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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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イオの末裔
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天異星
てんいせい
劉唐
りゅうとう
梁山泊での順位 21位
持ち場 歩兵軍頭領
特技 槍・朴刀
あだ名 赤髪鬼(せきはつき)
出身地・前歴 東潞州・流れ者
あだ名の由来
髪の生え際に赤あざがある大男だったので赤髪鬼と呼ばれた。
生辰綱略奪計画を持って晁蓋の仲間になる
 劉唐は天罡星のひとつ天異星が生まれ変わった好漢である。
 若いときから各地を転々として好漢たちとのつきあいを重ねていた流れ者のごろつきである。武芸の腕は抜群で、千二千の軍馬の中だろうと槍が一本あればびくともしない腕前だった。しかし、思慮の浅いところがあり、つまらぬことで捕盗役人だった雷横と朴刀で一騎打ちをしたりしている。生辰綱(誕生祝いとして贈られる金銀財宝)略奪計画を持って晁蓋を尋ね、呉用、公孫勝、阮氏三兄弟らが梁山泊入りするきっかけを作ったという働きは大きいが、梁山泊入山後の働きは天罡星としては物足りないところがある。
劉唐の物語
◆生辰綱運搬の情報を持って晁蓋を訪ねる

 劉唐は若いときから各地を渡り歩いて、好漢たちとのつき合いを重ねているような流れ者だった。あるとき北京大名府の梁中書がその舅である太師蔡京の誕生祝いのためにばく大な金銀財宝を東京に送るという情報を手に入れた。梁中書の財宝といえば民衆から搾取したものに違いない。そう思った劉唐はこれを奪い取りたいと考えたが、1人ではどうにもならない。そんなとき晁蓋という人物のうわさを聞いた。晁蓋は鄆城県近郊の東渓村に住む金持ちで、義を重んじて財を疎んじ、天下の好漢たちと親交を結んでいるという。そこで劉唐は晁蓋に会うために旅に出た。五月はじめのある夜、東渓村に着いた劉唐はすでに夜も更けていたし、酒を飲んで酔っぱらっていたので、目に付いた廟の本殿に入り込むと、ぼろぼろの着物を脱いで枕にし、真っ裸になって供物机の上で寝てしまった(第13回)。するとしばらくして、二十人ほどの捕盗係の兵士たちが堂の中に飛び込んできて、劉唐に襲いかかってきた。眠っていた劉唐は抵抗することもできず、縄で縛られ、堂の外に引きずり出された。このとき、劉唐を捕らえた兵士たちを率いていたのは雷横だった。雷横は鄆城県で捕盗係の都頭(警察隊長)をしており、長官の命令で真夜中の見回りをしていたのである。
 ところが、捕らえられた劉唐は役所ではなく、東渓村にある大きな屋敷に連れて行かれた。これが晁蓋の屋敷だった。雷横は劉唐を捕まえたものの、まだ夜も明けていなかったので、とりあえず名主の晁蓋のところへ行き、挨拶をして、何かご馳走になってから役所に行こうと考えたのである。雷横は晁蓋の屋敷に着くと、劉唐を門長屋の中に吊るし、兵を率いて晁蓋に挨拶に行った。
 こうして、劉唐が門長屋の中に吊るされていると、しばらくしてひとりの大男がやってきて、「おまえはどこの誰だ。この村の者じゃないな」と話しかけてきた。この男というのは晁蓋だった。晁蓋は雷横たちがこそ泥を捕まえたというので、屋敷の使用人に雷横たちの相手をさせておいて、どんなこそ泥なのかと密かに門長屋を覗きにきたのである。劉唐は「おれは遠方からある人を訪ねてきたんだが、どういうわけか泥棒扱いされてしまったんだ」。男が「誰を訪ねてきたんだ」というので、劉唐は「有名な好漢の晁蓋殿だ。おれはすごい金儲けの話を見つけたんでそれを知らせに来たんだ」と応えた。するとその男は「その晁蓋というのはこのわしだ。おまえさん、もしわしに助けてほしいなら、わしを伯父さんだということにしておけ。わしが雷横さんを送って出てきたら、わしのことを伯父さんと呼ぶんだ。幼いときにこの村を出て行ったきり会ってなかったので、すぐにはわからなかったというんだ」。それから晁蓋は長屋を出て行った。
 そのうち夜が明けてきたころになって、兵士たちがやってきて劉唐は長屋から連れ出された。そこに晁蓋と雷横がいて何か話していたので、劉唐はすぐにも「あ、伯父さんじゃないですか。助けてください」と叫んだ。すると晁蓋が少し考えるようなふりをしてから、「なんだ、おまえは王小三じゃないか」と叫んだ。さらに晁蓋は、二人の様子を見て驚いている雷横に、劉唐が長いこと離ればなれになっていた甥なのだということを細かく説明した。劉唐も、自分は伯父さんに会いに来たので、けっして泥棒なんかしていないと言い訳した。こうなると雷横も劉唐を捕まえる理由はなかったので、すぐに劉唐を解放した。晁蓋は心づけとして十両の金を雷横に渡し、役人たちを送り出した。
 それから晁蓋は劉唐を屋敷の奥の部屋に行くと、あらためて金儲けの話について尋ねた。そこで劉唐は、北京大名府の梁中書がその舅である太師蔡京の誕生祝いのために、誕生日の6月15日に合わせて、ばく大な金銀財宝を東京に送るという話を晁蓋に伝えた。話を聞いた晁蓋は「では、細かな相談はあとでやることにし、今日のところはあなたは疲れているだろうから、しばらくお休みなさい」といい、使用人に命じて劉唐を客間に案内させた。

