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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
フランボワイヤン・ワールド・トップ水滸伝の豪傑たち目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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イオの末裔
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天威星
てんいせい
呼延灼
こえんしゃく
 梁山泊での順位  8位
 持ち場  騎兵軍五虎将
 特技  双鞭
 あだ名  双鞭(そうべん)
 出身地・前歴  前歴:汝寧州都統制(総指揮官)
二本の銅鞭を遣う名手だったので双鞭と呼ばれた。
梁山泊を最も苦しめた朝廷軍の総大将

 呼延灼は天罡星のひとつ天威星が生まれ変わった好漢である。
 姓は呼延、名は灼。河東の名将・呼延賛の嫡流の子孫で、汝寧州で多くの精兵と勇将を配下に率いていたときに高俅に推挙されて梁山泊討伐軍の総大将に任命された。梁山泊には最初は敵対しながら、後に寝返って仲間に加わった軍人が数多くいるが、これらの軍人の中でも梁山泊軍を最も苦しめたのが呼延灼だった。石つぶてで梁山泊軍を苦しめた没羽箭の張清の場合はあくまでも個人的戦闘能力が優れていたわけだが、呼延灼の場合は個人的能力はもちろん、軍を率いる司令官としても能力があった。登場したときは梁山泊相手にただひたすら戦い、梁山泊入山後は梁山泊のために戦い続けた純粋な軍人で、ほとんど戦争でしか活躍しない。
物語
◆連環馬の作戦を用いて梁山泊軍を圧倒する

 呼延灼は汝寧州の都統制として配下に数多くの精兵と勇将を持つ実力者だった。ある年の冬、汝寧州の軍司令部に東京からの使者が来た(第54回)。柴進を救出するために梁山泊軍が高唐州を攻め落とすという大事件があり、朝廷では急遽梁山泊討伐軍を編成することになったが、その総大将として呼延灼が指名されたのだという。呼延灼はすぐにも従者を引き連れて東京に向かった。東京についた呼延灼は皇帝から一日に千里を走るという名馬・踢雪烏騅(てきせつうすい)を下賜され、その後太尉・高俅らと梁山泊討伐について協議した。呼延灼は、「梁山泊はあなどれない強敵です。そこでわたしは二人の将を先鋒として採用することを提案します。陳州団練使の韓滔と穎州団練使の彭玘です」といった。「確かに、その二人が先鋒になれば勝利は確実だ」と高俅は大いに喜び、すぐにも陳州と穎州に使者が派遣された。十日ほどで韓滔、彭玘の二将が東京に到着し、再度軍事会議が開かれ、汝寧州・陳州・穎州の軍隊から精鋭を選び、騎兵三千、歩兵五千で梁山泊討伐軍を編成することが決まった。呼延灼、韓滔、彭玘はそれぞれ地元に戻って準備を整えると軍隊を汝寧州に集結させ、そこから梁山泊へとおしかけていった。
 一方、梁山泊でも偵察隊が梁山泊討伐軍の動きを察知すると、すぐにも軍を編成し、梁山泊を出て平原に陣を敷いた。
 梁山泊討伐軍では、前軍の先鋒だった韓滔がまず到着し、陣を敷き、自ら打って出て敵の先陣の秦明と戦い始めた。中軍の主将を務めた呼延灼は間もなく到着し、韓滔が不利なのを見ると双鞭を振り回して陣頭に駆けつけた。これを見た林冲が呼延灼に襲いかかったが、二人の実力派はまったく互角で、勝負がつかないまま二人とも引き上げた。このとき討伐軍後軍を率いる彭玘も到着し、花栄と戦い始めた。彭玘が劣勢になると花栄に替わって扈三娘が現れ、かけ縄で彭玘を生け捕りにしてしまった。呼延灼はすぐにも助けに出たが、扈三娘もかなりの腕で呼延灼と互角に戦った。と、扈三娘と入れ替わって孫立が現れたので呼延灼は今度は孫立と戦ったが、やはり力が互角で勝負はつかなかった。
 このとき、韓滔が連環馬隊を率いて攻め寄せ、梁山泊軍を退かせた。連環馬は人馬ともによろいをつけ、横一列に並んだ馬たちが鎖でつながれていたので、強烈な突破力を持っていたのである。これが梁山泊軍に有利と知った呼延灼は翌日の戦いではさらに綿密な計画を立て、三十騎ずつ一列に並べた連環馬を百隊作り、その背後に五千の歩兵を配置して梁山泊軍に襲いかかった。この戦いは官軍の圧倒的な勝利で、梁山泊軍は梁山泊の水寨に退却した。
 勝利に気をよくした呼延灼はこれを機に梁山泊を壊滅しようと考え、東京にいる火砲の名手・凌振を呼び寄せることにした。ところが、やってきた凌振は火砲を数発打って梁山泊を驚かしたものの、その夜のうちに梁山泊に捕らえられてしまった。こうなると湖水に囲まれた梁山泊を攻めるのは困難で、戦いは膠着状態に入った。

