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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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イオの末裔
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イオの末裔
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天空星
てんくうせい
索超
さくちょう
 梁山泊での順位  19位
 持ち場  騎兵軍八驃騎兼先鋒使
 特技  大斧、弓
 あだ名  急先鋒(きゅうせんぽう)
 出身地・前歴  北京大名府軍正牌軍(隊長)
ひどく短気で、事が国家の体面にかかわるときはいきり立って真っ先に飛び出していく性格なので急先鋒と呼ばれた。
戦争するために生まれたようながちがちの軍人

 索超は天罡星のひとつ天空星が生まれ変わった好漢である。
 北京大名府軍の隊長で、急先鋒というあだ名からもわかるようにいつでも肩をいからせ、目を燃え上がらせているようなところがあった。大名府長官・梁中書のもとで働いていた楊志が、腕くらべの試合で北京軍副隊長に勝ったことがあった。部下が負けたのを見た索超は名誉を重んじる男だったので、すぐにも名乗り出て楊志と対戦した。結果は引き分けだったので、索超は実際の腕前も超一流だったといえる。こんな軍人なら梁山泊との戦争では相当に活躍しそうだが、比較的簡単に捕らえられて梁山泊入りしている。がちがちの軍人なので、活躍の場は戦闘場面だけと限られているが、真っ先かけて突進する姿はやはり“急先鋒”だけあると思わせる。
物語
◆公開試合で青面獣の楊志と対戦して引き分ける

 索超は北京大名府長官・梁中書のもとで軍の隊長を務めていた。ある年の二月、梁中書の命令で練兵場において武芸の 調練が行われることになった。このころ梁中書は罪人として送られてきた楊志のことを気に入り、面倒を見ていたので、できることなら楊志を軍の副隊長にでも取り立ててやりたいと思い、調練の名を借りて楊志の実力をみなに示そうとしたのである。
 その当日、索超を含めて五百人を越える士官や兵卒が見守る中、梁中書の命令で軍の副隊長・周謹が楊志と馬上で試合をしたが、槍でも弓でも楊志が周謹を圧倒してしまった。これを見た梁中書は大いに喜び、周謹の替わりに楊志を軍の副隊長にするよう命令を下した。軍の名誉を重んじる索超はこれに我慢できずに進み出ていった。「周謹は最近病から癒えたばかりの身なので楊志どのに不覚をとったまでのこと。今度はそれがしが楊志どのの相手をいたしましょう」(第13回)。梁中書はとにかく楊志を取り立ててやりたかったので、すぐにも楊志と索超の試合を許可した。
 間もなく指揮台のうえで黄旗が振られ、太鼓が轟き、準備を整えた索超と楊志が馬に乗って練兵場に姿を現した。試合開始の合図とともに、索超は大斧を振り回し、楊志は槍をしごいて馬を走らせた。二人は練兵場の中央でぶつかりあい、五十合以上も打ち合ったが勝負はつかなかった。その場にいた兵士たちはみな索超と楊志の見事な打ち合い見とれた。しばらくして、二人の腕前に感心した指揮官はどちらにも怪我があってはならないと考え、銅鑼を鳴らして試合を止めようとした。ところが、銅鑼の音が鳴り響いても二人は戦いをやめなかった。審判役の兵が慌てて二人の間に入り、二人はやっと馬を返した。
 試合後、梁中書は大いに喜び、索超と楊志はともに 提轄の職を与えられた。

