杖を振り回して技を見せていたのだ。林冲は妻と供の者だけを東嶽廟に行かせ、自分はその場で大男の技を見物した。その技があまりに見事だったので、林冲は思わず「まったく大した腕前だ」と称賛した(第7回)。
 この大男というのは実は魯智深だった。渭州で肉屋の鄭を殺した魯智深は、五大山文殊院で出家したものの、大酒を飲んで追い出され、大相国寺の菜園の管理人になっていたのである。このとき、魯智深は周りの連中から自分の腕前を褒めたのがものすごい槍棒の先生だと聞かされると、すぐにもひとりの者に命じて林冲を呼びにやらせた。こうして、林冲は魯智深と知り合いになった。
 ところが、林冲が菜園の中で魯智深に勧められて酒を飲んでいると、東嶽廟に行っていた供の者がやってきて、真っ青な顔をして「旦那様、大変です。奥さまが廟で誰かと言い合いをしています。おかしな男が奥さまを放そうとしないのです」と叫んだ。これを聞いた林冲は「いずれまた」といっただけで魯智深と別れ、大慌てで東嶽廟へ行った。すると、五嶽楼の階段付近に数人の男たちがいて、その中の若いひとりが階段から下りて来ようとしている林冲の妻の前に立ちふさがり、「さあ、二階でちょっと話でもしよう」としきりに誘っていた。林冲は男の背後から近づくと肩を引っ張り、「人の女房に何をするか」と怒鳴りつけ、拳を振り上げた。ところが、見れば相手の男は林冲の長官である高俅大将の養子の高衙内という男だった。この男はもともと高俅の従兄弟だったが、子のない高俅が引き取って養子にしたので、それ以来いい気になって好き勝手なことばかりしているのだった。さすがの林冲も相手が高俅の養子とあっては後でどんな目にあわされるかわからないのでぐっと怒りを飲み込んだ。これを見た高衙内の取り巻き連中は驚き、「教頭様、勘弁してやってくれ。若様は何も知らなかったんだ」といって林冲をなだめ、高衙内に対してもあれこれ気を使いながら一緒に引き上げていった。
 しかし、この事件が林冲の運命を変えることになった。高衙内は林冲の女房がいい女なので思いは募るばかり。ここに富安という側近が登場し、林冲の親友である陸虞侯を使って林冲を誘いだし、その隙に女を手に入れてしまえばいいと言い出したが、この試みも失敗し、高衙内は恋煩いが高じて病気になってしまった。そこで、ついに高俅が乗り出してくることになった。
 ある日、林冲が町を歩いていると一人の大男が刀を売っているのに出会う。しかも売っていたのはすばらしい名刀。林冲がすぐにも一千貫で買い取ると、その翌日に高俅の使いが来て、是非名刀を見たいから屋敷に持ってきてくれという。林冲は刀を持参し、使いの者にいわれたとおり奥の間に入る。が、そこは帯刀が禁止されている重要な部屋だった。びっくりした林冲はすぐにも引き返そうとしたが、このとき早くも高俅が現れ、「こんなところで何をしている、さては本官を殺しに来たな」と一喝すると、すぐにも捕り手たちが現れて林冲は捕らえられ、裁判の結果顔に刺青をした上で滄州の牢城へ流されることになった。もはや生きて帰れる望みはないと考えた林冲は、将来妻が再婚できるようにと彼女を離縁してから出発した。このとき、2人の護送役人が林冲を護送することになるが、高俅は陸虞侯を通じて林冲を殺すようにと彼らに命じた(第8回)。
 旅に出て数日後、2人の護送役人は早くも行動を開始した。その夜、ある村の宿に泊まると彼らは林冲のために足を洗う湯を用意したが、たらいの中には煮え湯を入れておいた。そして、林冲の足を無理矢理にその中に押し込んでひどい火傷を負わせたのである。その翌日、彼らは火傷のためにほとんど歩けない林冲を引きずるようにして旅を進め、途中にあった林の木に林冲を縛り付けた。が、役人の1人が棍棒で林冲を殴り殺そうとしたまさにそのとき、木の陰から鉄の禅丈が飛んできて役人の棍棒を打ち飛ばした。林冲が見ると、そこにいたのは魯智深だった。2人の役人が東京の酒場で林冲殺しを依頼されたとき、魯智深は偶然、その会話を聞いていて、密かに林冲らの後をつけてきていたのである。おかげで林冲は一命を取り留め、魯智深は2人の役人ににらみをきかせながらこの後も滄州の近くまで林冲らについてきたので、護送役人らもついに林冲殺しをあきらめるしかなかった。
 滄州からそう遠くない場所で魯智深と別れた林冲はそのまま真っ直ぐ旅を続ける予定だったが、途中の居酒屋で有名な柴進の名を聞くとその屋敷を訪ねることにした。酒屋の主人から、流刑の罪人ならば歓迎されると聞かされたからだった。こうして、柴進の屋敷を訪ねた林冲は、そこで洪教頭という口先ばかりの豪傑と棒の試合をして見事に打ち破り、真の豪傑振りを見せつける。柴進とも意気投合し、数日間も歓待され、牢城の長官や役人への手紙と十分な銀子を与えられ、再び滄州へ向かった(第9回)。

