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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
フランボワイヤン・ワールド・トップ水滸伝の豪傑たち目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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イオの末裔
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天退星
てんたいせい
雷横
らいおう
梁山泊での順位 25位
持ち場 歩兵軍頭領
特技 朴刀
あだ名 插翅虎(そうしこ)
出身地・前歴 鄆城県・鄆城県の捕盗係の歩兵の都頭(警察隊長)
あだ名の由来
插翅虎とは羽の生えた虎のこと。身長七尺五寸(約225cm)、左右に跳ね上がったひげを生やし、二三丈(5~6m)もある広い川を跳び越えることができたので插翅虎と呼ばれた。
義侠心はあるがなぜかスター性に欠ける意固地な豪傑
 雷横は天罡星のひとつ天退星が生まれ変わった好漢である。
 朱仝とともに鄆城県の捕盗係の都頭をしていたが、もとは鍛冶屋で、いろいろな職を転々とし、ばくちも打つ豪傑肌の男だった。義侠心が盛んだったので、朱仝とともに晁蓋一味や宋江の逃亡を助けたが、後に自分自身が殺人者となってしまい、朱仝に助けられて逃亡して梁山泊に加わった。雷横が天罡星になっているのは宋江たちを助けるという重要な役割をしたからだろう。しかし、朱仝が温厚なのに比べて雷横には意固地なところがあり、仕事でも朱仝がリーダー格だった。梁山泊でも雷横は歩兵の頭領になり、騎兵の頭領になった朱仝ほどには活躍できなかった。
雷横の物語
◆晁蓋を訪ねてきた赤髪鬼の劉唐と一戦交える

 雷横は済州鄆城県の役人で、捕盗係の歩兵の都頭だった。ある年の3月ころ、雷横は朱仝とともに新任の知県(長官)から呼び出され、鄆城県郊外の夜間の巡察を命じられた(第13回)。そこで、朱仝は西門から、雷横は東門から、それぞれ配下の兵を率いて出ていった。
 いくつもの村を巡察した後で東渓村の近くのとある霊廟にさしかかったとき、社殿の門が開いていたので雷横は不審に思った。「ここに住んでいる者などいないはずなのに。さあ、みんな中を調べろ」と雷横はいった。と、社殿の中の供物机の上で見たこともない大男が素っ裸でいびきをかいていた。「やや、これは間違いなく盗賊だ」と思った雷横はさっそく兵たちに大男を縄で縛り上げさせた(第14回)。それから雷横はまだ夜明け前の午前四時頃だったので、「よし、これから保正(名主)の晁さんのところで何かご馳走になってから役所に行くことにしよう」といって一同を連れて東渓村の名主・晁蓋の屋敷に向かった。晁蓋の屋敷に着くと兵たちが大男を門の脇の長屋に吊るした。間もなく下男から知らされた晁蓋が起き出してきたので、「知県の命令で朱仝と二人で見回りに出て、霊廟で不審な大男を捕まえましたが、役所へ行くには早すぎるので、恐縮ですがちょっと休ませてください。大男は門長屋に吊るしてあります」と雷横はいった。晁蓋は金持ちらしいおおようさで、さっそく雷横を奥の間に招き入れて酒食をもてなし、下男に命じて兵たちも別な客間に案内させて大いにもてなした。
 雷横が酒を飲みはじめて間もなく、晁蓋は少しの間、屋敷の支配人に雷横の相手をさせておいた。この間、晁蓋がどこにいっていたか雷横は少しも気にしなかった。実は、この間に晁蓋はどんな強盗が捕まったのかという興味から密かに門長屋を訪ね、そこで大男の話を聞き、大男が助かるように二人で策を練っていたのである。というのも、この大男というのは劉唐で、ばく大な金を手に入れる方法を見つけてそれを晁蓋に知らせに来たといったからだった。そんなこととはつゆ知らぬ雷横は、そのうち夜が明けてきたので丁寧にいとまごいをし、見送りするという晁蓋と一緒に外へ出た。兵たちも出てきて、門長屋から大男を連れ出してきた。と、晁蓋を見た大男が、「伯父さんじゃないですか。助けてくださいよ」と叫んだ。晁蓋も大男を見つめた後、「や、わしの甥の王小三じゃないか。十年も会わずにいたと思ったら、こんなところで捕まっているなんて、いったいどうしたんだ」といった。「十年ぶりに会いに来たんですが、昨夜は酒を飲み過ぎ、廟に入って寝ていたところを捕まってしまったんですよ」と大男。これには雷横もびっくりし、すぐにも大男の縄を解かせ、晁蓋に謝罪した。それから雷横が一同とともに帰ろうとすると、晁蓋がどうしても礼をしたいと金を出すので、雷横は仕方なく十両の銀を受け取って帰路に着いた。
 ところが、雷横がみなと一緒にのろのろ歩いていると、しばらくして後ろからさっきの大男が追いかけてきた。晁蓋に救ってもらった劉唐はすぐにも客間に案内されて眠ろうとしたが、自分を縄で縛って吊り下げた雷横が晁蓋から十両の銀を与えられたことが我慢ならず、密かに客間を抜け出し、雷横の後を追いかけてきたのである。「この野郎、おれを吊り下げたうえに十両ももらいやがって。さっさとその金を返せ」と追いつくなり大男が朴刀を振り回しながら叫んだ。雷横は兵の手から朴刀を取ると、「おまえなんか屁でもない」と怒鳴りつけた。すぐに劉唐が打ちかかってきたので雷横がこれを迎えた。こうして二人は五十合も打ち合ったが勝負はつかない。このとき、二本の銅の鎖を持った男が現れ、「やめなさい、やめなさい」と二人の間に割って入った。近所で家塾の先生をしていた呉用だった。雷横は呉用をよく知っていたので、すぐにも争いが起きた事情を説明した。が、劉唐の方はまだ呉用を知らない物だから、「書生なんかの知ったことか」と吐き捨てて、もう一度雷横とやり始めそうな勢いである。そうこうするうちに、街道の向こうの方からいかにも慌てた様子で晁蓋が駆けてきて、「こら、つまらぬまねをするな」と劉唐を叱りつけた。そして、雷横から事情を聞かされるとしきりに謝り、「今日のところはわたしの顔に免じて許してやってください」という。こうしてこの日のいざこざは終わり、雷横は一同を連れて街へ帰った。

