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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
フランボワイヤン・ワールド・トップ水滸伝の豪傑たち目次
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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天殺星
てんさつせい
李逵
りき
梁山泊での順位 22位
持ち場 歩兵軍頭領
特技 板斧
あだ名 黒旋風(こくせんぷう)
出身地・前歴 沂州沂水県百丈村・江州牢城の小役人
あだ名の由来
色黒の大男で、両手で二本の板斧(まさかり)を旋風のようにぶんぶん振り回して人を殺しまくるので黒旋風と呼ばれた。
純粋に人殺しを愛好する梁山泊随一の殺人鬼
 李逵は天罡星のひとつ天殺星が生まれ変わった好漢である。
 公孫勝の師匠・羅真人は李逵を評して、地上の人間が悪いことばかりするので、天が天殺星の李逵を地上に下して殺戮を行わせているのだといったことがある。つまり、李逵が人殺しをするのは生まれ持っている星のせいなので、誰にも止めることはできないということだ。李逵は梁山泊で一番子供っぽくて単純でユーモラスだという性格なので、それだけになおのこと李逵の人殺しは止めようがないのである。もともと江州牢城の小役人で戴宗の子分だったが、あるとき宋江と知り合ってからは宋江一筋に忠義を尽くすようになった。そんなわけで、梁山泊に入ってからも宋江だけは李逵に制約を加えることができた。また、戦場では鮑旭、項充、李袞とチームを組み、歩兵の頭領として二本の板斧を振り回し、大活躍した。
李逵の物語
◆宋江を助けるために江州で大暴れして梁山泊へ