◆鈎鎌鎗を用いた梁山泊軍に敗れて青州へ逃れる

 その後も呼延灼は一ヶ月近くもその地に留まり、何度も水辺まで騎兵を進めたが、梁山泊軍が閉じこもっているのでらちが明かなかった。実はこの間に梁山泊では鈎鎌鎗の使い手・汝寧を仲間に引き入れ、着々と連環馬に対抗する準備が進められていた。鈎鎌鎗とは槍の先に鈎のついた武器で、連環馬の馬の脚を引っかけるのに有効な武器である。やがて、梁山泊の軍勢が湖の対岸に姿を見せたとき、すでに連環馬対策が整っていたのだが、呼延灼はそれを知らなかった。呼延灼はすぐに連環馬軍を編成し、梁山泊へ攻め寄せた。梁山泊からもいくつもの軍勢が湖をわたり、官軍を取り巻くようにしていた。呼延灼は兵を二手に分け、韓滔には南の軍勢にあたらせ、自らは北の敵に向かうことに決めた。このとき、梁山泊の仲間に加わった凌振が火砲を放った。この音に官軍の兵は浮足だった。しかも、官軍を取り囲む敵の軍勢はどんどん増え始めていた。呼延灼は急いで連環馬を率いて敵の軍勢めがけて攻めていった。ところが、敵は東へ西へすばやく逃げまわったので、鎖でつながれて小回りの利かない連環馬軍はすべてまっしぐらに突進して、枯れ草や枯れ葦の茂みの中に入り込んでしまった。と、このときとばかりに茂みの中に潜んでいた敵兵が鈎鎌鎗を突き出したので、馬は次々と引き倒され、あっというまに敵の手に落ちてしまった。罠にかかったと知った呼延灼は必死になって馬を走らせて逃げ出した。穆弘、穆春、解珍、解宝、王英、扈三娘がその前に立ちはだかったが、呼延灼は双鞭を振り回し、やっとの思いで逃げ延びた。多くの兵馬を失った呼延灼はいまさら東京に戻ることもできなかったので、古くからの知り合いである青州の慕容知府(長官)を訪ねることにした。
 呼延灼は腰の金帯を売って路用にするというみじめさで二日ほど進み、その夜は道端の居酒屋に泊まることにした。給仕に馬の世話を頼んだ呼延灼は酒を飲み肉を食うと疲れていたのですぐに寝てしまった。と、真夜中になって裏の方で給仕が騒ぎだした。何事かと思った呼延灼が起き出してみると馬小屋に入れておいた呼延灼の馬が盗まれたという。遠くには賊らしい者たちの松明の明かりも見えた。「あの方角からして間違いなく桃花山の山賊の仕業です」と給仕はいった。桃花山は李忠、周通が山賊たちを率いている山である。盗まれた馬は皇帝から下賜された踢雪烏騅だったので呼延灼は呆然とした。呼延灼はじりじりと夜明けを待ち、すぐにも青州へ向かった。

