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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。


天立星
てんりつせい
董平
とうへい
 梁山泊での順位  15位
 持ち場  騎兵軍五虎将
 特技  槍
 あだ名  双鎗将(そうそうしょう)
 出身地・前歴  河東上党郡・東平府の兵馬都監(総司令官)
二本の槍を同時に振るい、誰にも手に負えないほど強かったので双鎗将と呼ばれた。
梁山泊一の先陣破りを得意とした五虎将の一人
 董平は天罡星のひとつ天立星が生まれ変わった好漢である。
 東平府軍の総司令官だっただけに戦闘能力は抜群だった。そのうえ、頭も良く、儒教・仏教・諸子百家の哲学すべてに詳しく管弦の道まで心得ているという風流人だが、もともと優れた軍人なので、梁山泊軍でも中心的戦力として活躍した。とくに真っ先に打って出て先陣を破るのを得意としたので、“一撃の董”と呼ばれることもあった。しかし、あまりにも負けず嫌いで功にはやるところがあり、絶対に勝てない状況でも敵に突進してしまう激しい性格だったので戦争中にも無理をしすぎて戦死してしまう。梁山泊入山が百五番目と遅かったので、優れているはずの趣味や知性を発揮する場面は少しもなかった。
物語
◆梁山泊に寝返って東平府を落とす

 董平は東平府軍兵馬都監(総司令官)で、軍を率いて城を守る責任があった。ある年の3月、突然梁山泊軍が東平府城の近くに陣を構え、二人の使者を派遣して東平府に挑戦状を送ってきた(第69回)。使者となったのは梁山泊の頭領・郁保四と王定六で、挑戦状には糧食を借りたいということが書かれていた。挑戦状を受け取った東平府太守(長官)・程万里(ていばんり)はすぐにも兵馬都監・董平を呼び、相談した。董平は大いに怒り、「そんな挑戦状を持ってきた使者の首は即刻はねるべきだ」といったが、使者の首をはねるのは礼儀違反だと程万里がなだめ、結局鞭打ちと決まった。董平は配下の兵に命じ、郁保四と王定六を呼び出させ、肉がほころぶまで鞭打たせて城から追い出した。
 それから数日後、城内の遊郭で梁山泊の史進という者が捕らえられ、役人たちの手で役所に連行されてきた。史進は東平府攻撃の準備のために昔なじみの女がいる遊郭に来ていたのだが、店の主人のやり手婆の策略にかかって捕らえられてしまったのである。董平と程万里はすぐにも獄卒に命じて史進を棍棒で打たせ、宋江の目的を白状させようとした。が、いくら責めても史進は白状しなかった。そこで董平らは、後で宋江を捕らえてから一緒に東京へ送ることにして、史進を 死刑囚の牢に閉じ込めた。ところが、それから間もない3月29日の夜、史進が隙を見て役人を殺し、牢内の罪人たちを引き連れて脱獄してしまったという知らせが役所に届けられた。程万里は大いに驚き、すぐにも董平を呼びだした。董平は、「城内にスパイが侵入し、史進の脱獄を助けたに違いありません。あなたはまず大勢を率いて史進を取り囲み、捕らえてください。わたしは城を出て宋江を取り押さえます」といい、兵を率いて打って出た。
 間もなく、董平軍と梁山泊軍が城外で対陣した。梁山泊軍からはまず韓滔が鉄の矛を手に董平めがけて馬を走らせてきたが、董平が二本の鉄鎗で圧倒するとすぐに逃げ帰り、代わりに徐寧が馬を走らせてきた。そこで董平は徐寧と打ち合ったが、二人の実力は伯仲していたので、いくら戦っても勝負がつかない。と、宋江の陣で退却の金鼓が鳴らされ、徐寧が自陣に向けて馬を走らせた。これを見た董平は二本の槍を構えて追いかけたが、梁山泊軍の陣に近づきすぎて、取り囲まれてしまった。董平は必死に戦ってやっとのことで陣地に逃げ帰ると勝ち目がないと判断し、軍を撤収して城内へ引き上げた。
 しかし、宋江軍は夜通し攻撃の手をゆるめなかった。太守に応戦するように命じられた董平は全軍を率いて城を出た。このとき、董平はかなりむしゃくしゃしていた。というのは、董平には太守・程万里に対して大きな不満があったからだった。程万里には器量のよい娘がおり、董平は前々から妻にもらいたいと申し込んでいたのに程万里が承知しなかった。この夜も、董平は親しい者を通じてこの縁組みのことを程万里に尋ねさせたのだが、程万里は宋江を退治してからにしようというばかりだったのである。と、そんな董平の前に宋江が出てきて、「さっさと降伏しろ。そうすれば命だけは助けてやるぞ」と叫んだ。董平はいきり立ち、「たかが小役人が何をほざくか」と叫んで宋江めがけて馬を走らせた。すると左右から林冲と花栄が飛び出してきて董平と打ち合ったかと思うやすぐにも逃げ始めた。梁山泊軍もちりぢりに逃げ始めた。実はこれは梁山泊軍の作戦だったが、董平は気づかず、とにもかくにも功を立てようとどこまでも宋江を追っていった。やがて両側に草葺きの家が並んだ場所まで来たとき突然銅鑼の音が鳴り響き、両側から縄が跳ね上がって董平の馬をからめ倒した。伏兵の数は百名、指揮をしていたのは王英、扈三娘、張青、孫二娘で、董平は二人の女将軍に捕らえられ、縄で後ろ手に縛られてしまった。
 すぐに董平は宋江の前に引き立てられたが、宋江は縛られている董平を見ると自ら馬を下りて縄を解き、丁寧に礼をしてきた。そして、「もしもあなたが山寨に加わってくださるなら、主の座をおゆずりしましょう」といいだした。董平は驚いて礼を返し、「もし許していただけるなら、山寨に加われるだけで十分です」と応えた。こうして梁山泊の仲間になった董平は、宋江たちが東平府に糧食を借りに来ただけだと知ると、「程万里は地位を利用して住民を苦しめてばかりいるのです」と不満を述べ、自分が東平府をだまして城門を開けさせましょうと申し出た。この結果、梁山泊軍は董平に率いられて簡単に東平府に侵入し、住民には損害を与えずに役所にあった金銀と糧食を奪い取った。董平は程万里の一家を皆殺しにし、その娘を自分のものにした。
梁山泊入山後の活躍
◆二本の鎗を振るって最前線を駆けめぐる
宣和2年 3月、東昌府攻撃に加わる。宋江が軍を率いて東平府を責めたのは、宋江と盧俊義のどちらが梁山泊の主になるかを決めるためで、同じころに盧俊義も軍を率いて東昌府を攻めていた。しかし、盧俊義軍が東昌府で苦戦していたので、宋江軍は東平府を落とすとすぐに東昌府へ向かい、董平もそれに従った。東昌府では敵の大将・張清が得意の石つぶてで梁山泊の豪傑たちを次々と負傷させたが、董平だけは石つぶて攻撃を見事によけ、張清と互角の戦いをした(第70回)。
宣和3年 正月、宋江が李逵たちと一緒に東京に灯篭見物に行く。董平たち五虎将は呉用の命令で宋江たちのあとを追い、予期したとおり東京で捕まりそうになった宋江を救出し、梁山泊へ連れ帰った(第72回)。この直後、一人だけ後から戻ってきた李逵が誤解から、宋江を大斧で殺そうとした。董平たち五虎将が慌ててこれを遮り、李逵を堂上から引きずり下ろした(第73回)。

夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、董平は大将として東南の一隊を率いた(第76回)。戦いが始まると、董平、秦明、索超の隊は真っ先に敵軍に斬り込み、あっという間に敵軍をちりぢりにした(第77回)。

秋、高俅率いる朝廷軍と戦う。董平と張清がそれぞれ騎兵軍を率いて済州で待ち伏せし、移動中の敵の軍勢を急襲した(第78回)。朝廷軍が梁山泊まで攻め寄せると、最初の戦いで董平は敵の矢を右ひじに受けて負傷した。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、董平は宋軍の正将として出征した。

檀州の戦い。董平は敵将・耶律国珍を討ち取った(第83回)。

檀州城攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、董平は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

幽州での戦い。董平は花栄、秦明、朱仝とともに敵将・賀統軍が城に逃げ帰ろうとするのを妨害した(第86回)。

昌平県境の最初の戦い。董平は花栄、秦明らとともに敵の黒旗の陣を襲い、見事に突き破ったが、梁山泊軍は大敗した(第88回)。

昌平県境の最終決戦。梁山泊軍は九天玄女の法を用い、董平は大将として敵の水星の陣に討ち入る一隊を率いた(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

盧俊義一隊が陵川城を攻め落とす(第91回)。董平は敵将・沈驥(ちんき)を討ち取った。
(宣和5年) 蓋州攻略後、董平は花栄らとともに守備隊を率いて蓋州城に残った(第94回)。宋江軍が昭徳城まで来たときに本隊と合流した(第99回)。

昭徳州での戦い。敵の援軍が昭徳城を奪還しに来るという情報が入り、董平は花栄らとともに騎兵軍を率いて途中で敵を待ち伏せし、撃退した。

王慶討伐戦始まる。

宛州城攻略戦。董平は林冲らとともに伏兵となって宛州西方に陣を取り、北方から来た敵の援軍を撃退した(第105回)。

山南州での戦い。董平は秦明らとともに宋軍の前隊を率いて進軍し、敵軍をけちらして山南城下までの道を開いた(第106回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、董平は大将として東南の一隊を率いた(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、董平は盧俊義麾下の軍に編入され宣州、湖州へ向かった(第112回)。

宣州城攻略戦。董平は敵将・韓明を討ち取った。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二手に分け、董平は盧俊義指揮下に独松関に向かった(第114回)。

独松関で戦死する。
 独松関で盧俊義軍が苦戦すると、董平は苛立って関所の下まで馬を進め敵をののしり、敵の火砲で左腕を痛めた。このため董平は左腕を添木で縛る状態だったが、2日後にはどうしても敵に復讐してやりたくなり、盧俊義に知らせずに張清と二人で徒歩で関所へ登っていった。このとき敵将・レイ天閏、張韜(ちょうとう)が二人を襲い、董平は張韜に斬られて戦死した(第115回)。
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イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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