 李逵は色が黒くて力持ちだったので故郷・百丈村では李鉄牛と呼ばれていた。あるとき人を殴り殺して江州へ逃げ込み、恩赦になってからもそこで暮らしていた李逵は、江州で牢役人をしていた戴宗と知り合い、牢の小役人になって生活していた。
 ある年の夏、李逵は金がなかったのである料理屋に入って主人に金を貸せといって暴れ出した(第38回)。そこへ偶然にも店に来ていた戴宗が二階から下りてきて、李逵を呼んだ。李逵がついていくと二階の座敷に色の黒い小男が待っていた。それを見た李逵は、「戴宗の兄い、この黒い奴は誰かね」と尋ねた。戴宗は、「この黒い奴なんて口のきき方があるか」と李逵を叱りつけ、「おまえが前から会いたがっていた立派な兄貴じゃないか」といった。が、李逵はまだ信じられない様子で、「こいつが本当に宋江さんならおれはいますぐ平伏するけど、うそだったらただじゃおかないぜ」といった。このとき小男が、「わたしが本物の宋江です」といったので、李逵は手をたたいて喜んだ。「なんてえこった。もっと早く教えてくれよ」と李逵はいい、宋江に平伏してから席に着いた。それから李逵がこの店に金を借りに来て暴れ出した経緯を話すと、「なんだ十両くらいならわたしが差し上げましょう」と宋江がいった。李逵は喜んで金を受け取ると、「仕事を済ましてすぐにお返ししますから」というなり店を飛び出し、まっしぐらに鉄火場に向かった。ばくちで一儲けし、十両を宋江に返したうえで、宋江たちに酒をご馳走しようと考えたのである。ところが、ばくち場にいって丁半ばくちを二回やっただけで李逵はすっかんぴんになってしまった。普段の李逵はばくちはきれいに打つ男だったが、この日ばかりはその金を宋江に返そうと思っていただけに大いに困り果て、ばくち場の仲間と口げんかしたあげくに床の上の金をつかんで逃げ出してしまった。李逵が必死で逃げていると誰かが後ろから肩を捕まえ、「こいつ、人の金など盗みやがって」と怒鳴った。見ればそれは戴宗で、その後ろには宋江もたっていた。李逵は恥ずかしくてならず、「宋江兄貴の金をすっちまったんで、頭が真っ白になってこんな事をしちまったんです」と謝った。すこししてばくち仲間が追いついてくると、李逵が奪った金を返し、さらに宋江が李逵に殴られた者たちの薬代まで出したので、その場は丸く治まった。
「では、これから三人で飲み直しましょう」と宋江がいうので三人は川沿いの琵琶亭という料亭に入った。ここで宋江は羊の肉を大皿に注文し、李逵に与えた。腹の減っていた李逵はガツガツと食いまくり、心の中で「宋江の兄貴はおれが腹を空かして肉を食いたがっていたのをちゃんとわかっていなさる」と大いに感心した。そうこうするうちに宋江が活きのいい魚の吸物が飲みたくなったといいだした。ところが店の給仕によれば、今日、捕れたての魚はまだ売りに出されていないので、塩漬けの魚しかないという。店のそばの河に漁船がいっぱい泊まっていたのを知っていた李逵は、「それならおれがひとっぱしり行って、生きているのをもらってきやしょう」といってすぐにも店の外に飛び出していった。ところが、河には百艘もの舟が止まっているのに、問屋の親方が来ていないからといって漁師たちの誰も李逵に魚を譲ってくれなかった。李逵が何をいっても聞かない。李逵は腹立ち紛れに舟に飛び乗ると、それが何だか分かりもしないのに、目に付いた竹の簀を引き抜いた。
 「わっ、何をする」と漁師は叫んだが、相手が李逵なので止めようがない。この竹の簀は舟の底に水を引き入れて魚を放し飼いにしておくための流水口のふただったので、そこにいた魚が全部逃げてしまったのである。何にも知らない李逵は舟の中に魚がいないのを見るとすぐに別な舟に飛び移ってまたしても竹の簀を引き抜いた。これには漁師たちも我慢がならず、数十人が一斉に舟に飛び乗って竹竿でうちかかり、李逵もまた竹竿を奪い取って反撃したのであたりは大騒ぎになった。ここに問屋の親方がやってきた。親方は李逵が暴れているのを見るやその前に飛び出し、「てめえ、何しやがるんだ」と怒鳴りつけた。この親方、身長六尺五寸(約195cm)の大男だったが、さすがに相手が李逵ではかなわない。李逵は男の頭を捕まえるとその背中をぼかすか殴りつけた。このとき、戴宗と宋江が騒ぎを聞きつけて飛び出してきて、「暴れるんじゃない」と怒鳴りつけた。そこで、李逵は親方をつかんでいた手を離し、しぶしぶ宋江たちに従った。
 ところが、李逵が歩き始めると間もなく、さっきの問屋の親方が今度は船を操って李逵を追いかけてきて、「真っ黒な大男め。逃げ出さずに勝負をつけろ」と河の中から喧嘩を売ってきた。かっとなった李逵が岸辺に駆け寄ると、親方は舟を岸につけ、竹竿で李逵の脚を突いた。李逵が考えもなしに舟に飛び乗ると、親方は竹竿を使ってあっというまに舟を岸から離し、河の真ん中まできたところでわざとぐらぐら揺すぶって船を転覆させ、李逵を河の中に突き落とした。李逵は泳ぎが不得手だったので手をばたばたさせてもがいた。それに比べて親方の方は泳ぎの天才としかいいようがない身のこなしで、李逵は何度も水の中に沈められ、いやというほど水を飲まされた。
 李逵はさんざんな目にあったが、このケンカは宋江と戴宗が止めてくれた。宋江は江州に来る前に張横と知り合い、その弟の張順に宛てた手紙をあずかってきたが、いま李逵とケンカをしていた親方こそ、張順だったのである。おかげで李逵は命拾いし、今度は四人で酒を飲みに行くことになった。
 このことがあって数日後、宋江が謀反の詩を書いたというので死刑囚の牢に入れられてしまうという事件が起こった。このとき、江州長官・蔡九は宋江をどう処分すべきかを問う手紙を書き、戴宗に東京まで運ばせた。戴宗は出発するときに李逵を呼び、くれぐれも注意して牢にいる宋江の面倒を見るようにといいつけた。李逵は普段はでたらめな男だが、このときばかりは真面目になり、宋江のために自分は酒も飲まず、一日中つきっきりで宋江の面倒を見続けた(第39回)。が、事態は宋江に不利に展開し、宋江ばかりか戴宗までが逮捕され、7月には二人一緒に十字路の仕置場で処刑されることになった。この日、事態を知った梁山泊からも大勢の好漢たちが宋江と戴宗を救出するために旅商人などに変装して江州に侵入していたが、李逵はそれとは関係なしに、十字路の茶店の二階にたった一人で潜んでいた(第40回)。昼過ぎ、いままさに宋江と戴宗が処刑されるというときに、李逵は二本の板斧を振り回しながら、まるで獅子のように吼えて茶店の二階から飛び降りた。ほとんど同時に梁山泊の好漢たちも暴れ出していた。が、李逵は誰よりも早く処刑場の中に飛び込むと二人の首斬り役人を斬り倒した。それから李逵はもはや見境なしに大斧を振り回し、目の前にいる者たちを切り倒しながら、城外へと走っていった。その後ろを追うように、宋江と戴宗を救出した梁山泊の好漢たちが駆けてきた。そうやって走るうち一同は大河に面した廟までやってきた。目の前が河ではこれ以上逃げられないので一同は大いに困ったが、ここに張横、張順、李俊らが舟で救出に来たので、一同は無事に穆弘の屋敷まで逃れることができた。無事に逃げられたあとに誰かが、それにしてもどうして河に向かって逃げたりしたんですかと尋ねたが、李逵は平然として、「おれはとにかく人をぶった斬りたかったから、人がいっぱいいる方へ斧を振り回していっただけだ。みんなが勝手についてきたんだ」と応えた。
 こうして梁山泊の仲間と知り合った李逵は、この直後に宋江を謀反の罪に陥れた黄文炳という男への復讐戦にも参加し、そのまま梁山泊に加わった(第41回)。
梁山泊入山後の活躍
◆二本の大斧を振り回し歩兵軍随一の活躍をした李逵
政和7年 7月ころ、宋江が家族を梁山泊に迎えるために単身故郷に帰る。宋江の身を案じた晁蓋、吾用の命令で、李逵は多の好漢たちとともに宋江の後を追い、役人たちに追われて危機に陥った宋江を救出した(第42回)。