◆青州に雇われて盗賊退治に乗り出す

 青州の慕容知府は呼延灼の話を聞くと、青州にある桃花山、二竜山、白虎山の山賊を退治するのがいいと呼延灼に提案した。それがうまくいけば、慕容知府が呼延灼のことを皇帝にとりなしてくれるという。呼延灼は大いに感謝した。
 三日目、呼延灼は知府から二千の兵を借り、栗毛の馬をもらい、名馬を取り返すために桃花山へ向かった。桃花山からは周通が兵を率いて打って出たが、呼延灼と数合打ち合っただけで逃げ出してしまい、それからは山賊たちは長いこと山から出て来ようとはしなかった。数日して、李忠が三百の兵を率いて出てきたが、李忠もまた呼延灼と十合ほど打ち合っただけで逃げ出していった。と、このとき背後の方で味方の兵が騒ぎだした。向こうの方から太った和尚が軍勢を率いて攻め寄せてきたのである。この和尚というのが二竜山で山賊の頭領をしていた魯智深だった。桃花山の李忠は、最初の戦いで周通が負けた後、すぐにも二竜山に使者を派遣し、援軍を依頼していたのである。呼延灼が駆けつけると魯智深は、「梁山泊で負けてきたのはどいつだ」と怒鳴った。すると呼延灼は、「なんだと糞坊主。それならきさまから料理してやる」と叫び、魯智深に向かっていった。が、四五十合打ち合っても勝負はつかず、二人とも引き上げた。少しして、呼延灼が再び戦いを挑んでいくと二竜山の側からは今度は別な大男が出てきて呼延灼と戦った。この男というのが楊志だったから、呼延灼はまたしても決着を付けることができなかった。「たかが山賊なのになんて強い奴等がいるんだ」と陣営に戻った呼延灼は困り果てた。このとき、青州からの使者が慕容知府からの命令を伝えに来た。聞けば、白虎山の孔明と孔亮が青州を襲いに来たので、呼延灼に青州を守ってほしいという。このまま山賊たちと戦っても勝てる見込みはなかったので、呼延灼は兵を率いて青州へ急いだ。
 孔明と孔亮は魯智深や楊志に比べればどうということのない相手だったので、青州に戻った呼延灼は簡単に孔明を生け捕りにし、残りの兵もさんざんに打ち負かした。この後で呼延灼は桃花山での戦いを慕容知府に報告し、知府から山賊たちの中にいた二人の豪傑が魯智深と楊志であることを知らされた。なるほど、それなら強くて当然と呼延灼は納得したが、「いずれかならず捕らえて見せます」と慕容知府に約束した。