◆命をつけ狙う奴等に恨みを晴らす

 滄州の牢城についた林冲は、柴進から与えられた手紙や銀子を牢城の役人たちに渡したことで、天王堂の堂守りという牢城でも一番楽な仕事に就くことができ、しばらくはのんびりと自由に暮らした。滄州の街では林冲が以前助けてやったことのある李小二という男が夫婦で居酒屋をやっており、いろいろと世話を焼いてくれた。
 が、やがて冬になったころ、滄州に陸虞侯がやってきた。陸は偶然にも小二の店にはいると、牢城の 典獄と 番卒頭を呼び出して2人に林冲殺害を依頼した。この会話の一部を耳にした小二は、何だか怪しいと思って林冲に伝えた。
 それから間もなく、林冲は典獄からまぐさ置き場に配置替えになったことを伝えられ、番卒頭と一緒に吹雪の中をまぐさ置き場に向かった。これも楽な仕事だといわれたが、着いてみるとまぐさ置き場の小屋はいまにも崩れそうで、北風にゆらゆら揺れるという代物だった。あまりに寒かったので林冲は囲炉裏に火をくべた後、酒を飲みに街に出かけたが、夕暮れに戻ってみると小屋が雪の重みでつぶれていた。仕方なく、林冲は雪の下から布団を引っぱり出し、近くの廟に入り込むと、買ってきた酒を飲んで寒さをしのいだ。と、しばらくして外で火が燃える音がし始める。見れば、燃えているのはまぐさ置き場のようだった。軍のまぐさ置き場に火を出したとなれば死罪は確実だったので、林冲はすぐにも駆けつけようとしたが、このとき廟の扉の外で何者かが話す声が聞こえた。なんと番卒頭と陸虞侯と富安の3人が「罠にはめて、ついに林冲を殺しましたね」といって喜んでいたのである。これを聞いた林冲、すぐにも扉を開けて飛び出すと「悪党どもめ」と叫んで次々と3人を斬り殺した(第10回)。
 こうして恨みを晴らした林冲ではあるが、人を殺した以上は逃げるしか道はなかった。林冲は槍を手にしたまま雪の中を東に向かった。しばらく行くと闇の中で焚き火を囲んで酒を飲んでいる百姓たちに出会った。林冲は寒かったのでそこで火に当たり、酒を飲ませてくれと頼んだが、百姓たちは酒はやれないという。林冲はこれに腹を立て、槍を振り回して百姓たちを追い払うとしこたま酒を飲み、ついに酔いつぶれてしまった。ここに百姓たちが戻ってきて林冲を縛り上げ、大きな屋敷へ連れていった。ところがこの屋敷というのが以前に知遇を得ていた柴進の別荘。こうして、林冲は救われることになった。
 柴進はすぐにも縄を解かせると林冲をもてなし、林冲がどこか身を隠す場所を捜していることを知るやすぐにも梁山泊に行くことを勧める。柴進は梁山泊の頭領たちと親しい仲だったので彼らに宛てて手紙を書き、その上で鷹狩りの一団を編成するとその中に林冲を紛れ込ませ、無事に滄州から送り出してくれた(第11回)。