8月ころ、李逵もまた老母を迎えるために故郷へ帰る。
 故郷へ帰った李逵は母親をおぶって山を越えようとしたが、その途中で母のために水を汲みに出かけたところ、母親は虎に食われてしまい、かっとした李逵は母親を食った親子4匹の虎を朴刀で退治した(第69回)。その虎というのが近隣の者たちを恐れさせていた人食い虎だったので、これを知った人々は李逵を土地の大金持ちの屋敷に招いて大いにもてなした。ところが、李逵は宋江を救うために江州で大暴れしたことから、故郷の百丈村にもすでにお尋ね者として手配書が回されていた。虎退治をした英雄を見に来た見物人の中にそのことを知っていた者がいて大金持ちに密告したために、李逵は酔っぱらって身動きできなくなったところを村人たちに捕らえられてしまった。間もなく、土地の捕盗役人・李雲がやってきて、李逵は役所に護送されることになったが、ここに朱貴と朱富がやってきて李逵を救出してくれた。この事件があって、朱貴の弟の朱富と捕盗役人・李雲も梁山泊入りすることになった。
政和8年 1月、祝家荘戦争が起こる。この戦いで扈家荘は当初祝家荘に協力したが、戦いの途中で投降したので、宋江は扈家荘を襲ってはならないと命じていた。が、李逵は祝家荘を襲った勢いでそのまま扈家荘を襲い、一門の者を皆殺しにしたうえ屋敷を焼き払ってしまった(第50回)。

7月、滄州にいる朱仝を梁山泊入りさせるため、李逵は朱仝が滄州長官から預けられていた子供を殺し、朱仝を無理矢理梁山泊入りさせた(第51回)。

8月、柴進が高唐州で捕らえられる。朱仝を梁山泊入りさせたあとも柴進の屋敷に滞在していた李逵は柴進とともに高唐州を訪れたときに、長官の義理の弟を殴り殺してしまった。李逵は柴進のおかげで逃げることができたが、柴進は李逵を逃亡させた罪で高唐州に捕らえられてしまった。

