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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
フランボワイヤン・ワールド・トップ水滸伝の豪傑たち目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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天孤星
てんこせい
魯智深
ろちしん
 梁山泊での順位  13位
 持ち場  歩兵軍頭領
 特技  禅丈
 あだ名  花和尚(かおうしょう)
 出身地・前歴  渭州経略府の提轄(小部隊長)
あだ名の由来
出家した和尚で、背中一面に花の刺青があったので花和尚と呼ばれた。
62斤の禅丈を振り回す明るく短気な乱暴者
 魯智深は天罡星のひとつ天孤星が生まれ変わった好漢である。
 性格は明るく、力持ちで、思慮は幾分足りないものの間違ったことは絶対許せないという猪突猛進型の乱暴者である。見た目はでっぷりと太った大男、ヒゲがもじゃもじゃ生えていていかにも怖そうだが、どこか憎めない愛嬌があり、百八星の中でも最も読者に好まれている豪傑のひとりとなっている。もとは経略府の提轄で本名は魯達。それが困っている親子を助けるために鄭という肉屋を殺してしまったことから逃亡、出家して魯智深と名乗るようになった。年齢ははっきりしていないが、34、5才の林冲と兄弟の盟を結んだとき、魯智深が兄貴分になっている。彼はトレードマークの鉄の禅丈を持ち歩き、ケンカの時にはいとも軽々と振り回すが、この重さはなんと62斤(37kg)あった。
魯智深の物語
◆肉屋の鄭を殺して渭州から逃げ出す

