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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 


地闊星
ちかつせい
欧鵬
おうほう
 梁山泊での順位  48位
 持ち場  騎兵軍小彪将兼斥候担当頭領
 特技  鉄槍
 あだ名  摩雲金翅(まうんきんし)
 出身地・前歴  黄州・黄門山の山賊の第一の頭領
あだ名の由来
金翅とは竜を喰うとされる怪鳥で、摩雲は空高く飛ぶという意味。第一の頭領として山賊たちの中で際立っていたのでこう呼ばれた。
宋江の前に突然出現してすぐに梁山泊入りした山賊
 欧鵬は地煞星のひとつ地闊星が生まれ変わった好漢である。
 黄門山の山賊の第一の頭領をしていたとき、宋江と出会って梁山泊入りした。しかし、登場するとすぐに梁山泊入りしてしまうので、個人的なエピソードはほとんどない。山賊になる前は軍人だったので、梁山泊でも戦闘要員として扱われ、戦闘場面以外には活躍の場はなかった。鉄槍の使い手で、その腕前には宋江も舌を巻くほどだったが、梁山泊の頭領たちの中では取り立てて目立つほどではなかった。108人という人数をそろえるためだけに梁山泊入りすることになったような豪傑のひとりかもしれない。
欧鵬の物語
◆近くを通りかかった梁山泊一行の前に突如出現する

 欧鵬は黄門山に巣くう四五百人の山賊を率いる第一の頭領だった。黄州生まれで、もとは揚子江の守備をする軍卒だったが、上官に憎まれたために逃亡して山賊の仲間になったのである。黄門山には欧鵬のほかに、第二の頭領・蒋敬、第三の頭領・馬麟、第四の頭領・陶宗旺がいた。
 あるとき、江州で処刑されそうになった宋江が梁山泊一党に救出され、無為軍を焼き討ちして黄文炳に復讐したという情報がもたらされた。梁山泊一党は宋江を連れて梁山泊へ帰ることになったが、この行程の途中に黄門山があった。これを知った欧鵬たち四人の頭領は、以前から有名な宋江に会いたいと思っていたので、いまこそそのチャンスだと考え、梁山泊一党がやってくるのを待ちかまえた。そして、それらしい集団がやってくると四五百人の手下を率いて飛び出した。欧鵬は相手が宋江一行だと確認するために、わざと一行を襲撃しに来たようなふりをし、「おまえらは江州と無為軍で大暴れした梁山泊一行ではないか。命が惜しければ宋江を差し出せ」と叫んだ。すると一行の中からひとりの男が現れ、「わたしが宋江ですが、みなさんに襲われるようなことをした覚えはありません。どうか命だけは助けてください」といった。
 欧鵬たちは目の前に出てきたのが宋江本人だったので慌てて馬から下りた。そして、宋江の前に平伏すると、「わたしたち4人は宋江殿の名前を聞くにつけ、何とかして会いたいものだと思っていました。江州で捕らえられたと聞いたときには助けに行こうと思い、江州の様子を探るために手下を派遣しました。するとすでに大勢の好漢によって救出され、さらに無為軍にも焼き討ちをかけたということがわかりました。もしそのとおりなら、兄貴はきっとここを通って梁山泊に向かうものと思い、こうして待ち受けていたのです」と打ち明け、先ほどの無礼を詫びた。こういうと宋江も喜んだので、欧鵬たちはすぐにも宋江一行を黄門山の山寨に招き、大いにもてなした。この席上、宋江が「このたびわたしは梁山泊の仲間に加わることにしたのですが、みなさんも一緒に梁山泊の仲間になるというのはどうでしょう」といった。これを聞くと欧鵬たちは大いに喜び、すぐにもその申し出を受け入れた。
 こうして欧鵬たちは配下の山賊たちと一緒に梁山泊の仲間に加わることにし、翌日には山寨に火をつけ、宋江らとともに梁山泊へと向かった(第41回)。
梁山泊入山後の活躍
◆歙州城下で敵の矢を浴びて戦死
政和7年 7月ころ、入山直後の宋江が家族を梁山泊に呼び寄せるために単身故郷に向かう。宋江の身を心配した呉用らの命令で、欧鵬は李逵、陶宗旺たちとともに宋江のあとを追い、宋江の故郷で宋江を捕らえようとしていた役人たちをけちらした(第42回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争が起こる。欧鵬は祝家荘と同盟を結んでいる扈家荘の女将軍・一丈青扈三娘と馬上で一騎打ちをしたが、その腕前はわずかながら扈三娘に及ばず、どうしても勝つことができなかった。秦明の援軍のおかげでどうにか扈三娘から逃れた欧鵬は今度は敵の武芸教師・欒廷玉(らんていぎょく)に戦いを挑んだが、この戦いでは敵の投げつけた鉄槌を受けて落馬し、味方の軍勢に助けられた(第48回)。