柴進を救出するため梁山泊軍が高唐州を攻める(第52回)。
 この戦いの最中、高唐州長官・高廉の妖術を打ち破るために、李逵と戴宗が故郷に帰っている公孫勝を捜しに薊州へ出かけた。冬になって李逵らはやっと公孫勝を見つけだしたが、李逵は夜中に公孫勝の師匠・羅真人を殺そうとしたために羅真人の道術でさんざんに苦しめられた(第53回)。薊州からの帰途、李逵は湯隆と知り合い梁山泊入りさせた。公孫勝のおかげで梁山泊軍は高唐州を破り、李逵は古井戸の中にいた柴進を救出した(第54回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。最初の戦いで梁山泊軍は敵の連環馬軍に圧倒され、李逵は敵の矢を受けて負傷した(第55回)。
宣和元年 5月、盧俊義をだまして梁山泊方面に誘い出すために吾用と李逵が易者の二人連れに変装して北京を訪れる。この後、盧俊義が占いを信じて梁山泊の方へ旅をしてくると、李逵は魯智深や武松らとともに、盧俊義を生け捕りにするために襲いかかった(第61回)。

秋、北京で捕らえられた盧俊義と石秀を救出するため梁山泊軍が編成され、李逵は先頭を切って戦う斥候隊を率いた(第63回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。李逵は歩兵軍を率いた(第66回)。盧俊義が救出され梁山泊入りすると宋江が主の座を盧俊義に譲るといいだしたので、李逵は断固反対した(第67回)。

春、単廷珪、魏定国と戦う。凌州の二将・単廷珪と魏定国が梁山泊討伐軍を率いることが決まると、李逵は凌州攻撃を志願したが宋江に却下された。腹を立てた李逵は自分勝手に山を出て凌州へ向かい、この途中で知り合った焦挺、鮑旭とその手下を引き連れて凌州城を襲い、城を落とした(第67回)。

3月、曽頭市との二度目の戦争が起こる。李逵は敵将・曽昇の矢を太股に受けた(第68回)。曽頭市との和平のために人質交換が行われることになると、李逵は樊瑞、項充らとともに人質になり、後に大暴れした。この戦いの後、宋江がまたしても盧俊義に主の座を譲るといいだしたので李逵は反対した。
宣和3年 正月、李逵は柴進らとともに宋江の供となり、東京を訪れる。
 宋江はいつかは朝廷に帰順したいと考えていたので、東京に着くと皇帝と親密な関係にある李師師(りしし)という花魁を訪れて面会した。このとき李逵は門番を命じられ、途中で一度だけ中に呼ばれて酒を飲んだ。このとき李逵は宋江、柴進、燕青が美人と酒を飲んでいるのを見ると大いにむかついた。宋江らは日を改めて再び李師師と面会することになったが、このときも李逵は門番を命じられた。このため李逵はむしゃくしゃし、偶然通りかかった皇帝付きの役人とケンカを始め、挙げ句の果てに李師師の家に火をつけ、大騒ぎを起こしてしまった(第72回)。この騒ぎで東京を逃げ出した李逵は燕青と二人で梁山泊へ向かった。

燕青と二人で偽宋江を退治する。
 東京を逃げ出して燕青とともに梁山泊に向かった李逵はその旅の途中で、ある屋敷の娘が魔物にとりつかれて半年も部屋から出てこないという事件に出くわし、主人のために魔物を退治するのを引き受けた。が、その娘は魔物にとりつかれたのではなく、間男が頻繁に遊びに来ていただけと知った李逵は娘と間男の首を斬った(第73回)。さらに、別な屋敷で宋江と名乗る者が娘をさらっていったと聞かされた李逵は、宋江が実はひどい奴だったのだと思いこみ、梁山泊に戻るや宋江を斬り殺そうとして五虎将に取り押さえられた。その後、屋敷の主人の証言で娘を連れ去ったのが宋江とは別人だとわかった李逵は、燕青と二人で真犯人探しに出かけ、その首を取って宋江の許しを得た(第73回)。