 魯達(出家してから魯智深)は渭州で 経略府の提轄をしていた。あるとき、魯達が町の茶店に入ると体の大きな若者が、「お役人さん、こちらでお茶をどうぞ」と呼びかけてきた(第3回)。この大男は実は史進だった。史進は華州史家村の者だが、山賊と仲良くしたために役人に追われ、武芸の師匠で経略府にいるはずの王進を頼って渭州を訪れたのである。茶店で魯達に呼びかけたのは、魯達が役人風の恰好をしていたので、王進のことを知っているのではないかと思ったからだった。魯達が史進のテーブルに行くと、史進は魯達の名を尋ね、それから自分の名を名乗り、王進のことを尋ねた。魯達は史進が立派な好漢だという噂を聞いたことがあるので大いに喜び、「残念ながら、あなたの捜している王進どのは延安府で仕官しているので、この土地にはいない」と断ったあとで、史進を誘って酒を飲むために町へ出た。それからしばらく歩くと、槍棒を使って客寄せをして膏薬を売っている男がいた。それがかつて史進に武芸を教えたことのある李忠だというので、魯達は李忠も誘い、3人で料理屋に入った。
 魯達は「何でもいいからある物をどんどん持ってこい。金はおれが払うから」と給仕にいい、席に着いた。ここで3人が豪快に飲み食いしながら歓談していると、隣の部屋から陰気な泣き声が聞こえてきた。魯達は腹を立て、給仕を呼ぶと「おまえはどうして隣の部屋の奴にあんなに陰気な泣き声を出させて、おれたちの酒宴を邪魔させるのだ」といった。給仕は「そんなに怒らないでください。あれは流しの歌手の親子で、何か悲しいことでもあるのでしょう。わたしが泣かせたわけではありません」という。気になった魯達が給仕に命じて二人を連れてこさせると年老いた男と若い娘がやってきた。魯達は「おまえたちはどこの誰で、何で泣いているんだ」と尋ねた。すると娘が「わたしたちは東京からこの土地に流れてきたのですが、この土地の金持ちで鎮関西(関西の総元締)と呼ばれる鄭という旦那がわたしに目を付け、わたしを妾にしようとしました。ところが、わたしに三千貫の証文を書かせておきながら金は一文も払ってくれません。そのうち旦那の本妻が腹を立ててわたしを追いだしたのですが、三千貫の証文があるのをいいことにわたしたちにその金を返せと迫るのです。わたしたちは毎日少しずつ稼いではその金を返していますが、最近は稼ぎも少なくて、これからどうなるのかと不安で泣いていたのです」という。さらに魯達が問うと父親が「自分たちの姓は金、娘は翠蓮(すいれん)という名です。鄭というのは状元橋のそばで肉屋をしている旦那です」と答えた。これを聞くと魯達は大いに腹を立て、「なんだって、どんな大旦那かと思ったら、肉屋の鄭か」。それから魯達は史進と李忠に「あんたたち、ちょっと待っていてくれ。おれはこれからそいつをぶち殺してくるから」という。史進と李忠が大慌てで、「それは明日にすればいい」となだめたので、魯達も考えを変えた。魯達は今度は「ご老人、おれが金を出すから、明日にも東京に帰りなさい。鄭の方はおれがどうにかしておくから」といった。そして、自分の懐から五両の金を出してテーブルにおいてから、「おれは今日持ち合わせが少ないので、金があったら貸してくれ。明日返すから」と史進と李忠に頼んだ。すると史進は「なに、返してくれなくてもいいですよ」といって十両出したが、李忠の方は二両しか出さなかった。これを見た魯達、「冴えない人だ」と李忠にいった。それから魯達は金を金老人に渡し、「いいかね、これを持って宿に帰ったらすぐにも荷物をまとめなさい。明日の朝早く、おれが出かけていっておまえたちを出発させるから。誰にも邪魔させたりはしないよ」。金親子は礼をいって出て行った。
 さて、翌朝になると魯達はひとりで金親子のいる宿を訪ね、無事に金親子を逃亡させた。宿の使用人が鄭の命令を受けていて、親子が出発するのを邪魔しようとしたが、魯達が殴りつけて黙らせた。さらに魯達は使用人が鄭に報告に行かないように三、四時間も見張りをしたあと、鄭の肉屋を訪ねた。鄭は魯達を見ると腰を低くして椅子を勧めた。魯達は肉を買いに来たようなふりをして「赤身の肉を十斤細切れにしてほしいんだ。脂身が混ざってはいけない。肉はおまえが切れ」と鄭にいった。そこで鄭が1時間もかけて肉を刻むと魯達はさらに「脂身を十斤細切れにしてくれ、赤身が混ざってはいけない」と注文した。鄭はまた1時間もかけて肉を刻んだ。すると魯達は「あと十斤、軟骨を細切れにしてくれ。肉が混ざってはいけない」と注文した。ここまでいわれて鄭も気がつき「わたしをからかいに来たんですか」といった。これを聞いた魯達が「そうさ、からかいに来たのさ」といい、肉の細切れを叩きつけると鄭は腹を立て、包丁を持って魯達に向かってきた。ここぞとばかり魯達は鄭の腹を蹴飛ばすと倒れた相手の胸ぐらをつかんで、「きさまは肉屋のくせに鎮関西などと名乗りやがって、どうして金翠蓮から金をゆすった」と怒鳴りつけた。そして、鄭が許しを乞うのも聞かず、続けて3発顔面を殴りつけた。と、たったこれだけで鄭は地面に横たわって死んでしまった。これには魯達も驚き、「こいつ、死んだふりなんかしやがって」といいながらその場を立ち去ると急いで下宿に帰り、金目の物を持ってさっさと町から逃げ出した。