◆古い梁山泊に革命を起こす

 滄州を出た林冲が済州の水郷地帯に着いたのは冬も終わりのころだった。そこで居酒屋を見つけた林冲は酒を飲みながら給仕に梁山泊へ行くにはどうしたらよいか尋ねるが、給仕にも良い方法が見つからない様子。不運続きの林冲はこれにがっかりし、『義に仗(よ)るは是れ林冲……』と八句の詩を白壁に書いた。と、店の奥から1人の男が現れ、「豹子頭の林冲だな」と声をかける。実はこの男こそ梁山泊の頭領の一人の朱貴で、居酒屋を経営しながら梁山泊の見張り役をしていたのだった。こうして朱貴と出会った林冲は翌朝には梁山泊へ連れて行かれ、 聚義庁で第一の頭領王倫や杜遷、宋万らと会うことができた。
 ところが、王倫というのが器の小さい人間だった。林冲が禁軍の武芸師範だったことを知った王倫、もしも林冲が梁山泊入りすれば自分の地位が脅かされると考えた。そして、あなたにはもっと立派な山寨がふさわしいだろうなどといい出し、林冲の梁山泊入りを認めようとしないのである。朱貴、杜遷、宋万がこれをいさめ、やっとのことで「それなら試験をしよう」といい出した。3日以内に誰かの首をひとつ取ってくれば、梁山泊入りを認めるというのだ。そんなことは簡単と思った林冲はすぐにも山を下り、街道に出て旅人を待ち受けたが、2日待っても誰もやってこなかった。
 3日目の午後、もう駄目かとあきらめかけたとき、顔に青あざがあり、手には朴刀を持った大男が現れた。これ幸いとばかり林冲も朴刀を持って立ち向かったが、どういうわけかこの男がやたらと強かった。2人は30合も打ち合ったがそれでも勝負はつかなかった。「しばらく待たれよ」このとき、山の高みから声が響いた。林冲が戦っていると知らせを受けた王倫が配下の者たちを連れて見に来ていたのだった。その王倫が青あざの男にいった。「あなたは青面獣というあだ名の楊志殿では?」「そのとおり」と男は応えた。それから王倫は楊志も誘って山寨に戻った。林冲だけでは手に負えないので、楊志も梁山泊に入れて2人をいがみ合わせれば自分は安泰だと王倫は考えたのである。しかし、いくら王倫に誘われても楊志には梁山泊入りの気持ちはなかった。彼はいまは流れ者の身だがもとは役人で、東京に帰って復職しようと考えていたのだった。そのため、間もなく楊志は旅立ってしまい、林冲は楊志との戦いぶりによってとにかく梁山泊入りを認められたのである(第12回)。
 林冲が加わってから、梁山泊の頭領の順位は王倫、杜遷、宋万、林冲、朱貴と並ぶことになった。そしてしばらくはこれまでどおりの山賊生活が続いた。
 やがて夏になった。ある日、梁山泊を頼って晁蓋、吾用、公孫勝、劉唐、阮氏三兄弟(小二、小五、小七)の七人が逃れてきた。楊志の運搬していた生辰綱を奪ったことが発覚し、捕り手に追われたためだった。林冲は彼らがみな豪傑だとわかると内心喜んだ。が、器の小さな王倫はまたしても真の豪傑たちが山寨入りをするのを喜ばなかった。彼は豪傑たちを迎えると大いにもてなしたものの、それは形だけだった。その翌日、一同が水亭に集い、正式に入山の話をしようとすると、王倫はまたしてもこの山寨はあなた方には小さすぎるなどといい出し、体よく追い払おうとする。すかさず、「きさまという奴は、俺のときもそうだったが今度もまた同じようなことをいいやがる」と叫んだ林冲は王倫に歩み寄り、懐にひそませた刀で刺し殺した。晁蓋らは前日のうちに林冲がそんなことをやりそうだと予感していたので、目立たぬように杜遷、宋万、朱貴が動かぬように引き止め、林冲に協力した。この事件によって梁山泊の体制は完全に一新され、晁蓋、吾用、公孫勝、林冲と並ぶ新しい順位ができあがった。
 それから間もなく、林冲は妻のことを思いだし、山寨に迎えたいと考えて腹心の部下に迎えにいかせた。が、林冲の妻は高衙内との縁談を無理強いされてもう半年も前に首をくくって自殺してしまっていたのだった。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐後杭州で病に倒れる
政和5年 梁山泊へ逃げた晁蓋一味を捕らえるために済州の兵が攻め寄せる。林冲は敵の軍馬600頭以上を奪う活躍をした(第20回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争に参加する(第47回)。林冲は扈三娘を生け捕りにする活躍をした(第48回)。祝家荘戦争に勝利したあとには、李家荘の李応と杜興を梁山泊に引き込むために蕭譲らが役人に変装して二人を逮捕すると見せかけて屋敷から連れ出した。林冲は宋江らとともにこの一団を襲ったふりをし、二人を梁山泊までつれてきた(第50回)。