秋、柴進を救出するため高唐州攻撃軍が編成される。欧鵬は林冲らとともに先鋒隊に加わる(第52回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。欧鵬は一回目、二回目ともに梁山泊軍に加わる。

青州で捕らえられた孔明を救出するための攻撃軍に参加する。この戦いの最中に呼延灼が梁山泊の仲間になると、欧鵬を含む十人の頭領が兵士の身なりをして呼延灼とともに青州城に赴き、敵をだまして城門を開けさせ、城外の本隊と呼応して攻撃を開始し、無事に孔明を救出した(第58回)。
宣和元年 4月、曽頭市との一回目の戦争が起こる。晁蓋が二十人の頭領を選んで軍を編成して曽頭市を攻め、欧鵬もこれに加わった(第60回)。

秋、盧俊義と石秀を救出するための北京攻撃軍に加わる(第63回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。欧鵬は北京攻撃軍に加わる(第66回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。欧鵬は盧俊義麾下の軍に加わり、東昌府を攻めた(第69回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、欧鵬は大将・董平の副将として東門の一隊を率いた(第76回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、欧鵬は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、欧鵬は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

昌平県境の最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、欧鵬は敵の水星の陣に討ち入る一隊に加わり、鄧飛、馬麟とともに敵将・蕭大観を討ち取った(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

蓋州城攻略戦。欧鵬は史進、黄信らとともに伏兵となり、敵の援軍を撃退した(第92回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、欧鵬は盧俊義麾下の軍に編入された(第93回)。

汾陽府での戦い。魔法使い・馬霊と戦うため宋江軍から公孫勝が救援に来ると、欧鵬は黄信、楊志らとともに公孫勝の戦いに加勢した(第99回)。

威勝城攻略戦。欧鵬は鄧飛らとともに西門を奪った(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻略後、欧鵬は史進らとともに守備隊として山南城に残った(第107回)。◎南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、欧鵬は大将・董平の副将として東門の一隊を率いた(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、欧鵬は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、欧鵬は盧俊義指揮下に独松関へ向かった(第114回)。

独松関の戦い。欧鵬は鄧飛、周通たちと独松関の偵察に出たが、敵に襲われて逃げ帰った(第115回)。

◎杭州城攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、欧鵬は盧俊義麾下の軍に編入され、歙州へ向かった(第118回)。

◎歙州城下で戦死する。
 盧俊義軍が歙州城下に迫ったとき、城から敵将・龐万春(ほうばんしゅん)が軍を率いて現れ、陣頭にたって戦いを挑んだ。欧鵬は一番手柄を立てようと率先して出陣し、馬上で敵将と渡り合った。と、敵はすぐにも負けたふりをして逃げ出し、追いかける欧鵬に向けて後ろざまに矢を放った。この矢を欧鵬は見事に手でつかみ取ったが、敵が連射の術にたけているとは思いもよらずそれで安心してしまった。その瞬間、敵の弓から第二の矢が放たれ、欧鵬はそれにあたって戦死した(第118回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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