●五大山で酒を飲んで大暴れする

 渭州を逃げ出した魯達は四五十日後に代州雁門県に入った。この町で魯達は渭州で助けてやった金老人と出くわした。金老人がいうには、あれから親子は最初は東京に行こうと思ったが、鄭に追われるのではないかと不安になったので、方向を変えた。すると偶然にも都から商売に来ていた古い知り合いに出会った。その男が親切な男で、親子をこの町に連れてくると、翠蓮を趙員外という立派な金持ちの妾に紹介してくれた。そのおかげで金親子はいまでは豊かに暮らしているという。
 ところで、魯達は人殺しをしたためにいまでは指名手配になっている身で、雁門県の町にも魯達の人相書きは張り出されていた。金老人もそれを知っていたので魯達の身を心配し、自分の家に魯達をかくまい、趙員外に相談を持ちかけた。話を聞いた趙員外は魯達が翠蓮を助けた豪傑だと聞かされていたので、出会えたことを大いに喜び、自分が施主をしている五大山文殊院に出家することを魯達に勧めた。魯達はどこといって行くあてもなかったので、いわれたとおりに髪も鬚も剃り落として文殊院で出家し、智真長老から魯智深という法名を受けた。こうして魯達は魯智深になったのである。
 しかし、出家はしてみたものの、魯智深は僧の暮らしになじめなかった。五ヶ月ほどたった冬のある日、静かな暮らしに退屈した魯智深は山門を出て山を下っていった。すると、山の中腹あたりまで来たとき、向こうから桶をふたつかついだ男がやってきた。聞けば、中味は上等な酒だという。僧になってから酒を飲んでいなかった魯智深は普段から酒を飲みたくて仕方なかったので、これを聞くとすぐにも「売ってくれ」と頼んだ。が、男は「この酒は文殊院の職人衆や寺男衆に売るもので、お坊さんに売ったりしたら長老様に怒られます」といって売ろうとしない。「どうしても売らない気か」。「殺されたって駄目です」。言い合ううちに我慢ができなくなった魯智深はついに男を蹴飛ばし、桶を奪って飲み始めると、あっという間にふた桶とも飲み尽くしてしまった。その間に男は逃げ出して山を下りてしまったので、魯智深は松の根元に座り込んで休憩した。そのうちに酔いが回ってきた魯智深は気持ちよくなって、腕を振り回して山を登っていったが、これを見た僧侶たちは「仏門の身でありながらぐでんぐでんに酔っぱらうとは何事か」といって大騒ぎを始めた。僧になり切っていない魯智深は「何だおまえら、ケンカなら相手になるぞ」と怒鳴りつけ、何人か殴り倒し、びっくりした僧たちが逃げ込んだ蔵の戸をぶちこわした。ここに長老が出てきて「智深、無礼だぞ!」。魯智深も長老には敬意を払っていたので、いわれるままに部屋に戻った。翌日、長老から叱られた魯智深は「もういたしません」と約束した。
 ところが、それから三ヶ月ほどしてまたしても酒や肉も恋しくなった魯智深は今度は山の下の町まで出ていった。するとそこには酒屋もあれば肉屋もある。魯智深は喜び、好きなだけ飲み食いして大いに酔っぱらって山に帰ると、今度は山門の金剛像が自分を笑っていると思って二三度殴ってぶちこわしてしまった。智真長老もこれには我慢がならず、魯智深はついに五大山から追い出され、長老の紹介で東京の大相国寺に移ることになった(第4回)。なお、五大山を出るに当たって、魯智深は山の下の町の鍛冶屋で重さ62斤の鉄の禅丈を受け取った。町に酒を飲みに来た日に注文しておいたもの物で、これ以降は彼はいつもこの武器を持ち歩いている。
 五大山を出た魯智深は大相国寺に向かうが、さすがに魯智深だけあって旅の途中でも2度ばかり大暴れした。
 まず初めに魯智深は桃花村で山賊を懲らしめた。というのも、桃花山の山賊の第二の親分周通が、村の金持ちの娘と無理矢理結婚しようとしていたからで、これを知った魯智深が周通を痛めつけたのである。山賊たちはすぐにも第一の親分を連れて復讐に来た。ところが、この親分というのがなんと渭州で一緒に酒を飲んだことのある李忠だったので、魯智深の頼みを聞いた形で周通は結婚をあきらめたのである。
 それから魯智深は再び大相国寺を目指すが、今度は瓦罐寺という古寺で大暴れした。ここはもともと檀家のない托鉢寺だったが、崔道成、丘小乙という2人組に乗っ取られ、いまでは何もかもが無茶苦茶になり、抵抗できない年寄りの坊主が数人いるだけだった。これを知った魯智深、寺の外で偶然にも再会した史進と一緒に2人のならず者をやっつけた。ちなみに、史進がこんな場所にいたのは、路銀を使い果たして追い剥ぎになっていたからで、彼はこの後少華山に行って山賊になっている。