秋、柴進を救出するため高唐州攻撃軍が編成される。林冲は花栄らとともに先鋒隊に加わった(第52回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。林冲は最初の戦いで敵の矢をうけて負傷し、養生のために戦線を離脱した(第55回)。
宣和元年 2月、華州に捕らえられた史進を救出するため、呉用の作戦で西嶽華山に参詣する朝廷の使節団を装って華州長官・賀太守を華山に誘い出して殺す。林冲はこの作戦の間に秦明らとともに華州城を攻撃した(第59回)。

4月ころ、第一回目の曽頭市との戦争が起こる。林冲は晁蓋が編成した曽頭市攻撃軍に加わった(第60回)。

5月ころ、北京に住む盧俊義を梁山泊入りさせるための作戦が実行される。呉用にだまされた盧俊義が梁山泊方面に旅してくると、林冲は軍勢を率いて盧俊義を襲った(第61回)。

秋、盧俊義と石秀を救出するための北京攻撃軍に加わる(第63回)。この戦いの途中、関勝の軍が梁山泊に攻め寄せたことがわかると、林冲らが後軍となって敵の追撃を防ぎながら、梁山泊軍は撤退した(第64回)。

関勝率いる梁山泊討伐軍と戦う。林冲は秦明とともに敵将・関勝と戦い、関勝を打ち倒すのは時間の問題となったが、宋江が太鼓を鳴らしてこの戦いを止めてしまった。宋江は関勝を殺すのは惜しいと考えたのだが、これには林冲も秦明も不満を持った(第64回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。林冲は北京攻撃軍に加わった(第66回)。

1月ころ、梁山泊討伐軍の指揮官に凌州の二将・単廷珪と魏定国が任命される。林冲は関勝、宣贊、郝思文、黄信とともに凌州近くで単廷珪、魏定国の軍を攻撃した(第67回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。林冲は宋江麾下の軍に編入され、東平府を攻め、敵軍指揮官・董平を生け捕るのに貢献した(第69回)。
宣和3年 正月。宋江が李逵たちと一緒に東京に灯篭見物に行く。林冲たち五虎将は呉用の命令で後から東京を訪れ、東京で捕まりそうになった宋江を救出し、梁山泊へ連れ帰る(第72回)。この直後、燕青と一緒に後から戻ってきた李逵が誤解から、宋江を大斧で殺そうとした。林冲たち五虎将を慌ててこれを遮り、李逵を忠義堂から引きずり下ろした(第73回)。