3月、泰山の相撲大会に出場する燕青に同行する。
 この旅の帰りに李逵は一人で梁山泊に近い寿張県の役所を訪れ、「梁山泊の李逵さまだ」といって脅える役人たちをからかって遊んだ(第74回)。李逵は役人たちを脅して裁判官の衣装を用意させるとそれを着て、「これから裁判をするから訴訟を起こせ」と命じた。役人たちは仕方なく二人の牢番が殴り合いをしたという偽の事件をでっちあげ、住民にも傍聴させて裁判を開いた。この裁判で李逵は、「殴った奴は好漢だから無罪。殴られた奴はいくじなしだから無罪」と判決し、気分をよくして梁山泊へ帰った。

4月、朝廷から梁山泊招安のための第一回目の勅使が派遣される。李逵は気に入らず、勅使の持つ詔書を奪って引き裂いた(第75回)。

夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。李逵は樊瑞、項充、李袞らを率いて斥候隊となり、敵軍を梁山泊軍の前へおびき寄せた(第76回)。本格的な戦いが始まると、李逵は鮑旭、項充、李袞とともに敵を斬りまくった(第77回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、李逵は宋軍の正将として出征した。

檀州城攻略戦。水軍の頭領たちが糧秣船に乗り込んで敵城を奪うことになり、李逵は樊瑞、鮑旭、項充らと砲手の凌振を守って敵城に近づき、城の水門が開くと同時に攻撃の合図となる号砲を撃つのを助けた(第83回)。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、李逵は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊を招安したいという申し出があり、宋江が一部の将とともに遼国に寝返ったと見せる作戦が取られる。李逵ら十数名の将が宋江とともに覇州文安県城に赴き、城を落とすのに成功した(第85回)。

幽州での戦い。盧俊義率いる一隊が青石峪という谷に閉じ込められると、李逵は樊瑞、鮑旭らと救援に駆けつけた。このとき李逵は敵将・賀雲を討ち取った(第86回)。

昌平県境の最初の戦い。李逵は敵の捕虜になってしまったが、梁山泊軍が捕虜にした兀顔小将軍との交換で救出された(第88回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、李逵は樊瑞、鮑旭らとともに雷車を守って敵の中軍に突入した(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

宋軍は敵地に近い衛州に結集し、李逵は鮑旭、項充らとともに盧俊義に率いられて陵川城、高平県城を攻め落とした(第91回)。
(宣和5年) 蓋州城に滞在中、李逵は普段から憎らしく思っていた朝廷の高官・蔡京、童貫、高俅らを殺した夢を見、そのことを仲間に話して喝采を浴びた(第93回)。また、宋軍は兵を二隊に分け、李逵は宋江麾下の軍に編入された。

敵の関所・壷関の戦い。李逵は鮑旭、項充らと投げ槍、楯の兵を率い、関所に駆け上がって奪い取った(第94回)。

昭徳城攻略戦。李逵は鮑旭、項充、李袞を率いて戦ったが、敵将・喬道清の妖術のために敵の捕虜になってしまった(第94回)。後に宋江軍が昭徳城を落とし、李逵たちは解放された(第97回)。

襄垣県での戦い。李逵は敵の女将軍・瓊英の石つぶてを額に受けたが、骨が頑丈だったので大したケガにはならなかった(第98回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城の戦い。李逵は項充、李袞らとともに水軍の操る兵糧船に潜み、敵が兵糧船を捕らえて城内に引き込もうとしたときに一斉に飛び出して敵城を大いに混乱させた(第106回)。

