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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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イオの末裔
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天微星
てんびせい
史進
ししん
 梁山泊での順位  23位
 持ち場  騎兵軍八驃騎兼先鋒使
 特技  武芸全般
 あだ名  九紋竜(くもんりゅう)
 出身地・前歴  華州華陰県史家村・少華山の山賊の第一の頭領
肩・腕・胸に全部で9匹の竜の刺青をしていたので九紋竜と呼ばれた。
108星の中で最初に登場する青年豪傑
 史進は天罡星のひとつ天微星が生まれ変わった好漢である。
 若々しくてかっこいい青年豪傑で、百八星の中で最初に登場するので印象に残りやすい。延安府に近い華州華陰県史家村の大庄屋のひとり息子で、登場時点での年齢が18、9才。108星の年齢はすべてはっきりしているわけではないが、わかっている中では最も若く、若さゆえの青ぽっささえ感じられる。体つきはいかにも強うそうな大男で、東京から逃げてきた禁軍の武芸教頭・王進と出会い、武芸の腕を上げた。しかし、最初に数回登場したあとは数年後に梁山泊入りするまで名前も出てこない。梁山泊入山後もとくに大きな活躍はできなかった。最初に登場するので印象には残るが、個性的豪傑が揃った梁山泊で目立つのは史進といえども難しかったのだろう。
史進の物語
◆武芸教頭・王進に武芸十八般を仕込まれる

 史進は華州華陰県史家村の大庄屋のひとり息子で、子供のころから武芸が好きで、毎日鍛錬していた。家業だった農業には少しも興味を示さなかった。母親は、何度も意見しても史進の態度が変わらないので、それを苦にして病気になって死んでしまった。父親はすっかりあきらめて史進の好きにさせ、金持ちだったので数多くの武芸の師匠も雇い、史進の身体に刺青を彫らせたりした。
 史進が18、9才になったあるとき、年老いた母を連れたある男が史進の屋敷を訪ねてきた。この男というのは実は東京で禁軍の武芸教頭をしていた王進だった。このころ都ではもとはならず者だった高俅という男が徽宗皇帝に気に入られ、殿帥府太尉(近衛府の大将)という重職に抜擢された。王進はこの高俅とうまく行かなかった。高俅はかつてならず者だったころ、武芸家だった王進の父にこっぴどく痛めつけられたことがあり、そのときの恨みを晴らそうとしていたからだ。そこで王進はやむなく母を連れ、延安府にいる知り合いの将校たちを頼ることにし、東京から逃げ出したのである。しかし、王進は追われている危険もあったので、史進の屋敷の者が出てくると、自分は旅の者で、都から延安府に向かう途中で日が暮れてしまい、一夜の宿を求めに来たと告げた。姓は張だと名乗った。話を聞いた史進の父・史大旦那は親切だったので、使用人に命じて二人に食事や酒を用意させ、客間を提供した。翌日、王進の母が病気で動けないことがわかると、史大旦那は母親の病気がよくなるまで屋敷に滞在しなさいと王進に告げた。王進は最初は本当の身分を隠していたが、この間に彼の正体がはっきりするような出来事が起こった。
 五六日後の朝のこと。史進はいつものように屋敷の庭に出ると諸肌脱いで棒の稽古をしていた。すると、屋敷に宿泊していた男が口を滑らせて「なかなかのものだ。しかし、それでは真の使い手には勝てない」といった。これを聞いた史進は自分の腕前に自信があったので、「おれは立派な師匠7、8人から武芸を学んだんだ。おまえなんかにけちを付けられる覚えはない」とひどく腹を立てた。そばにいた史大旦那は史進の言葉を聞くと、「失礼なことをいてはいけない」と注意したが史進の怒りは治まらなかった。それなら一勝負ということになって2人が戦うと、王進の棒さばきの前に史進はあっさりしりもちをついてしまった。史進は数多くの師匠について武芸を学んだといっても、実のところ腕前は一人前とはいえなかった。なにぶんにも田舎のことだったので、金を積んだところでたいした師匠がいなかったからだ。ここで王進は自分は実はこれこれこういうものだと正体を明かした。これを知った史大旦那は大いに喜び、史進に武芸を仕込んでくれるようにと王進に願い出た。すると王進も喜んで承知したので、それから半年間、史進は王進の弟子となって、武芸十八般すべてを初歩から本格的に学ぶことになった。そして、史進の腕前は格段に上がり、半年の間にすべての武芸で奥義を極めたのだった(第2回)。