4月。朝廷が梁山泊を招安するための使者を派遣するという情報が入り、宋江が大いに喜ぶ。しかし、林冲は関勝や徐寧とともに朝廷に対する不信感を表した(第75回)。

夏。童貫率いる梁山泊討伐軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、林冲は大将として西門に位置する一隊を率いた(第76回)。

秋、高俅率いる梁山泊討伐軍と戦う。林冲は最初の戦いで敵将・王煥と引き分けた(第78回)

11月、高俅が海鰍船数百隻を率いて梁山泊に攻め寄せる。林冲は陸路を受け持つ盧俊義麾下の軍に編入され、敵の陸軍を追い払う(第80回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。林冲は宋江、呉用たちとともに兵を率いて梁山泊に戻り、建物の取り壊しなどを行った(第83回)。

4月。遼国戦争が起こり、林冲は宋軍の正将として出征する。

檀州城攻略戦。林冲は花栄たちと一緒に真っ先に飛び出し、敵将・阿里奇を生け捕った(第83回)。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、林冲は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊軍を招安したいという申し出があり、宋軍では宋江と一部の将兵が敵に寝返ったように見せる作戦を採る。林冲を含む十数名の将が一万の兵を連れ、宋江と一緒に敵の文安県城に入り、後続の部隊と呼応してこれを落とした(第85回)。

幽州での戦い。盧俊義率いる一隊が青石峪という谷に閉じ込められると、林冲は宋江、李逵らと救援に駆けつけた。林冲は敵将・賀拆をたった二合打ち合っただけで討ち取った(第86回)。

昌平県境での最初の戦い。林冲は朱仝らとともに敵の黒旗の陣を打ち破ったが、戦いには勝てなかった(第88回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天幻女の法を用い、林冲は大将として敵の木星の陣に討ち入る一隊を率いた(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

蓋州城攻略戦。林冲は黄信らとともに右軍を率いた(第92回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、林冲は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

壷関の戦い。林冲は敵将・伍粛を討ち取った(第94回)。

昭徳城攻略戦。敵将・喬道清の妖術のために林冲は徐寧や宋江とともに危機に陥ったが、不思議な土地の神によって救われた(第95回)。

襄垣県境の戦い。林冲は敵の女将軍・瓊英を捕まえようとしたが、瓊英の石つぶてを顔面に受けて逃げ帰った(第98回)。

昭徳州での戦い。敵の援軍が昭徳城を奪還しに来るという情報が入り、林冲は花栄らとともに騎兵軍を率いて途中で敵を待ち伏せし、撃退した。林冲は敵将・顧愷を討ち取った(第99回)。

宛州城攻略戦。林冲は董平らとともに伏兵となって宛州西方に陣を取り、北方から来た敵の援軍を撃退した(第105回)。

宛州攻略後、林冲は花栄らとともに守備隊として宛州城に残った。敵軍が宛州を取り戻すために攻めてきたが、林冲と花栄はすぐにも敵将二人を討ち取った(第106回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、林冲は大将として西門の一隊を率い、敵将・柳元を討ち取った(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、林冲は盧俊義麾下の軍に編入され宣州、湖州へ向かった(第112回)。

宣州城攻略戦。林冲は敵将・杜敬臣を討ち取った。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、林冲は盧俊義指揮下に独松関に向かった(第114回)。

独松関の戦い。林冲は敵将・蔣印を負傷させた(第115回)。

杭州城攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、林冲は盧俊義麾下に編入され、歙州へ向かった(第118回)。

方臘討伐戦に勝利後、杭州で病死する。方臘討伐戦に勝利した宋軍は東京への帰路に杭州城に立ち寄るが、このとき林冲は突然に中風にかかり、動けなくなった。このため、林冲は宋軍と別れて杭州の六和寺に残って武松の看病を受けることになったが、半年後に死亡した(第119回)。
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