小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
44位 |
持ち場 |
騎兵軍小彪将兼斥候担当頭領 |
特技 |
水攻めの兵法 |
あだ名 |
聖水将(せいすいしょう) |
出身地・前歴 |
凌州・凌州の 兵馬団練使 |
朝廷から派遣された梁山泊討伐軍を指揮した将軍で、水攻めの兵法が得意だったので聖水将と呼ばれた。 |
地煞星だが梁山泊討伐軍を率いた軍人豪傑 |
単廷珪は地煞星のひとつ地奇星が生まれ変わった好漢である。
姓は単、名は廷珪。梁山泊討伐軍を率いていた呼延灼、関勝といった将軍たちが次々と梁山泊に敗れ、梁山泊入りしてしまった後で、魏定国とともに梁山泊討伐軍の総指揮官に任命された。が、蔡京が二人を総指揮官に任命したとき、他の諸官たちはそれをあざ笑ったとされているから、最初から梁山泊に勝てる見込みはなかったようだ。軍人としての力量でも、二人は呼延灼や関勝に遠く及ばなかった。案の定、単廷珪も魏定国も梁山泊討伐軍を率いて梁山泊を攻める以前に、梁山泊軍に凌州に攻め込まれて梁山泊入りすることになってしまった。とはいえ、戦争では役に立つところがあり、梁山泊入山後も戦争の時だけ活躍した。 |
単廷珪の物語 |
◆蔡京の発案で梁山泊討伐軍総司令官に任命される
単廷珪は魏定国とともに凌州で兵馬団練使の職にあった。関勝もかつてこの土地にいたことがあり、二人は関勝とも面識があった。あるとき東京からの使者がやってきて、単廷珪と魏定国にただちに梁山泊討伐軍を編成して梁山泊を討つようにという宰相・蔡京からの命令を伝えた(第67回)。この年正月に梁山泊軍が仲間の盧俊義と石秀を救出するために北京を陥落させるという事件が起こり、朝廷では新しく梁山泊討伐軍を編成することになった。そして、単廷珪と魏定国が蔡京の指名でその任務をまかされることになったのである。
この情報は梁山泊でも察知しており、先手を打って関勝、宣贊、郝思文が五千の兵を率い、単廷珪と魏定国を生け捕りにするために急遽凌州へ派遣された。
単廷珪と魏定国が戦争の準備を整え、あとは出発するだけとなったとき、「大刀の関勝が兵を率いて凌州に攻め寄せてきました」という報告が入った。単廷珪は魏定国とともにすぐにも兵を率いて城外へ出た。両軍が間近に対陣したとき関勝が馬に乗って出てきて、「将軍たち、お久しぶりです」と挨拶した。単廷珪と魏定国も陣の前へ出てそんな関勝をあざ笑い、「朝廷にそむいた謀反人のくせに、挨拶するとはなにごとだ」と怒鳴った。それを聞いた関勝は「それは違うでしょう。いまの朝廷では悪臣たちが権力を握り、無茶苦茶な政治が行われています。われらが兄貴の宋江は天に替わって道を行うため、わざわざお二人を山寨にお迎えするためにわたしを派遣されたのです」と叫んだ。すると単廷珪と魏定国は怒りもあらわに関勝めがけて馬を走らせた。と、関勝の両脇から宣贊と郝思文が飛び出し、2人を迎え討った。二組の武将たちは刀と刀で激しく戦ったが、しばらくすると単廷珪と魏定国はわざと負けたふりをして逃げ出した。そして、追ってくる宣贊と郝思文を伏兵の潜んだ場所へと誘い込み、生け捕りにするのに成功した。さらに二人はこの勢いに乗して関勝の軍を攻め、敵を後退させてから城内へ引き返し、生け捕りにした宣贊と郝思文を東京に護送するように配下の武将に命じた。
ところが、この護送団が梁山泊の一味に襲われ、配下の武将は殺され、宣贊と郝思文を奪い返されてしまった。報告を受けた単廷珪と魏定国が大いに腹を立てていると、今度は関勝の軍が攻め寄せてきた。単廷珪は真っ先に兵を率いて城外に出ると馬を進め、「この裏切り者め」と関勝をののしり、互いに刀を振り回して打ち合った。そのうちに関勝が逃げ出したので単廷珪は追いかけていったが、しばらくして関勝が振り向きざまに刀を打ちつけてきた。これが峰打ちだったので単廷珪は命は助かったが馬から落ちてしまった。と、すぐにも関勝が馬から下りて駆け寄り、単廷珪を抱え起こして「とんだ無礼をしました」といった。この態度に単廷珪は大いに感服し、自分の負けを認めた。このとき関勝があらためて単廷珪に梁山泊入りを勧めたので、単廷珪もそれを受け入れた。そして、魏定国を梁山泊入りさせるために協力することを約束した。