◆少華山の盗賊と通じて故郷を追われる

 王進は史進の指導を終えると延安府へと旅立ったが、それから半年ほどして史進の父が病で死んだ。さらに4か月ほどしてこんなことがあった。そのころ、史家村から遠くない少華山に3人の山賊の親分が住み、手下四五百人を率いて町や村を荒らしていた。親分とは、朱武、陳達、陽春の3人。これを知った史進は史家村三四百戸の小作人と協力し、あらかじめ山賊がやってきたときの準備を整えた。
 そんなおりもおり、親分の陳達が150人ほどの手下を率いて華陰県の役所を襲うために史家村を通過しようとした。これに対して、拍子木の合図で結集した史家村の小作人たちは馬に乗った史進を先頭に村の北口で盗賊たちの前に立ちふさがった。陳達は、自分たちは史家村を通り抜けるだけだといったが、史進は聞かない。そこで陳達と史進の一騎打ちが始まった。少華山の山賊の親分たちもやがて梁山泊入りする運命の者たちだから、それなりに腕は立った。しかし、何といっても史進は天罡星、陳達は地煞星、初めから勝負は見えていた。馬を蹴り突進してきた陳達の槍を史進はあっさりとかわし、その身体をひとつかみに持ち上げると地面にたたきつけた。すぐに作男たちが陳達を縛り上げ、小作人たちは盗賊の手下の者たちを追い払った。
 陳達を捕らえた史進は、残りの親分たちも捕らえてから役所に突き出そうと考えたので、陳達を生かしておいた。すると、陳達が捕らえられたことを知った朱武と陽春がじきじきに史進の屋敷を尋ねてきた。史進は奴等も捕らえてやろうと意気込んで飛び出したが、彼らの反応は意外なものだった。見れば朱武は涙を流しながら、自分たち3人は有名な『三国志演義』に登場する関羽、張飛、劉備と同じように死ぬときは一緒と誓い合った仲なので、いまこうして死ぬために出向いてきたのだと史進にいった。これは実は朱武の作戦だったのだが、史進はまんまと引っかかった。いくら山賊とはいってもこんな義侠心にとんだ連中を捕まえたのでは天下の好漢たちから笑いものにされる。こう考えた史進は3人に酒食を振る舞ったあげく、全員解放してしまった。朱武らが大いに喜んだのはもちろんで、これからというもの何かといえば史進に贈り物をし、史進の方でもそのおかえしをするというつきあいが始まった。
 そんなあるとき、史進は山賊の親分を招いて屋敷で十五夜の宴会を開いた。ところが、この情報を役所に漏らした者がおり、史進らが宴会の最中に屋敷は役人や土民兵たちに取り囲まれてしまった。事態を知った朱武らは史進が巻き添えにならないように、自分たちを縄で縛って突き出してくれと訴えた。が、義を重んじる史進にそんなことができるはずはなく、彼は金目のものをとりまとめると屋敷に火をつけ、下男たちを引き連れ、朱武らと一緒に逃げ出した(第3回)。
 こうして一文無しになった史進は一緒に山賊をやろうという朱武らに下男たちだけを預け、自分は王進を頼って関西の経略府を目指した。この旅の途中で史進は魯智深と知り合い、彼とともに瓦罐寺の悪党を倒したりするが、路銀も使い果たし、魯智深と別れるとやむなく少華山にもどり、朱武らとともに山賊の親分になるのである(第6回)。

