小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
42位 |
持ち場 |
騎兵軍小彪将兼斥候担当頭領 |
特技 |
棗木槊(そうぼくさく)(棗の木の長い矛) |
あだ名 |
百勝将(ひゃくしょうしょう) |
出身地・前歴 |
東京・陳州団練使(軍の調練指揮官) |
朝廷軍から梁山泊に寝返った戦闘用の好漢 |
韓滔は地煞星のひとつ地威星が生まれ変わった好漢である。
呼延灼率いる朝廷の梁山泊討伐軍の正先鋒に選ばれた軍隊のエリートで、朝廷の太尉・高俅もこの人物ならと信頼を寄せていた。しかし、梁山泊に捕らえられるとあっさり寝返って、それからは梁山泊の騎兵として力をふるうようになった。根っからの軍人で、完全に戦闘用員として梁山泊に加わったので、強いことは強いが、とくに豪傑らしい振る舞いがあるわけではない。呼延灼軍の副先鋒をつとめた彭玘は韓滔よりも早く梁山泊入りしたが、登場した時期が同じせいか、二人は梁山泊でもいつも一緒におり、騎兵軍としてひたすら戦い続けることになった。 |
韓滔の物語 |
◆呼延灼軍の副先鋒として梁山泊を攻撃する
陳州軍の団練使だった韓滔はある年の終わり頃、東京の太尉・高俅から文書を受け取り、すぐにも東京に向かった(第55回)。このころ梁山泊が高唐州を攻撃したことから朝廷では呼延灼を総指揮官にして梁山泊討伐軍を編成することになり、韓滔がその正先鋒に選ばれたのである。
東京で命を受けた呼延灼、韓滔、および副先鋒となった彭玘はすぐにも任地に戻って兵を選び、その後呼延灼のいる徐寧州で合流し、騎兵三千、歩兵五千を率いて梁山泊へ向かった。韓滔が前軍の先鋒を務め、呼延灼が中軍の主将となり、彭玘が後軍のおさえとなった。梁山泊もこれを迎えうつために兵を繰り出し、二軍は梁山泊外の平原で向かい合った。翌朝早く、梁山泊軍から秦明が陣頭に出てくると、韓滔が呼延灼軍から進み出て、「朝廷軍がきたというの投降しないのは、よっぽど殺されたいと見えるな。きさまら全員東京にしょっぴいて、切り刻んでやるから覚えておけ」と怒鳴りつけた。かっとした秦明が狼牙棍を振り回し馬を走らせてくると、韓滔も得意の槊(ほこ)をかまえて迎えうった。が、秦明の強さに圧倒され、呼延灼に救われる始末だった。間もなく、副先鋒の彭玘が梁山泊に生け捕りにされてしまったが、韓滔と呼延灼は人馬もろともによろいを着た兵団を鎖で横につなげた連環馬で梁山泊軍を防ぎ止めた。この連環馬が梁山泊軍に有効なことを知った韓滔と呼延灼は、翌日の戦いでは連環馬の軍を積極的に突進させ、梁山泊軍に大勝した。
ところがこの後、梁山泊軍が鈎鎌鎗の名手・徐寧を仲間に引き入れ、鈎鎌鎗を使う部隊を編成したことから、次の戦いで、呼延灼軍は大いに混乱させられる(第57回)。鈎鎌鎗に引っかけられて、鎖で横につながれた呼延灼軍の馬の大半が傷ついた。この混乱で韓滔は梁山泊軍に生け捕りにされたが、梁山泊に連れて行かれてみるとどういうわけか頭領たちに大いにもてなされた。しかも、副先鋒だった彭玘はすでに梁山泊入りしており、韓滔を梁山泊入りするようにと誘った。こうなると、韓滔も悪い気はせず、ごく自然に梁山泊の頭領になってしまった。
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梁山泊入山後の活躍
◆いつも一緒に戦い続けた韓滔と彭玘 |
宣和元年 |
秋、盧俊義と石秀を救出するための北京攻撃軍に加わる(第63回)。 |
宣和2年 |
1月、最後の北京攻撃で、韓滔は第一隊の前軍となる(第66回)。
3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成され、韓滔は宋江の軍に編入され、東平府を攻める(第69回)。 |
宣和3年 |
夏、童貫率いる梁山泊討伐軍との戦い。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、韓滔は大将呼延灼の副将として北門の位置に配置された(第76回)。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊が正式に朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が始まり、韓滔は宋軍の副将として出征した。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、韓滔は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。
幽州での戦い。韓滔、彭玘ら十二名の将は盧俊義に率いられて後方で戦っていたが、戦ううちに左右が断崖絶壁に囲まれた青石峪という谷の中に閉じ込められ、援軍のおかげでどうにか危地を脱した(第86回)。
昌平県境での最終決戦。韓滔は敵の火星の陣に討ち入る一隊に加わり、彭玘とともに敵将・雷春と狄聖(てきせい)を討ち取る(第89回)。
田虎討伐戦始まる。
蓋州城攻略戦。韓滔は徐寧と城の東門を奪った(第92回)。 |
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(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、韓滔は盧俊義麾下の軍に加わった(第93回)。
盧俊義軍が汾陽城を取ると、ここに敵将・馬霊の軍が攻め寄せて来る。韓滔は盧俊義、彭玘らとともに敵将・索賢、党世隆、凌光を討ち取った。
介休県攻略後、韓滔は彭玘とともに守備隊として城に残った(第99回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
潤州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、韓滔は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。
常州昆陵郡(ひりょうぐん)で戦死する。
常州を攻めるにあたり、宋軍から関勝を頭に韓滔、彭玘ら十一名の将が選ばれ、騎兵三千を率いて常州の昆陵郡城を攻めた。この戦いで韓滔は敵将・金節と渡り合い、相手が逃げるとそれを追って馬を走らせたが、このとき敵陣から高可立(こうかりつ)が射た矢にあたって落馬した。これを見た秦明が慌てて救出しようとしたが、これより早く敵将・張近仁が韓滔ののどを槍で突き刺し、韓滔は戦死した。(第112回)。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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