◆朱仝とともに晁蓋一味の逃亡を助ける

 3ヶ月ほどたった6月、北京大名府長官・梁中書が東京の宰相・蔡京に送った生辰綱(誕生祝いの財宝)が奪われるという事件が起こった。この事件の主犯が鄆城県郊外の東渓村に住む晁蓋だというので、雷横は同僚の朱仝と一緒に県の長官に呼び出され、すぐにも逮捕に行くよう命じられた(第18回)。雷横と朱仝は騎兵や土兵など百人を集め、数名の上官とともに東渓村へ向かった。このとき雷横と朱仝はお互いに口には出さなかったが、できることなら義に篤い立派な人物の晁蓋を助けたいと思っていた。
 その夜、東渓村に着くと、「あれが晁蓋の屋敷だ。雷横たちは表から攻め込んでくれ。おれは裏門で待ち伏せするから」と朱仝がいった。これを聞いた雷横は、朱仝が晁蓋を逃がそうとしていることをまだ知らなかったので、「いや、朱都頭こそ表から攻め込んでくれ。おれが待ち伏せしよう」といった。が、朱仝が強く主張するので、雷横はそれに従った。と、間もなく晁蓋の屋敷から火の手が上がった。これより少し前に鄆城県の押司だった宋江から官兵が逮捕にやって来るということを知らされていたので、晁蓋らはすでに逃げ出す準備をしていたのだった。これを見た朱仝がすぐにも屋敷の裏手へ回ると、「表から攻め込め」と怒鳴った。これを聞いた雷横は兵たちに大声で喊声を上げさせ、表門を打ち破って屋敷の中に飛び込んだ。屋敷の中は炎のおかげで十分明るかったが、人影はなかった。それでも雷横は兵たちを率いて大騒ぎしながらいろんなものを打ち壊した。その間に晁蓋らが逃げてくれればいいと雷横は思っていたのである。そのうちに裏の方から「表で賊を捕まえろ」という朱仝の叫び声が聞こえた。そこで雷横は表の方で兵たちに捜索させ、自分も賊を捜すようなふりをした。それからだいぶたったころ、雷横は兵を率いて裏門の方へ回った。見ると遠く方で朱仝が晁蓋らを追跡しているので、雷横もそれを追い始めたが、雷横らが近づいたとき朱仝が道を踏み外して転んでしまった。後からやってきた兵がそれを助け起こしたが、このときには晁蓋らは見えなくなっていた。この後、雷横らはさらに晁蓋らの捜索を続けたが、兵たちは都頭たちに捕まえられない者を自分たちに捕まえられるはずがないとあきらめていたし、雷横も最初から捕まえる気はなかったので、適当なところで捜索を打ち切って引き返した。待っていた上官には「駄目です。まったくすごいやつらですね」と報告した。
 晁蓋たちが逃げ出して数カ月後の9月ころには、今度は鄆城県の押司・宋江が愛人を殺害するという事件が起こった。知県から命令を受けた雷横と朱仝は兵を集め、すぐにも宋江が潜んでいるらしい、宋家村にある宋江の実家に向かった(第22回)。が、実家に宋江はいなかったので二人は手ぶらで、役所に戻った。罪人がいない場合には家族の者を捕らえて戻らなければならないところだが、二人は宋江とは親しくしていたので、そこまではしなかった。そして、「屋敷と周辺を捜しましたが宋江はいませんでした。弟も旅に出たまま不在で、老父は病気で寝たきりの状態でした」と知県に報告した。このときの捜索で、朱仝は実は屋敷の中の地下室に隠れていた宋江と話をしてきたのだが、雷横はそのことは知らなかった。