荊南州での戦い。李逵は樊瑞、鮑旭、項充、李袞らと敵基地のある紀山を背後から不意打ちして攻略した(第107回)。

南豊州での最終決戦。李逵は樊瑞、項充、李袞とともに歩兵を率い、敵を宋軍の前におびき寄せた(第109回)。

王慶討伐戦後、宋軍が東京に凱旋したとき、李逵は燕青とともに正月の灯篭見物に出かけ、居酒屋にいた老人から方臘が謀反を起こし、八州二十五県を占領したという話を聞いた。二人がこれを吾用に報告したことから方臘討伐戦が始まることになった(第110回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

宋軍が敵側の大商人・陳将士の屋敷を襲う。李逵は武松、魯智深らと屋敷に討ち入って大暴れした(第111回)。

潤州城攻略戦。宋軍は陳将士の兵糧船を装って潤州城に侵入する作戦をとり、李逵は第三船団の乗り込み、敵城を襲った(第111回)。

潤州城攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、李逵は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。

常州城攻略戦。李逵は鮑旭、項充、李袞とともに五百の兵を率いて敵城の偵察に出て、敵将・高可立を討ち取った。李逵と鮑旭はさらに何百人も斬り殺し、勝手に敵城に突入しようとしたが、項充と李袞に引き止められて退却した(第112回)。

無錫県城攻略戦。常州攻略後、李逵は鮑旭、項充、李袞とともに宋軍の先頭に立って無錫県城を攻撃し、あっというまに城を落とした(第113回)。

蘇州での戦い。李逵、鮑旭、項充、李袞は李俊らとともに行動し、敵の武具運搬船を装って蘇州城に侵入するや、縦横無尽に敵兵を斬りまくった。

杭州攻略戦中に張順が戦死する。宋江は現場に出向いてその供養をしたが、その間に李逵は鮑旭、項充、李袞とともに偵察に出て、宋江を捕らえようとしていた敵兵の大半を斬り殺した(第114回)。

盧俊義軍が杭州の関所・独松関を落とし、李逵チームが兵を率いて盧俊義軍を迎えに行った。盧俊義軍を迎えた後、李逵チームのメンバーは酒盛りをし、手強い敵将・石宝を討ち取り、騎兵を重んじる宋江に何としても歩兵の力を見せつけてやろう誓い合った(第115回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、李逵は宋江麾下の軍に編入され睦州へ向かった(第116回)。

睦州手前の桐廬県の戦い。李逵は項充、李袞らと歩兵を率いて城を攻め落とした(第116回)。

睦州での戦い。睦州城入口の烏竜嶺で戦死した解珍、解宝の死体を取り戻そうとして宋江が危機に陥ると、李逵は項充、李袞とともに千の歩兵を引き連れて救援に出かけ、敵将・石宝の兵たちを追い払った(第117回)。その後、宋軍が裏道づたいに烏竜嶺を越えようとしたときは、李逵は項充、李袞とともに道を守る四五百の敵兵を討ち取った。

9月、方臘討伐戦に勝利し、東京に凱旋する。
宣和6年 夏、宋江によって毒を盛られ、死亡する。
 方臘討伐後、李逵は東京に凱旋し、朝廷から潤州の都統制に任命されて赴任した(第119回)。李逵はそのような仕事に向かなかった李逵はまったく面白くなく毎日酒ばかり飲んで暮らしていた。すると翌年の初夏、楚州にいる宋江から呼び出された。李逵が出かけていくと宋江はとにかく酒でも飲みながら話そうといい、李逵に酒を勧めた。しばらく飲んだとき、突然宋江が涙を流しながら李逵に謝罪した。実は、宋江は奸臣・高俅らの陰謀で毒入りの酒を飲まされ、今日明日にも死にそうな状態だった。が、このまま死ねば後に残った李逵が朝廷に謀反を起こすのではないかと心配し、李逵を殺すために楚州に呼び寄せて毒入りの酒を飲ませたのである。潤州に帰るころには李逵も死んでいるだろうと宋江は入った。これを聞いた李逵はやはり涙を流しながら、「かまうもんですか。おれは生きてるときも死んでからも、ずっと兄貴の子分でいたいんですよ」といった。この後、潤州に帰った李逵は、「おれが死んだら、宋江の兄いと同じところに葬ってくれ」と従者にいいつけて息を引き取った(第120回)。
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