◆雷横を追いかけて朴刀で渡り合う

 ところが、客間に案内されたものの、劉唐はくやしくて眠れなかった。なんといっても雷横に捕まり、吊り下げられたのに腹が立った。雷横が心づけとして晁蓋から十両を受け取ったのも気に入らなかった。「そうだ、あの十両を取り返して、晁蓋に返してやろう」と思った劉唐はすぐにも槍掛けにあった朴刀をつかむと晁蓋の屋敷を飛び出して雷横たちを追いかけて行った。
 数里先で雷横たちに追いつくと、劉唐は「この野郎、おれを吊り下げたうえに十両ももらいやがって。さっさとその金を返せ」と朴刀を振り回しながら叫んだ。こういわれると雷横も黙ってはいられないので、兵の手から朴刀を取ると、「おまえなんか屁でもない」と怒鳴り返してきた。すぐに劉唐は打ちかかり、雷横がこれを迎え打った。こうして二人は五十合も打ち合ったが勝負はつかない。このとき、二本の銅の鎖を持った男が現れ、「やめなさい、やめなさい」と二人の間に割って入った。近所で家塾の先生をしていた呉用だった。雷横は呉用をよく知っていたので、すぐにも争いが起きた事情を説明した。が、劉唐の方はまだ呉用を知らないものだから、「書生なんかの知ったことか」と吐き捨てた。そうこうするうちに、街道の向こうの方からいかにも慌てた様子で晁蓋が駆けてきて、「こら、つまらぬまねをするな」と劉唐を叱りつけた。そして、雷横から事情を聞かされるとしきりに謝り、「今日のところはわたしの顔に免じて許してやってください」と謝った。雷横は劉唐は気に入らないが、晁蓋には敬意を払っていたので、「いや、晁蓋殿が謝る必要はありませんよ」といって引き上げていった(第14回)。
 ところで晁蓋と吾用は古くからの知り合いだったので、晁蓋は吾用も屋敷に呼んで生辰綱略奪について相談を持ちかけた。こうして呉用の作戦で生辰綱略奪は実行されることになった。
 6月4日に劉唐は晁蓋、呉用、公孫勝、阮氏三兄弟、白勝と一緒に見事に生辰綱を略奪した。しかしその後、一味の犯行が露見して白勝が捕らえられたことから、残った七人は急遽梁山泊へ逃れた。このとき、梁山泊の頭領・王倫はなんとか七人を追い出そうとしたが、このことのために腹を立てた林冲に殺された。この結果、梁山泊は晁蓋のものとなり、劉唐は第五の地位についた。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に杭州で戦死する
政和5年 梁山泊へ逃げた晁蓋一味を捕らえるために済州の兵が攻め寄せる。劉唐は司令官・黄安を捕虜にした(第20回)。

9月ころ、生辰綱略奪が露見したことを知らせてくれた宋江に礼をするために、劉唐が手紙と金を持って密かに宋江を訪ねる(第20回)。
政和7年 4月ころ、鄆城県で閻婆惜殺しの罪で逮捕された宋江が江州へ護送される途中で梁山泊近くを通る。劉唐は手下を引き連れて宋江と護送役人前に出現し、一行を梁山泊へ招いた(第36回)。

7月、江州で処刑されそうになった宋江と戴宗を救出する。劉唐は槍棒使いの大道芸人に変装して江州に侵入し、処刑場のそばで大暴れした(第40回)。

7月、宋江が家族を梁山泊に呼び寄せるために単身故郷に向かう。呉用らの命令で、劉唐はほかの仲間たちとともに宋江のあとを追い、故郷で宋江を捕らえようとしていた役人たちをけちらした(第42回)。
政和8年 1月ころ、祝家荘戦争が起こる。劉唐は呉用らとともに本寨の守備を担当した(第47回)。