●林冲を助けて大相国寺を追われる

 いろいろあった末にやっとのことで東京の大相国寺にやってきた魯智深はここで偶然にも豹子頭の林冲と出会った。
 大相国寺では魯智深は門の外にある菜園の番人を任される。ここはしばしば城外のならず者たちがやってきてよく荒らされる場所だったが、魯智深はすぐにもならず者たちと仲良くなってしまう。ならず者たちからもてなされた魯智深は酔っぱらって気分をよくし、みなが見ている前でかなり大きな柳の木に抱きつくと根こそぎひっこぬいてみせ、自分がいかに力持ちかを披露する。さらに、62斤の禅丈を軽々と振り回してならず者たちを驚かす。すると、菜園の塀の外からこの様子を見ていた男がいて思わず「見事だ」とつぶやいた。これが東京で八十万禁軍の槍棒の教頭をしていた林冲だった。
 天罡星同士の魯智深と林冲はすぐにも仲良くなるが、ちょうどこのころ林冲が悪役・高俅の陰謀で滄州へ流刑と決まる。しかも、護送役人は護送の途中で林冲を殺すようにと高俅の命令を受けている。魯智深はまったく偶然にこのことを知るのだが、密かに護送される林冲の後を追うと、いまにも林冲が殺されそうになったところで彼を助けた。が、林冲の意見に従って護送役人は殺さずに、林冲が無事に滄州に着くまで後に付いていった。すると、東京に戻った護送役人が魯智深のことを高俅に告げたため、魯智深もまた東京にいられなくなってしまう。
 その後あちこち流れ歩いた魯智深は孟州の十字坡で張青と孫二娘と知り合う。孫二娘ははじめ魯智深を殺して肉饅頭にしようとするが、張青がそれを止め、相手が好漢の魯智深だと知ると身を落ちつけるなら青州の二竜山の山賊になるのがいいだろうという。ところが、二竜山の山賊の親分鄧竜は魯智深があまり強いのに驚いて、山の関門を閉ざしてしまう。ちょうどこのころ青面獣の楊志も二竜山を目指しており、2人は山の中で知り合うと楊志のつてで居酒屋をしている曹正に相談を持ちかける。この曹正が結構頭が良い。魯智深が居酒屋でぐでんぐでんに酔っぱらったところに縄を掛けて捕まえたとうそをついて、山の関門を開けさせた。そして、鄧竜の前まで来たところで、空結びに縛られていた魯智深が縄をほどいて飛びかかり、見事に鄧竜を叩き殺すと、これからは魯智深と楊志が山賊たちの親分になった(第17回)。

●桃花山、白虎山と手を結び梁山泊と合流

 魯智深が第一の頭領、楊志が第二の頭領となってから二竜山は盛んになり、やがて行者の武松や金眼彪の施恩も仲間に加わった。
 そんなあるとき、桃花山の李忠が魯智深のところに応援を求めに来た(第57回)。聞けば、梁山泊との戦いに一度は敗れた呼延灼が今度は青州軍と手を結んで山賊退治を始めたのだという。魯智深はすぐにも五百人の手下を率いて戦いに出ると、双鞭を振り回す呼延灼に禅丈を振り回して戦ったが互いにものすごい腕前なので勝負はつかない。そこで互いに兵を引いたが、呼延灼の方は青州に戻ると攻めてきた白虎山の山賊と戦い、孔明を生け捕りにした。孔明の弟の孔亮からこれを聞かされた魯智深はすぐにも楊志と話し合い、宋江率いる梁山泊に協力を求めた。そして、二竜山、白虎山、桃花山の山賊たちは梁山泊と共同戦線をはった。こうして、青州の牢城から孔明を救出し、さらに呼延灼を生け捕りにするのに成功すると、魯智深はこれを機に梁山泊入りした(第58回)。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐後に杭州の六和寺で座化する
宣和元年 2月、史進を助けようとして華州で捕らえられる。
 梁山泊入りした魯智深はすぐにも少華山にいる史進、朱武らを梁山泊に迎えたいと宋江に申し出て、武松とともに少華山へ出向いた。ところが、そこに史進の姿はない。朱武によれば、史進は王義という絵描きを苦しめた華州の賀太守に復讐するために単身役所に乗り込み逆に捕らえられてしまったという。これを聞いた魯智深は武松らが止めるのも聞かずにたった一人で救出に出かけ、史進と同様に賀太守に捕らえられてしまった。しかし、梁山泊の好漢たちが朝廷の使節団に変装し、華州長官・賀太守を華山に呼び出すという吾用の作戦で魯智深も史進も無事に救出された。