◆梁山泊と三山の連合軍に捕らえられ梁山泊の仲間になる

 白虎山での戦いを終えた呼延灼が青州で休養している間に、兄を捕らえられた白虎山の孔亮が二竜山の武松に救援を求めたことから、ついに梁山泊までが孔明救出に乗り出すことになり、桃花山、二竜山、白虎山、梁山泊の連合軍が結成されることになる。梁山泊軍は三千の兵を率いて青州を訪れ、山賊たちと合流して青州城を取り囲んだ。呼延灼は急いで準備を整え、千の兵を率いて打って出た。と、梁山泊軍からは秦明が馬を乗り出してきた。秦明はかつては青州軍の指揮官だった軍人なので、これを見た慕容知府は腹を立て、「まずはあいつを捕まえろ」と命令を発した。すぐにも呼延灼は双鞭を振り回して秦明に襲いかかった。ところが二人の力はほとんど互角でいつまでたっても勝負がつかない。これを見た慕容知府は呼延灼が怪我をするのを恐れ、退却の金鼓を打ち鳴らした。そこで呼延灼は兵を撤収して城内に引き上げたが秦明は後を追っては来なかった。
 城内に戻った呼延灼は慕容知府とあらためて作戦を協議した後、居室に戻って休養を取ったが、夜明け頃に配下の兵士に起こされた。聞けば城外の丘の上に騎馬のものが三人いて城の様子を探っているという。着ているものから判断して、宋江、呉用、花栄に違いなかった。呼延灼はすぐにも百の騎兵を揃えると三人を捕らえるために城外へ出ていった。ところが、呼延灼が丘を登ってもうすぐ三人に追いつきそうになったとき、呼延灼は馬もろともに落とし穴に落ちてしまった。そこへ喊声を上げて大勢の敵兵が襲いかかってきた。これには呼延灼もどうすることもできず、ついに敵軍に生け捕りにされてしまった。呼延灼とともに出てきた騎兵たちは、花栄の弓に襲われてちりぢりに逃げてしまった。
 間もなく、呼延灼は縄で縛られて宋江の前に引き立てられたが、それを見た宋江はすぐにも縄を解くように命じ、呼延灼を幕営の中に招き入れて丁寧に礼をした。不思議がる呼延灼に宋江は、「いまはあくどい役人たちが多すぎるので、われわれは梁山泊にこもっていますが、決して朝廷にそむこうとしているのではありません。機会があれば必ず朝廷のために働こうと思っています。将軍どのもいまとなっては東京に戻ることもできないでしょうから、梁山泊の仲間に加わったらどうでしょうか。韓滔、彭玘、凌振どのもすでにわれわれの仲間になっているのです」といった。呼延灼は大いに心を動かされ、「これからはあなたのために尽くしましょう」と約束した。
 呼延灼を仲間に加えた梁山泊軍はすぐにも孔明救出作戦について協議し、呼延灼が敵をだまして青州の城門を開けさせることにした。呼延灼はその夜のうちに秦明、花栄ら十人の頭領を率い、梁山泊軍から逃げ帰ったように見せて青州城に近づいた。間もなく知らせを受けた慕容知府が城壁まで出てきたので、呼延灼は「かつてわたしの部下だったものが梁山泊にいて助けてくれましたので、一緒に逃げ帰ってきました」と報告した。これを聞いた慕容知府が大いに喜んで城門を開けるやいなや秦明がかけ込んで慕容知府を斬り殺した。他の統領たちも城内に火をつけたり、城壁の兵を斬り殺したりした。ここに梁山泊の本隊が攻め込んだので、青州城はあっという間に梁山泊の手に落ちた。梁山泊軍は白虎山の孔明を救出し、倉庫の金銭糧食も略奪した。この事件を機に、呼延灼の他にも魯智深、楊志、武松といった山賊たちも梁山泊の仲間に加わることになった。
梁山泊入山後の活躍
◆優れた軍人として方臘討伐後までも戦い続ける
宣和元年 2月、華州に捕らえられた史進を救出するため、呉用の作戦で西嶽華山に参詣する朝廷の使節団を装って華州長官・賀太守を華山に誘い出して殺す。呼延灼はこの作戦の間に秦明らとともに華州城を攻撃した(第59回)。

史進が朱武、陳達、陽春を率いて芒碭山の山賊・樊瑞らを退治するために出征し、呼延灼は花栄、柴進らとともに援軍に出かけた(第59回)。

3月ころ、曽頭市との第一回目の戦争が起こる。晁蓋が呼延灼、徐寧を含む二十名の頭領を選んで曽頭市を攻撃した(第60回)。

5月ころ、北京に住む盧俊義を梁山泊入りさせるための作戦が実行される。呉用にだまされた盧俊義が梁山泊方面に旅してくると、呼延灼は李逵や魯智深らとともに盧俊義を襲って戦った(第61回)。