冬、呼延灼率いる朝廷軍と戦う。二回目の戦いで、劉唐は歩兵軍に編入された(第57回)。
宣和元年 4月、曽頭市との第一回目の戦争が起こる。晁蓋が二十名の頭領を引き連れて曽頭市を攻め、そのうち十名の頭領が城内にまで攻め込んだが、劉唐もこれに選ばれた(第60回)。

5月ころ、呉用にだまされた盧俊義が梁山泊方面に旅してくると、劉唐は武松、李逵らとともに盧俊義を生け捕りにするために戦った(第61回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。劉唐は楊雄ととともに取り手の役人に変装して北京の州役所に侵入し、梁山泊軍の攻撃を役所に報告しに来る者たちを入口のところで妨害した(第66回)。

春、曽頭市との二度目の戦争のあとで、宋江が盧俊義に梁山泊の総頭領の地位を譲ると言い出す。劉唐は呉用、李逵、武松らと一緒に、宋江の態度に不満を述べた(第68回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。劉唐は宋江麾下の軍に編入され、東平府を攻めた(第69回)。戦いに勝利した後、宋江軍は盧俊義軍の応援に東昌府へ行くが、そこでの戦いで劉唐は敵の捕虜になり、戦後解放された(第70回)。
宣和3年 正月、史進、魯智深たちとともに宋江の供となって、15日の元宵節の祭りを見物しに東京に行く(第72回)。

4月、朝廷から梁山泊招安を伝える第一回目の勅使が派遣されてきたが、下賜された酒がただのどぶろくだったことから大騒ぎになり、武松も朴刀を構えて勅使に詰め寄った(第75回)。

夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、劉唐は中央の陣の後ろに位置し、遊撃隊を率いた(第76回)。

童貫軍を打ち破ったあと、劉唐は戴宗とともに東京の様子を探りに出かけ、太尉・高俅が十三万の兵を率いて梁山泊討伐に乗り出すという情報を梁山泊にもたらした(第78回)。

秋、高俅率いる梁山泊討伐軍と戦う。二度目の戦いで、劉唐は水路の戦いを指揮した(第79回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

宋江、呉用、劉唐たち十二名の将が兵を率いて梁山泊に戻り、建物の取り壊しなどを行った(第83回)。

4月ころ、遼国戦争が始まり、劉唐は宋軍の正将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、劉唐は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊軍を招安したいという申し出があり、宋軍では宋江と一部の将兵が敵に寝返ったように見せる作戦を採る。劉唐を含む十数名の将が一万の兵を連れ、宋江と一緒に敵の文安県城に入り、後続の部隊と呼応してこれを落とした(第85回)。

昌平県境での最終決戦。劉唐は敵の金星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

宋軍は敵地に近い衛州に結集し、李逵は鮑旭、項充らとともに盧俊義に率いられて陵川城、高平県城を攻め落とした(第91回)。
(宣和5年) 蓋州城攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、劉唐は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

昭徳城攻略戦。劉唐は武松、魯智深とともに敵軍に切り込んだが、敵将・喬道清が妖術で出現させた幻の兵士たちに襲われて苦しみ、そこへ敵軍が押し寄せたので、三人とも敵の捕虜になってしまった(第95回)。三人は喬道清の前に引き立てられると、「糞道士め、たとえおれたちを殺せても、おれたちを屈服させることはできないぞ」と怒鳴りつけた。

宋軍が昭徳城を落としたとき、劉唐たちは解放された(第97回)。◎王慶討伐戦始まる。

南豊州での最終決戦。劉唐は魯智深らと宋軍の前軍となって敵に戦いを挑み、わざと逃げるふりをして敵軍を宋軍の前におびき寄せた(第109回)。また、敵軍が逃げ出そうとするや魯智深、李逵らと背後から襲いかかり、敵将・李雄、畢先(ひっせん)らを討ち取った。(第109回)。
 宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装う作戦を取る。劉唐は史進らとともに第三団の船に乗り込み、敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、劉唐は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、劉唐は呼延灼の指揮下に徳清県に向かった(第114回)。

杭州城攻略戦中に戦死する。盧俊義軍が杭州城に迫ったとき、劉唐は一番手柄を立てようという気持ちからまっしぐらに城内へかけ込もうとし、敵が落とした門の戸に押しつぶされて戦士した(第115回)。
 小説
イオの末裔
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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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