◆女芸人・白秀英を殺し梁山泊へ逃れる

 その後も鄆城県で都頭の仕事を続けていた雷横は、三年ほどたったあるとき、東昌府へ出張した帰りに梁山泊付近を通ることになった。すると突然、盗賊が現れ、「通り賃をよこせ」と雷横の前に立ちはだかった。これが梁山泊の盗賊で、雷横が名を名乗るとその名前を知っていた朱貴に、無理矢理梁山泊に招待された(第51回)。梁山泊に行った雷横はそこで晁蓋や宋江と会い、数日間滞在した。このとき雷横は宋江から入山を勧められたが、老母がいることを理由にそれを断り、鄆城県に帰った。
 それから間もないある日、街を歩いていた雷横に李小二という遊び人が近づいてきて、「旦那が留守にしている間に白秀英というとびきりいかした女芸人が東京から旅回りに来て、大変な人気になっていますよ。毎日芝居小屋に出ていますから、ちょっと見に行きましょうよ」といった。雷横は暇だったので李小二について、芝居小屋の特等席に座った。舞台では前座が芸を見せていたので、李小二の方は酒を飲みに外へ出ていった。そのうち舞台に独りの老人が出てきて、前口上を述べ始めた。老人は白玉喬という名で、白秀英の父だという。それが終わるといよいよ白秀英が出てきて、歌を歌った。場内は割れんばかりの喝采で、雷横も感心した。白秀英は美しい上に芸もすばらしかった。と、少しして、これからいよいよ芝居だというときになって、白玉喬が横から口を出し、金のありそうな客にそれとなくチップを要求した。白秀英は手に盆を持ち、「どうぞよろしく」といってからまず初めに特等席の雷横の前にやってきた。雷横はすぐにも金を出そうと思ったが、捜してみると一文もなかった。「うっかりして金を忘れてしまったようだ。しかたがない、明日も来て今日の分も渡すから、今日のところは勘弁してくれ」といった。が、白秀英は雷横の言葉を信じず、「最初が肝心ですからよろしく」という。雷横が同じことを繰り返してもまったく動こうとしない。と、横から白玉喬が、「そんな田舎者を相手にせず、もっと気楽なお客様に頼みなさい」といいだした。「何だって、おれが田舎者だって」と雷横が怒ると白玉喬は、「ああそうさ、どこかの田舎で牛追いをしているすっかんぴんさ」などとひどい言葉を繰り返して雷横を馬鹿にした。これには雷横も我慢がならず、ばっと舞台へ駆け上がるとぼかぼかと白玉喬を殴って大怪我をさせた。
 雷横を知っていた観客たちが雷横をなだめたので間もなく雷横は怒りを治めて家に帰ったが、これに我慢できなかったのは白秀英だった。この白秀英というのは東京から鄆城県に最近やってきた新任の知県と深い仲だったので、すぐにも知県に訴えて雷横を逮捕させたのである。白秀英に熱を上げていた知県は何でもかんでも白秀英の言いなりで、雷横を逮捕すると首枷をはめ芝居小屋の前でさらし者にするように命じた。牢役人たちは命じられたとおり雷横を芝居小屋の前にさらしたが、雷横とは知り合いだったので、雷横の身体を縛り付けるようなことはしなかった。するとこれを見た白秀英がまたまた文句を言い初め、牢役人たちに食ってかかった。牢役人たちはやむなく雷横の身体を縛り付けた。ここに雷横の老母が弁当を届けに来て、雷横の姿を見ると大声で泣きながら牢役人をののしり始めた。「お母さん、聞いてくださいよ。あの白秀英というのは知県といい仲なのでわれわれもいうことを聞かないわけにいかないんですよ」と牢役人は言い訳したが、雷横の母親の騒ぎは収まらない。老婆はついに自分の手で雷横の縄を解き始めると茶店の中にいた白秀英に向かって、「この下司女め。相手かまわずの牝犬め」と悪態をついた。白秀英はかっとなり店から飛び出し、「よくも馬鹿にしたな」と叫んで老婆につかみかかるとめった打ちに殴り始めた。これを見ると親孝行の雷横はいきりたった。雷横は自分の首枷をつかむとそれで白秀英の頭を打ち据えた。この一撃で白秀英の頭はぱかりと割れ、白秀英は死んでしまった。
 ところで、昔から雷横と同僚だった朱仝はこのころ、牢屋詰めの軍官になっていた。白秀英殺しで逮捕された雷横が入れられたのがこの朱仝のいる牢だった。朱仝は雷横のためにあれこれと手を尽くしてくれたが、情婦を殺された知県の恨みを治めることはできなかった。60日の拘留期限の後に雷横は済州の役所に送られることになった。護送責任者は朱仝だった。雷横は朱仝の指揮する兵十名に率いられて出発した。鄆城県を出て間もなく一件の居酒屋があった。これを見た朱仝は、「さあ一杯やっていこう」といって兵たちを店の中に入れてしまうと、「何だって、小便がしたいのか」と雷横にいい、雷横を店の裏手の誰もいない草むらへ連れ出した。そして、雷横の首枷をはずし、「急いで家に帰り、おっかさんと一緒に逃げてくれ。知県はあんたを死刑にするつもりだから、済州に行けば間違いなく死刑だ。おれがあんたを逃がしても死刑にはなるまいし、おれの家は金持ちだから役人を買収することもできる。後のことは心配せず、さ、早くいけ」といった。雷横は大いに感謝し、朱仝のいうとおり母親を連れて梁山泊へ逃れ、そこで仲間に加わった。
梁山泊入山後の活躍
◆天罡星だがあまり目立たなかった雷横
政和8年 朱仝を梁山泊入りさせる作戦に参加する。
 梁山泊入りした雷横がそこで朱仝から受けた恩について話すと頭領たちはみな感激し、宋江、晁蓋の命令で朱仝を梁山泊に迎えるために雷横、呉用、李逵が派遣された(第51回)。朱仝は雷横を助けた罪で滄州に流され、知県に気に入られて役所で雑用をしていた。が、朱仝は真面目な男だったので、雷横らに誘われても梁山泊に入ることを拒んだ。このため、李逵が7月15日に朱仝と一緒に灯篭見物をしていた知県の愛児を殺し、朱仝が役所に戻れないような立場に追い込み、無理矢理に梁山泊入りさせた。