秋、盧俊義と石秀を救出するための北京攻撃軍に加わる(第63回)。この戦いの途中、関勝の軍が梁山泊に攻め寄せたことがわかると、呼延灼らが後軍となって敵の追撃を防ぎながら、梁山泊軍は撤退した(第64回)。

関勝率いる梁山泊討伐軍と戦う。関勝と古い仲だった呼延灼は密かに関勝を訪ねてだまし、関勝、宣贊、郝思文を生け捕りにするのに貢献した。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。呼延灼は北京攻撃軍に加わり、前軍を率いた(第66回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。呼延灼は盧俊義軍に加わり、東昌府を攻めた(第69回)。この戦いで、呼延灼は敵将・張清の石つぶてを腕に受け、双鞭を使えなくなって逃げ帰った(第70回)。
宣和3年 正月、宋江が李逵たちと一緒に東京に灯篭見物に行く。呼延灼たち五虎将は呉用の命令で宋江のあとを追い、東京で捕まりそうになった宋江を救出し、梁山泊へ連れ帰った(第72回)。この直後、一人だけ後から戻ってきた李逵が誤解から、宋江を大斧で殺そうとし、呼延灼たち五虎将が慌ててこれを遮り、李逵を忠義堂から引きずり下ろした(第73回)。

夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、呼延灼は大将として北の一隊を率いた(第76回)。

秋、高俅率いる朝廷軍と戦う。最初の戦いで、呼延灼は敵将・荊忠を討ち取った(第78回)。二度目の戦いでは、呼延灼は敵将・韓存保(かんぞんほう)と一騎打ちをし、谷川に落ちて取っ組み合いをしているところへ張清が援護に来て、韓存保を生け捕りにした(第79回)。さらに船から上陸してきた敵将・劉夢竜の一隊を秦明とともに撃退した。

11月、高俅率いる朝廷軍が大小の海鰍船数百隻で攻めて来る。呼延灼は盧俊義軍に加わって陸路の敵を迎えうった(第80回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、呼延灼は宋軍の正将として出征した。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、呼延灼は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

幽州城攻略戦。呼延灼は単廷珪と魏定国とともに右軍を率い、敵の伏兵と戦った(第86回)。

幽州城攻略後、敵の援軍が襲ってくると、呼延灼は遼国元帥の息子・兀顔延寿(こつがんえんじゅ)を生け捕りにした(第87回)。

昌平県境の最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、呼延灼は大将として敵の火星の陣に討ち入る一隊を率いた(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

宋軍が敵地に近い衛州から進軍を開始する。呼延灼は関勝らとともに守備隊を率いて衛州城に残った(第92回)。宋江軍が昭徳府城に滞在中に本隊と合流した。
(宣和5年) 楡社県、大谷県を落とす。呼延灼は関勝とともに昭徳府から潞城県へ派遣され、索超らと合流し、楡社県、大谷県を落とした(第99回)。

王慶討伐戦始まる。

宛州城攻略戦。呼延灼は林冲らとともに城の西方に伏兵を敷き、北方からの敵の援軍を撃退した(第105回)。

荊南州での戦い。呼延灼は敵将・滕戡(とうかん)と戦って引き分けた(第107回)。南豊州での最終決戦。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、呼延灼は韓滔、彭玘を率いて後方の真北の一隊を率いた(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、呼延灼は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

宣州城攻略戦。呼延灼は敵将・李韶(りしょう)を撃退し、城を落とすのに貢献した。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、呼延灼は一隊の指揮官になり、徳清県に向かった(第114回)。

江州城攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、呼延灼は盧俊義麾下に編入され、歙州へ向かった(第118回)。

歙州城攻略戦。呼延灼は敵将・高侍郎を討ち取った(第118回)。

方臘討伐戦に勝利し、東京に凱旋する。呼延灼は御英兵馬指揮使の任を授けられ、その後は皇帝の御駕に従って警護していた。後に大金国との戦争に出征し、淮西で戦死した(第120回)。
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