5月ころ、呉用にだまされた盧俊義が梁山泊方面に旅してくると、魯智深は武松、李逵らとともに盧俊義を生け捕りにするために戦った(第61回)。
宣和2年 正月、盧俊義と石秀を救出するために北京攻撃が行われ、魯智深は武松と一緒に行脚僧の恰好で北京城外の寺に泊まり、作戦実行と同時に北京南門で敵の大軍をくい止める働きをする(第66回)。

春、梁山泊と曽頭市との二度目の戦争で、魯智深は武松、楊志らとともに敵将・蘇定を追いつめ、乱れ矢の中で戦死させた。この戦いの直後、宋江が盧俊義に梁山泊の総頭領の地位を譲ると言い出すと、魯智深は呉用、李逵、武松らと一緒に、宋江の態度に不満を述べた(第68回)。

3月頃の東平府・東昌府攻撃では、魯智深ははじめは出征しなかったが、宋江軍が東平府を落とし、さらに盧俊義を助けるために東昌府へ向かったとき、呉用の命令で武松、李立らとともに全水軍を率いて東昌府へ向かった。この作戦で魯智深らは糧秣車を敵将・張清に略奪されるのをわざと許し、張清らが河にある糧秣船までも襲うように仕向け、張清を生け捕りにするのに貢献した(第69回)。
宣和3年 正月、史進、武松たちとともに宋江の供となって、15日の元宵節の祭りを見物しに東京に行く(第72回)。

4月、朝廷から梁山泊招安を伝える第一回目の勅使が派遣されてきたが、下賜された酒がただのどぶろくだったことから大騒ぎになり、魯智深は禅杖をひっさげて「この野郎め、人を馬鹿にするんじゃない」と勅使を怒鳴りつけた(第75回)。

夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。魯智深は武松とともに伏兵となり、逃げてくる童貫軍に切り込んで敵をちりぢりにした(第77回)。
宣和4年 2月、梁山泊が朝廷に帰順する。

3月ころ、梁山泊軍は隊列を組んで式典のために東京に入城。このときほとんどの頭領たちはみな軍装に身を包んでいたが、魯智深は真っ赤な僧衣を着ていた(第82回)。

4月ころ、遼国戦争が始まり、魯智深は宋軍の正将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、魯智深は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

宋江軍が薊州を取ると遼国から梁山泊軍を招安したいという申し出があり、宋軍では一部の将兵が敵に寝返ったように見せる作戦を採る。魯智深は盧俊義らとともに敵に寝返る第二陣を編成し、覇州文安県の関所に押し掛けて奪い取った(第85回)。

最終決戦となった昌平県境の戦い。魯智深は敵の太陽の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

遼国戦争後、五大山の智真長老を訪ねる。
 遼国戦争が終わり、宋軍が遼国から帰還しようというとき、魯智深は遼国から遠くない五大山の智真長老に会いに行きたいと宋江に申し出た。これを聞いた宋江は智真長老が立派な僧侶だと知っていたので、それならば皆でお詣りに行こうということになり、梁山泊の主要なメンバーも一緒についていった。このとき、智真長老は魯智深のために四句の偈をあたえた。それは、
 夏に逢って擒にし
 臘に遭って執う
 潮を聴いて円し
 信を見て寂す
というものだった(第90回)。このとき、魯智深はこの意味をわからなかったが、後に死ぬときになってはじめてその意味を理解することになる。
田虎討伐戦始まる。◎盧俊義一隊に加わり、陵川城、高平県城を落とす(第91回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、魯智深は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

昭徳城攻略戦。魯智深は武松、劉唐とともに敵軍に切り込んだが、敵将・喬道清が妖術で出現させた幻の兵士たちに襲われて苦しみ、そこへ敵軍が押し寄せたので、三人とも敵の捕虜になってしまった(第95回)。三人は喬道清の前に引き立てられると、「糞道士め、たとえおれたちを殺せても、おれたちを屈服させることはできないぞ」と怒鳴りつけた。