このころ、関勝軍を応援に来た李逵、焦挺、鮑旭が配下の兵を率いて凌州城内に火を放ったので、魏定国は兵を率いて中陵県へと逃れて行った。関勝軍はこれを包囲したが、魏定国は閉じこもって討って出ようとしなかった。これを見た単廷珪は自分が出かけていって魏定国を説得し、投降させるようにしようと関勝に申し出た。そしてただ一騎県城へ出かけていって魏定国と面会したが、魏定国は自分を投降させたいなら関勝自らが迎えにくるべきだと主張した。単廷珪は陣地に帰ってこれを報告し、今度は関勝と2人で県城を訪れた。魏定国は大いに喜び、単廷珪に続いて梁山泊入りすることを承知した。
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梁山泊入山後の活躍
◆騎兵を率いていつも魏定国と一緒に戦う |
宣和2年 |
春、第二回曽頭市戦争起こる。単廷珪と魏定国はこの戦争に出征しなかったが、朝廷からの援軍が青州と凌州から曽頭市へ送られたことがわかると、関勝とともに出征し、青州の兵を追い払う(第68回)。
3月、東平府・東昌府戦争起こる。単廷珪と魏定国は盧俊義麾下の軍に編入され、東昌府を攻める(第69回)。 |
宣和3年 |
夏、童貫率いる梁山泊討伐軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、単廷珪は魏定国とともに大将・秦明の副将として南門の一隊を率いる(第76回)。秦明が敵将・陳翥(ちんしょ)を討ち取ると、単廷珪と魏定国はその名馬を奪い取った。 |
宣和4年 |
2月、梁山泊が正式に朝廷に帰順。
4月ころ、遼国戦争が起こり、単廷珪は宋軍の副将として出征。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を2隊に分ける。単廷珪と魏定国は盧俊義麾下の軍に編入される(第84回)。
幽州城攻略戦。単廷珪と魏定国は呼延灼とともに右軍を率い、敵の伏兵と戦う(第86回)。
昌平県境での最終決戦。単廷珪と魏定国は大将・秦明の副将として、敵の金星の陣に討ち入る一隊を率いる(第89回)。この戦いで二人は敵将・高彪を討ち取る。
田虎討伐戦始まる。 |
(宣和5年) |
宋軍は蓋州城攻略後に兵を2隊に分ける。単廷珪と魏定国は宋江麾下の軍に編入される(第93回)。
昭徳城攻略後、宋江軍は兵を分散する。単廷珪と魏定国は索超に率いられて潞城県を攻める(第98回)。潞城県攻略後は守備隊を率いて潞城県に残る(第99回)。
王慶討伐戦始まる。
宛州城攻略戦。単廷珪と魏定国は林冲らとともに城の西方に陣を取り、北方からやってきた敵の援軍と戦う(第105回)。
山南州で宋軍は兵を分ける。単廷珪と魏定国は盧俊義麾下の軍に入って西京州へ向かった(第107回)。
西京攻略後、宋軍は合流して敵の本拠地・南豊州へ向かう。単廷珪と魏定国は李応に従って本隊の後から糧秣車や火砲の車両を護送し、敵の急襲から糧秣を守る(第108回)。
南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、単廷珪と魏定国は大将・秦明の副将として南門の一隊を率いた(第109回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
潤州攻略後に宋軍は兵を3隊に分ける。単廷珪と魏定国は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かう(第112回)。
湖州攻略後、盧俊義軍は兵を2隊に分ける。単廷珪と魏定国は呼延灼に従って徳清県へ向かう(第114回)。
杭州で合流した宋軍は再度兵を2隊に分ける。単廷珪と魏定国は盧俊義麾下の軍に編入され、歙州を攻撃する(第116回)。
単廷珪は魏定国と一緒に戦死する。
盧俊義軍が歙州城に迫ったとき、城門は空いたままで、兵士の姿が見えなかった。これを見た単廷珪と魏定国は一番手柄を立てようと兵を率いて城内へ攻め込んだ。ところが、これが敵の罠で、城門の内側に落とし穴が掘られていた。単廷珪と魏定国は真っ先に城門の中へかけ込み、この穴に落ち、伏兵に襲われて戦死した(第118回)。 |
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イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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