小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
43位 |
持ち場 |
騎兵軍小彪将兼斥候担当頭領 |
特技 |
三尖両刃(みつまたもろは) |
あだ名 |
天目将(てんもくしょう) |
出身地・前歴 |
東京・穎州団練使(軍の調練指揮官) |
代々武将の家柄で武芸の腕が他の者より優れていたので、天目将と呼ばれた。 |
アッという間に梁山泊に寝返った朝廷軍の副先鋒 |
彭玘は地煞星のひとつ地英星が生まれ変わった好漢である。
呼延灼率いる梁山泊討伐軍の副先鋒に選ばれたほどなので、韓滔同様に腕が立つことだけは確かだったようだ。登場するとすぐに梁山泊に生け捕りにされ、ひどくあっさり梁山泊に寝返り、それからは完全に梁山泊の騎兵軍の頭領として戦うようになる。百八星のひとりだからといってしまえばそれまでだが、完全に戦闘用員なので、戦う場所があるなら誰のためでもいいという感覚もあったのかもしれない。韓滔とは呼延灼軍で先鋒を務めた同士なので、梁山泊に入ってからもいつも二人一組のように戦場出て戦った。義理堅い人物とはいえないかもしれないが、韓滔にだけは強い友情を感じていたようで、この友情ゆえに戦死することになる。 |
彭玘の物語 |
◆最初の戦いで簡単に梁山泊に捕らえられる
彭玘は穎州で軍の団練使をしていた。ある年の終わり頃、東京の太尉・高キュウから文書を受け取り、すぐにも東京に向かった(第55回)。このころ梁山泊が高唐州を攻撃したことから朝廷では呼延灼を総指揮官にして梁山泊討伐軍を編成することになり、彭玘がその副先鋒に選ばれたのである。
東京で命を受けた呼延灼、彭玘、および正先鋒となった韓滔はすぐにも任地に戻って兵を選び、その後呼延灼のいる徐寧州で合流し、騎兵三千、歩兵五千を率いて梁山泊へ向かった。このとき、彭玘は後軍を率いて進軍した。
梁山泊外の平原での戦いでは、まず最初に到着した前軍の韓滔が出て梁山泊軍の秦明と戦いを始めたが、間もなく彭玘も後軍を率いて到着した。彭玘はすぐに陣頭に出て、「この逆賊どもめ。おまえたちなどへでもない」とののしった。すると敵軍から花栄が馬を走らせて飛び出し、彭玘はこれを迎えうったが花栄の強さに圧倒され、呼延灼に救われた。次に戦った扈三娘は二十合ほど打ち合ったあと馬首を転じて逃げ出したので、彭玘はいまこそ手柄を立てるときだとすぐにも馬を走らせて追いかけた。ところが、まさに追いつくというとき扈三娘が鈎のついたかけ縄を投げたため、彭玘はそれにからめ取られて落馬し、敵に生け捕りにされてしまった。
間もなく、梁山泊軍の陣営に連行された彭玘は宋江自らが縄を解き、幕営の中に招かれ、賓客として扱われたのにびっくりした。「わたしは殺されて当然の身なのに、どうしてこのように大切に扱うのですか」と彭玘はいい、宋江が噂通りの立派な人物であることを知ると、すぐにも梁山泊入りした。
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梁山泊入山後の活躍
◆いつも一緒に戦い続けた彭玘と韓滔 |
政和8年 |
冬、彭玘が梁山泊に入山した直後、東京から呼延灼を応援にきた砲撃手の凌振、次いで呼延灼軍の正先鋒・韓滔が梁山泊に生け捕りにされる。彭玘はそのつど出迎え、二人が梁山泊入りするように説得する役目を果たした。 |
宣和元年 |
秋、盧俊義と石秀を救出するための北京攻撃軍に加わる(第63回)。 |
宣和2年 |
1月、最後の北京攻撃で、彭玘は第一隊の前軍となる(第66回)。
3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成され、彭玘は宋江の軍に編入され、東平府を攻める(第69回)。 |
宣和3年 |
夏、童貫率いる梁山泊討伐軍との戦い。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、彭玘は大将呼延灼の副将として北門の位置に配置された(第76回)。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊が正式に朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が始まり、彭玘は宋軍の副将として出征した。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、彭玘は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。
幽州での戦い。彭玘、韓滔ら十二名の将は盧俊義に率いられて後方で戦っていたが、戦ううちに左右が断崖絶壁に囲まれた青石峪という谷の中に閉じ込められ、援軍のおかげでどうにか危地を脱した(第86回)。
昌平県境での最終決戦。彭玘は敵の火星の陣に討ち入る一隊に加わり、韓滔とともに敵将・雷春と狄聖(てきせい)を討ち取る(第89回)。
田虎討伐戦始まる。
蓋州城攻略戦。彭玘は秦明と城の西門を奪った(第92回)。 |
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(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、彭玘は盧俊義麾下の軍に加わった(第93回)。
盧俊義軍が汾陽城を取ると、ここに敵将・馬霊の軍が攻め寄せて来る。彭玘は盧俊義、韓滔らとともに敵将・索賢、党世隆、凌光を討ち取った。
介休県攻略後、彭玘は韓滔とともに守備隊として城に残った(第99回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
潤州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、彭玘は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。
常州昆陵郡(ひりょうぐん)で戦死する。
常州を攻めるにあたり、宋軍から関勝を頭に彭玘、韓滔ら十一名の将が選ばれ、騎兵三千を率いて常州の昆陵郡城を攻めた。この戦いで敵陣から許定と金節が飛び出すと、宋軍から彭玘と韓滔が飛び出して迎え討った。このとき韓滔は敵将・金節と渡り合い、相手が逃げるとそれを追って馬を走らせたが、敵陣から高可立(こうかりつ)が射た矢にあたって落馬し、敵将・張近仁にのどを槍で突き刺さされて戦死した。これを見た彭玘は敵将・許定と戦っている最中だったが、すぐにも仇を討とうとして許定を放り出して敵陣に飛び込んで高可立と戦った。が、このとき脇の方から飛び出してきた兵士に槍で突かれて戦死した(第112回)。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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