秋、柴進を救出するために梁山泊軍が高唐州を攻撃する(第52回)。雷横は公孫勝の援護を受けて高唐州長官・高廉を討ち取った(第54回)。

冬、呼延灼率いる朝廷軍と戦う。一回目の戦いで、雷横は敵の矢を受けて負傷した(第55回)。また、呼延灼軍を倒すために梁山泊軍が鈎鎌鎗という武器を採用することが決まると、雷横はもと鍛冶屋だったので、湯隆の指導を受けて鈎鎌鎗製造の監督をした(第56回)。
宣和元年 5月ころ、北京に住む盧俊義を梁山泊入りさせるための作戦が実行される。呉用にだまされた盧俊義が梁山泊方面に旅してくると、雷横は李逵や魯智深らとともに盧俊義を襲って戦った(第61回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。雷横は歩兵の頭領として北京攻撃軍に編入された(第66回)。

曽頭市との二度目の戦争が起こる。雷横は曽頭市の西の陣を攻めた(第68回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。雷横は盧俊義の軍に加わり、東昌府を攻めた(第69回)。この戦いで、雷横は朱仝とともに敵陣を攻め、敵将・張清の石つぶてを額に受け、関勝に救出された(第70回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、雷横は朱仝とともに中央の陣の真南を守った(第76回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、雷横は宋軍の正将として出征した。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、雷横は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

昌平県での最終決戦。雷横は敵の金星の陣に討ち入る一隊に加わった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、雷横は盧俊義麾下の軍に編入された(第93回)。

汾陽府での戦い。汾陽府城攻略後、盧俊義軍は敵援軍の将・馬霊の妖術に苦しめられ、この戦いで雷横は手傷を負った(第99回)。

威勝城攻略戦。雷横は欧鵬らとともに城の西門を奪った(第100回)。

王慶討伐戦始まる。◎南豊州での最終決戦。宋軍は九宮八卦の陣を敷き、雷横は中央の陣の真南に位置した(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州城攻略戦。宋軍は敵に糧秣を納入する大商人の船団を装う作戦を取る。雷横は史進らとともに第三団の船に乗り込み、敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、雷横は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二手に分け、雷横は呼延灼の指揮下に徳清県に向かった(第114回)。

徳清県で戦死する。雷横は敵将・司行方(しこうほう)と一騎打ちをし、馬から斬り落とされて戦死した(第115回)。
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