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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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地隠星
ちいんせい
陽春
ようしゅん
 梁山泊での順位  73位
 持ち場  騎兵軍小彪将兼斥候担当頭領
 特技  大桿刀
 あだ名  白花蛇(はくかだ)
 出身地・前歴  蒲州・少華山の山賊の第二の頭領
あだ名の由来
大桿刀の使い手で、刀法鋭く、これに噛まれたら絶対に死ぬマムシ(白花蛇)のような男だったので白花蛇と呼ばれた。
知略・武芸に平均的な頭領
 陽春は地煞星のひとつ地隠星が生まれ変わった好漢である。
 少華山の山賊の第三の頭領だったが、実力はあまりなかった。少華山には陽春の他に第一の頭領・朱武、第二の頭領・陳達がいたが、陽春は頭脳では朱武に劣り、武芸では陳達より劣っていた。梁山泊入山後はいつも陳達と一緒に行動したが、もともと小者なので活躍することはなく、方臘討伐戦中に戦死することになった。
陽春の物語
◆史進を仲間に加えて梁山泊入りする

 陳達は華陰県の少華山に巣くう山賊の第三の頭領だった。少華山の山賊の頭領には他に第一の頭領・朱武、第二の頭領・陳達がおり、四五百人の山賊を手下にしていた。その暴れ振りは華陰県の役所も手を焼き、頭領たちの首には三千貫の賞金がかけられていた。
 そんなあるとき、朱武が山寨の蓄えを心配し、どこかで一稼ぎしようといいだしたことがあった(第2回)。陳達は「それなら華陰県の役所を襲おう」と主張したが、陽春も朱武もそれに反対した。華陰県への通り道には史家村があり、史進という虎のような豪傑が住んでいるので、ただではすまないというのである。これを聞いた陳達は「史進とかいう赤の他人を持ち上げて俺をけなすのか」と大いに怒り出すと、自分一人で馬にまたがり、百四五十人の子分を引き連れて史家村に押し掛けた。
 ところが史進に率いられた史家村の方では、もしものことを考え、拍子木の合図で三四百人の男たちがすぐに集まれるように準備が整っていた。勢い込んで史家村を襲いに行った陳達は村の北口で史進と一騎打ちの勝負をしたが、どうにも歯が立たずに生け捕りにされ、庭の柱に縛り付けられてしまった。
 逃げ帰った手下から事情を聞いた陽春は「みんなで押し掛けて史進と戦い、陳達を救い出そうじゃないか」と提案した。しかし、頭のいい朱武に「陳達でさえ負けたのだから、おまえにはとても勝てない」と諌められ、朱武の作戦に従うことにした。その日のうちに陽春は朱武とともに史進の家を訪ねた。朱武は史進の前に土下座して泣きながらいった。「自分たち3人は生まれた日こそちがえ、関羽、張飛、劉備と同じように死ぬときは一緒に死のうと誓った仲なので、一緒に死ぬためにやってきたのです」。これを聞いた史進が彼らの義侠心に感動したことから、陳達の縄は解かれ、頭領3人は座敷でもてなされ、これ以降は史進と親しく付き合うようになった。
 ところがそれからしばらくたった8月、山賊と親しくしているのが露見した史進は役人に逮捕されそうになり、家を捨てなければならなくなった(第3回)。そこで、陽春たちは史進に自分たちの頭領になるように勧めた。史進はそれを断り、武芸の師である王進を頼って延安府に向かったが、ついに巡り会えず、やがて少華山に戻っきた。これ以降、少華山では史進が第一の頭領となり、朱武、陳達、陽春は史進の下で山賊家業に励むことになる。
 それから4年以上が過ぎた2月、華州の賀太守が王義という絵描きに無実の罪を着せたことを知った史進が、賀太守を殺しにいって逆に捕らえられてしまうということが起こった(第58回)。ちょうどこのころ、梁山泊入りしたばかりの魯智深と武松が、少華山の頭領たちに梁山泊入りを勧めるために訪ねてきた。ところが、事情を知った魯智深がたった一人で史進を救出に出かけ、これまた捕らえられたことから、2人の救出に梁山泊が乗り出すことになった。梁山泊は吾用の作戦で賀太守を西嶽華山で殺し、さらに華州を襲って2人を救出した。これを機に、陽春は史進、朱武、陳達とともに手下を引き連れて梁山泊入りした(第59回)。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に昱嶺関で戦死する
宣和元年 2月、梁山泊入りした直後に、陽春は史進、朱武、陳達とともに徐州芒碭山の山賊・樊瑞と戦う。強力な敵の前に陽春らは敗走し、あとからやってきた梁山泊の援軍が樊瑞らを退治した(第59回)。

秋、盧俊義と石秀を救出するための北京攻撃軍に加わる(第63回)。
宣和2年 春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。陽春は陳達とともに曽頭市の北の陣を攻める一隊に加わる(第68回)
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、陽春は大将・史進の副将として、東北の一隊を率いた(第76回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、陽春は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、陽春は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。

幽州での戦い。陽春ら十二名の将は盧俊義に率いられて後方で戦っていたが、戦ううちに左右が断崖絶壁に囲まれた青石峪という谷の中に閉じ込められ、援軍のおかげでどうにか危地を脱した(第86回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、陽春は敵の木星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州城攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、陽春は盧俊義麾下の軍に編入された(第93回)。

汾陽州での戦い。陽春は敵将・武能を討ち取った(第99回)。

威勝城攻略戦。陽春は黄信らとともに北門を奪った(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

宛州城攻略戦。陽春は関勝らとともに宛州城東方に伏兵を敷き、敵の援軍を撃退した(第105回)。

山南州攻略後、盧俊義一隊が西京を攻めることになり、陽春もこれに従った(第107回)。

南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、陽春は大将・史進の副将として、東北の一隊を率いた(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、陽春は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、陽春は呼延灼指揮下に徳清県へ向かった(第114回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、陽春は盧俊義麾下の軍に編入され、歙州へ向かった(第116回)。

歙州昱嶺関で戦死する。盧俊義軍が昱嶺関に近づいたとき、陽春は史進、陳達らとともに関所の偵察を命じられた。陽春らが関所の下まで来たとき関所の上から一斉に矢が浴びせられ、陽春はほかの仲間とともに戦死した(第118回)。
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イオの末裔
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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