宋軍が昭徳城を落としたとき、魯智深たちは解放された(第97回)。

襄垣県境の戦い。
 魯智深は武松、解珍、解宝とともに敵の女将軍・瓊英の石つぶてに苦しめられ、解珍と解宝を敵に捕らえられたうえ、自分はどういうわけか一人だけ穴に落ちてしまった(第98回)。宋軍では魯智深が戻ってこないので、行方不明になってしまったと大騒ぎになったが、魯智深はこの穴の中で幻としか思えないような不思議な体験をした。穴の中にも地上と同じような世界があり、そこで魯智深は不思議な僧に会い、「ここを真っ直ぐ行けばすごいものを手に入れるだろう」といわれた。魯智深がいわれたとおりにするとふいに地上に出現した。ちょうどこのとき、地上では戴宗が田虎軍の魔法使い・馬霊を神行法で追いかけていたが、追いつけずに困っているところだった。ところが、魯智深が出現したのはなぜか逃げている馬霊の真正面だったので、魯智深は禅丈で馬霊を打ち倒し、生け捕りにするという手柄を上げることができた(第99回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻めの戦い。魯智深は武松らとともに水軍の操る船に乗り込み、逃げ遅れた宋軍の兵糧船と見せかけてわざと敵に捕らえられ、一斉に暴れ出して敵城を奪った(第107回)。

荊南州の戦い。魯智深は武松、李逵らと敵基地のある紀山を背後から不意打ちして攻略した(第107回)。

方臘討伐戦が終わり、東京に凱旋する。魯智深は軍装ではなく僧衣で行列に参加した(第110回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

宋軍が敵側の大商人・陳将士の屋敷を襲う。魯智深は武松、李逵らと屋敷に討ち入って大暴れした(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、魯智深は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。

常州城攻略戦。魯智深は武松、孔亮らとともに宋軍に寝返った敵将・金節を追いかけるふりをし、そのまま敵城に切り込んで大暴れした。

杭州城攻略戦。魯智深は敵将・鄧元覚と互いに禅杖で渡り合って引き分けた。鄧元覚は敵軍の禅杖の名人だったので、これを見た敵将たちは魯智深の腕前に大いに感心した(第115回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、魯智深は宋江麾下の軍に編入され、睦州へ向かった(第116回)。

睦州烏竜嶺の戦い。戦死した解珍と解宝の死骸を取り戻そうと宋江が関勝らを引き連れて出発すると、魯智深は呉用の命令を受けて武松らと宋江のあとを追い、烏竜嶺で敵の伏兵に襲われた宋江を救出した(第117回)。

敵の大将・方臘を生け捕りにする(第119回)。
 烏竜嶺の戦いで、魯智深は敵将・夏侯成を追いかけてついに討ち取ったものの、山林の中で仲間からはぐれ、一時的に行方不明になってしまった(第117回)。ところが、これが魯智深に大きな手柄を立てさせることになった。道に迷った魯智深が山の中を歩いていると見たこともない老僧が現れ、彼を草庵に案内し、ずっとここで待っていて背の高い男が林の中から出てきたら捕まえるように指示する。魯智深がいわれたとおりそこで待っていると、やがて本当にそんな男が現れたので捕まえてみると、それが宋軍に追われて逃げてきた方臘だった。こうして魯智深は方臘を捕らえるという方臘討伐戦で最大の手柄を立てた(第119回)。

杭州の六和寺で静かに死亡する。
 魯智深は宋軍とともに戦い、方臘討伐後まで生き残ることになったが、戦いを終えた宋軍が杭州の六和寺に駐留していたときに不思議なことが起こった。このとき魯智深は武松と一緒に寺内に休んでいたが、二人が僧房で寝ているとふいに銭塘江の潮の音が雷鳴のように響いた。魯智深はてっきり敵だと思い、禅丈を持って飛び出したが、僧侶たちによるとそれは潮信と呼ばれるもので、昼と夜の二回必ず聞こえてくるのだという。これを聞いた魯智深は、以前に智真長老から与えられた偈の意味をさとった。つまり、最初の二句は魯智深が夏侯成と方臘を捕らえたことを意味し、次の二句は潮信を聞いて円寂する(死ぬ)ことだったのである。そこで、魯智深は寺男たちに湯を沸かしてもらって身体を清め、禅椅の上に座った。すると間もなく、魯智深はそのままの姿で静かに死んでしまった(第119回)。
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