◆北京を包囲した梁山泊軍に捕らえられて仲間入りする

 楊志と対戦してからも索超は北京軍に所属していた。それから五年ほどもたった冬、北京の牢に捕らえられた盧俊義と石秀を救出するために梁山泊軍が攻め寄せて来るという事件が起こった(第63回)。索超は指揮官・李成とともにこれを迎え打ったが、三人の女将軍・顧大嫂、孫二娘、扈三娘や解珍、解宝、孔明、孔亮の率いる大軍に囲まれ、最初の戦いではさんざんな敗北を喫した。翌日、索超は指揮官・聞達に従って城外に陣を敷いた。すると、梁山泊軍から馬に乗った秦明が飛び出してきて、「北京の糞役人どもめ、いますぐ盧俊義と石秀を引き渡せ。さもなくば城もろともに焼き尽くしてしまうぞ」と怒鳴った。聞達は怒り、「誰かあいつをひっとらえろ」と命じた。すぐに索超が馬を進め、陣頭に立つや、「おまえこそもと役人の分際で盗賊などになりおって、いますぐおれがたたき斬ってやる」と秦明をののしった。性格が索超と似ていた秦明はすぐにかっときて狼牙棍を振り回しながら馬を飛ばしてきた。索超も馬を走らせこれを迎え打った。が、二十合以上打ち合っても勝負はつかない。このとき宋江軍から韓滔が出てきて索超めがけて弓を射ると、それが索超の左腕に命中してしまった。さすがの索超もこれでは戦い続けることができず、大斧を放り出して自陣へと逃げ帰った。
 負傷した索超はその後しばらくは戦いに出ずに北京で怪我の回復を待った。この間に関勝率いる梁山泊討伐軍が編成されて梁山泊を襲ったことから、北京を包囲していた梁山泊軍は一時的に包囲を解き、本拠地防衛のために梁山泊へ引き上げていった。が、しばらくすると梁山泊軍は討伐軍を打ち破り、再び北京に向けて進軍を開始した。知らせを受けた梁中書は梁山泊討伐軍を率いていた関勝、宣贊、郝思文が梁山泊入りしたことを知って大いに狼狽した。すでに傷の癒えていた索超はここぞとばかり梁中書の前に進み出ると、「前回は敵のだまし討ちにあいましが、今度は必ず勝って見せます」といった。
 冬の寒さが厳しい中を索超は兵を率いて出発し、梁山泊軍を迎え打った。索超は、梁山泊軍の先鋒が寝返ったばかりの関勝だと知るとすぐにも馬を飛ばして打ちかかった。戦いは関勝の方が有利だったので北京軍から李成が飛び出し、関勝に迫った。梁山泊軍からは宣贊と郝思文が飛び出してきた。こうして乱戦が始まると北京軍は圧倒されて城内に逃げ帰った。
 翌日になると雪が降り始め、夜には大変な深さに積もっていた。このとき城壁から敵陣を見た索超は、梁山泊軍が動揺し、陣形が乱れているのを知った。これは梁山泊軍の罠だったのだが、そうとは知らない索超はすぐにも三百の騎兵を率いて打って出た。驚いた梁山泊軍はちりぢりになって逃げ出した。索超は最後まで応戦していた者たちが逃げ出すとその後を追いかけた。このとき逃げ出したのは李俊と張順で、李俊は逃げながら前方に向けて、「宋江どの逃げてくれ」と叫んだ。これをきいた索超は追いかけていた李俊が左側に逃れても、気にせずまっしぐらに宋江めがけて進んでいった。と、あっと思う間もなく落とし穴に落ち、潜んでいた伏兵たちに捕らえられてしまった。
 捕らえられた索超はすぐにも宋江の前に連行された。宋江は索超を見ると大いに喜び、自ら索超の縄を解いて丁重にもてなし、索超に梁山泊の仲間に加わるよう進めた。「わたしたちの仲間にももとは朝廷の軍官だった者が多くいます。いまは腐った役人ばかりなので、みんなで力を合わせ、天に替わって道を行おうと思っているのです」と宋江はいった。これをきいた索超は、宋江の義の厚い態度に感心し、またいまの役人を少なからず同じように思っていたので、心を動かされ、すぐにも梁山泊の仲間に加わった(第65回)。
梁山泊入山後の活躍
◆常にまっしぐらに戦い続けた軍人索超
宣和2年 3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。索超は盧俊義の軍に加わり、東昌府を攻めた(第69回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、索超は大将として西南に位置する一隊を率いた(第76回)。そして、索超は秦明、董平とともに真っ先に童貫軍に攻め込み、敵をちりぢりにして(第77回)、敵将・王義を討ち取った。

秋、高俅率いる朝廷軍と戦う。二度目の戦いで、索超は楊志らとともに呉用の 追趕(ついかん)の計を用いて敵の陸軍を撃退した(第79回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、索超は宋軍の正将として出征した。

檀州城攻略戦。索超は花栄、林冲、秦明とともに敵将・阿里奇を生け捕りにした(第83回)。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、索超は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

幽州での戦い。索超ら十二名の将は盧俊義に率いられて後方で戦ううちに左右が断崖絶壁に囲まれた青石峪という谷の中に閉じ込められ、援軍のおかげでどうにか危地を脱した(第86回)。

昌平県境の最初の戦い。索超は林冲、徐寧らとともに敵の黒旗の陣を襲い、見事に突き破ったが、梁山泊軍は大敗した(第88回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、索超は副将として敵の火星の陣に打ち込む一隊を率いた(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

田虎支配地に近い衛州に結集後、まず初めに盧俊義が陵川城を攻めることになり、索超もこれに従い、陵川城を落とした(第91回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、索超は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

昭徳城攻略後、宋江軍は兵を分け、索超は徐寧らを率いて潞城県を攻めた(第98回)。潞城県攻略後は大谷県城を奪った(第99回)。

王慶討伐戦始まる。

宛州城攻略戦。索超は林冲らとともに城の西方に伏兵を敷き、北方からの敵の援軍を撃退した(第105回)。

山南州の戦い。索超は董平らとともに前軍を率い、敵をけちらして宋軍を宛州城下まで導いた(第106回)。

山南州攻略後、索超は盧俊義指揮下に西京州へ向かい、これを落とした(第108回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、索超は大将として西南方の一隊を率いた(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

宋軍が敵側の大商人・陳将士の屋敷を襲う。索超は朱仝らとともに屋敷の門外を取り囲み、陳将士一家の者を皆殺しにした(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、索超は盧俊義麾下の軍に編入され宣州、湖州へ向かった(第112回)。

宣州城攻略戦。索超は敵将・魯安を討ち取った。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、索超は呼延灼指揮下に入り徳清県に向かった(第114回)。

杭州で戦死する。徳清県攻略後、盧俊義軍は宋江軍と合流して杭州城を攻めた。この戦いで索超は敵将・石宝と一騎打ちをしたが、石宝が負けたと見せて逃げ出すのを追いかけ、石宝の投げた鎚を顔面に受けて戦死した(第115回)。
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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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