◆華州で捕らえられたのを救出されて梁山泊に

 それからさらに数年後のこと。このころには二竜山の山賊だった武松、魯智深、楊志らも梁山泊入りしていたが、あるとき魯智深が宋江に、是非とも少華山の史進を仲間に加えたいといいだした。そこで、魯智深と武松が迎えにいくことになったが、少華山についてみると朱武、陳達、陽春はいるが史進がいない。それについて朱武が説明する。あるとき、史進が山を下りると、罪のために辺境の地へと護送されていく1人の男にあった。男は実は絵描きで、娘と一緒に西嶽華山にお参りに来たのだが、このときに華州でも評判の悪い賀太守(がたいしゅ)という役人が彼の娘に目を付けた。賀太守はすぐにもその娘を妾にしたいと申し出たが、絵描きはそれを拒否した。すると太守はその娘をさらって妾にし、絵描きの方は犯罪者に仕立てて刺青を入れて辺境の地へ送り出したのだという。話を聞いた史進は性格が性格だから、すぐにも絵描きを護送中の役人を殺すと絵描きは少華山に送り上げ、自分はさっさと華州の役所へ向かって賀太守を殺そうとした。しかし、敵に覚られ捕らえられて牢に入れられ、いまは生きているかどうかもわからない。
 この話を聞いた魯智深は皆が止めるのも聞かずに単身華州の役所に乗り込むが、史進と同様に敵にさとられてあっさりと捕まってしまった。こうなるともう梁山泊に助けを求めるしかない。幸いにも経過を心配した宋江が神行大保の戴宗を送ってよこしたので、朱武らは救援の要請を彼に託した。梁山泊では吾用が作戦を練り、賀太守を西嶽華山に呼び出すとそこで彼を殺した。それから一気に華州を襲い、魯智深、史進を救出した。そして史進は、これを機に朱武、陳達、陽春や手下の山賊たちを引き連れて梁山泊入りした。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に昱嶺関で敵の矢を浴びて戦死
宣和元年 2月、梁山泊入りした直後に、史進は朱武、陳達、陽春とともに徐州芒碭山の山賊・樊瑞と戦う。強力な敵の前に史進らは敗走し、あとからやってきた梁山泊の援軍が樊瑞らを退治した(第59回)。

秋ころ、北京で逮捕された盧俊義を救出するため北京攻撃軍に加わった(第330回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。史進は李応とともに旅人の扮装をして北京東門外の宿屋に泊まり、作戦開始と同時に門衛を斬って東門を奪い、梁山泊軍の進路を作った(第68回)。

春、曽頭市との二度目の戦争が起こり、梁山泊軍が曽頭市を攻める。史進は楊志とともに曽頭市の北の陣を攻める騎兵を率い、敵将・蘇定を討ち取った(第68回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される(69回)。
 史進は宋江麾下の軍に編入され、東平府を攻めた。史進はかつて東平府にいたことがあり、女郎屋の女と馴染みになっていた。そこで史進は「わたしは先に町へ侵入し、その女郎屋に滞在し、攻撃が始まると同時に町に火をつけましょう」と宋江に申し出て、町に侵入した。ところが女郎屋の女主人が史進のことを不審に思い、役所に訴えたことから、史進は東平府に捕らえられてしまった。のちに宋江軍が東平府を落として、史進はやっと解放された。
宣和3年 正月、史進は穆弘、魯智深たちとともに宋江の供となって、15日の元宵節の祭りを見物しに東京に行く(第72回)。

4月、朝廷から梁山泊招安を伝える第一回目の勅使が派遣されてきたが、下賜された酒がただのどぶろくだったことから大騒ぎになり、史進は穆弘、武松らとともに勅使に詰め寄った(第75回)。

夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、史進は東北の一隊を率い(第76回)、敵将・呉秉彜(ごへいい)を討ち取った(第77回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、史進は宋軍の正将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、史進は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

玉田県での戦い。張清が敵の弓をのどに受けて落馬したのを、史進は解珍、解宝とともに救出した(第84回)。

幽州永清県の戦い。史進は敵将・瓊妖納延と戦い、危うく負けそうになって逃げ出し、花栄に助けられた(第87回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、史進は敵の水星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

盧俊義一隊に加わり、陵川城、高平県城を攻め落とした(第91回)。

高平県城攻略後、史進は穆弘とともに守備隊を率いて城に残った。後に昭徳城を落とした宋江軍に合流した(第99回)。
(宣和5年) 昭徳州での戦い。敵の援軍が昭徳城を奪還しに来るという情報が入り、史進は董平、花栄らとともに騎兵軍を率いて途中で敵を待ち伏せし、撃退した(第99回)。

山南城攻略後、史進は穆弘、欧鵬らと城に残って守備隊を率いた(第107回)。

南豊州での最終決戦。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、史進は東北の一隊を率いた(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

宋軍が敵側の大商人・陳将士の屋敷を襲う。史進は魯智深、李逵らと屋敷に討ち入って大暴れした(第111回)。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装う作戦を取る。史進は雷横らとともに第三団の船に乗り込み、敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、史進は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、史進は盧俊義麾下の軍に加わり、歙州へ向かった。

歙州城の関所・昱嶺関の戦いで戦死する。盧俊義軍が昱嶺関の前方まで来たとき、史進、石秀、陳達ら六名が歩兵を連れて昱嶺関の偵察に出た。しかし、関所の前まで来たとき敵に発見されてしまい、史進たちは関所の上から雨のように矢を射られ、戦死した(第118回)。
 小説
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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