小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
36位 |
持ち場 |
歩兵軍頭領 |
特技 |
相撲、弓 |
あだ名 |
浪子(ろうし) |
出身地・前歴 |
北京・盧俊義の腹心 |
あだ名の由来 |
相撲をやらせたら李逵よりも強く、弓の名手でもあるが、色白の肌に見事な刺青をした色男で、歌舞音曲や流行の遊びなどなんにでも通じた男だったので浪士(伊達者)と呼ばれた。 |
誠実で知的で二枚目の梁山泊一の伊達男 |
燕青は天罡星のひとつ天巧星が生まれ変わった好漢である。
北京の大金持ちだった盧俊義の腹心の部下として、盧俊義のために誠心誠意尽くした豪傑だ。この当時まだ23才くらいだったが、主人の盧俊義よりも遥かに思慮分別があり、二人の会話を見ると盧俊義が愚鈍に見える。梁山泊入山後も軍が編成されるようなときは盧俊義の指揮下で行動したが、梁山泊随一の非の打ち所のないいい男だったので、いわゆる豪傑たちにはとてもできないような難しい仕事を遂行することも多かった。相撲は李逵よりも強かったので、普段宋江のいうことしかきかないような野蛮な李逵でさえ、燕青のいうことはよくきいた。最後まで盧俊義を主人と思っていた燕青だが、方臘討伐後に栄誉を求める盧俊義と対立し、一人でどこへともなく立ち去った。その後、盧俊義が奸臣たちの陰謀で殺されたことを考えると、燕青の頭の良さがよくわかる。 |
燕青の物語 |
◆北京で逮捕された盧俊義を救出するために梁山泊へ
燕青は北京の大資産家・盧俊義の腹心の部下として、盧俊義の屋敷で働いていた。小さいときに両親と死別し、それからずっと盧俊義の屋敷で育てられたので、他の誰よりも盧俊義に忠実な男だった。
ある年の五月、主人の盧俊義が北京から東南方の泰安州へ旅に出るといいだした(第61回)。この前日、流れ者の易者から百日以内に険難の災いが降りかかり、それを逃れるには東南方へ千里離れた場所まで行かなければならないといわれたのが理由だった。実はこの易者というのが梁山泊の呉用で、盧俊義を梁山泊の方へ誘い出し、誘拐して仲間に加えようという作戦だったが、盧俊義はそんなこととは夢にも思わなかった。「そこへいくには梁山泊の近くを通らなければなりませんから、あまりに危険です。もしかしたら、梁山泊の悪党がご主人を罠にはめに来たのかも知れないじゃないですか」と燕青は引き止めたが、盧俊義は「そんな馬鹿なことがあるものか。それに梁山泊など恐くもない。わしが出かけていって退治し、名を挙げたいくらいなもんだ」という。妻の賈氏(かし)も反対したが、盧俊義は「女なんかに何がわかるか」ときかなかった。「それならわたしをお供させてください。強盗の四五十人くらい退治できます」と燕青はいったが、盧俊義は自分には商売のことがわからないので大番頭の李固を連れていく、燕青には家のことを取り仕切ってほしいという。李固が、「わたしは近頃脚気をわずらい、長旅はできません」というと盧俊義は怒りだし、「うるさい。わしがそうするといったらそうするんだ」と怒鳴りつけた。
数日後、盧俊義は李固や店のものを数人ともない、車や馬をひいて旅に出た。燕青は盧俊義を送り出すとそれからはいわれたとおり、家のことを取り仕切った。と、半月ほどして李固や店のものだけが帰ってきて、盧俊義は梁山泊の仲間になり、第二の頭領になったと伝え、役所へ訴え出た。実は、このときはまだ盧俊義は誘拐されただけで梁山泊の仲間に加わってはいなかったが、李固は梁山泊の呉用から、「盧俊義は以前から梁山泊と通じており、今回仲間に加わった」といわれ、完全にだまされていたのである。ところで、この李固というのは、以前から盧俊義の妻・賈氏といい仲だったので、盧俊義を役所に訴えるや、賈氏と結婚し、盧俊義の店を乗っ取ってしまった。燕青はそんなことを許そうとはしなかったが、そうすると着物まで取り上げて燕青を城外へ追い出し、燕青の親戚や知り合いにも今後は燕青とつき合うなと脅しをかけた。このため燕青は城内にいられなくなり、城外で物乞いをする身になってしまった。
そうやって二ヶ月近くが過ぎたある朝、盧俊義が帰ってきた。その姿を見つけた燕青はすぐにも駆け寄り、地面に平伏した。「どうしたっていうんだ」盧俊義は燕青のぼろぼろの着物を見ていった(第62回)。燕青は盧俊義を物陰に誘い、李固が帰ってきてからこれまでのことを詳しく話した。そして、「李固の話が本当でしたら、もう一度梁山泊へ戻り、みなさんとご相談すべきです。いま、城内に帰っても李固たちの罠にはまるだけです」といった。が、盧俊義は燕青を信じず、「わしの女房はそんなやつではないぞ」と怒った。燕青が泣きながら訴えると盧俊義は燕青を足蹴にしてさっさと城内へ行ってしまった。こうして屋敷に戻った盧俊義は燕青が心配したとおり李固にだまされて北京の役人に捕らえられ、数日後には辺境の地へ流されることになった。しかも、李固は護送役人に賄賂を使い、途中で盧俊義を殺すよう依頼したのである。が、盧俊義を心配して城中に忍び込んだ燕青が李固と護送役人が密談するのを目撃していた。すぐに、李固が護送役人に盧俊義を殺させる気だとさとった燕青は数日後、首枷をつけた盧俊義が二人の護送役人とともに城を出発すると密かにその後を追いかけた。その夜に盧俊義らが宿に泊まると燕青は野宿をし、翌朝は早く起きだして先回りし、人殺しに都合のよさそうな森を見つけ、そこで待ち伏せた。燕青が思ったとおり、しばらくすると護送役人たちが盧俊義を連れてその森の中にやってきた。護送役人は盧俊義を松の木に縛り付け、見張りをするために一人が森の外へ出ていった。残った一人が棍棒で盧俊義を殴ろうとしたとき、燕青は木の上から得意の弓矢を放ち、護送役人を殺した。少しして見張り役の男が戻ってくるとその男も弓矢で殺した。燕青を見た盧俊義は信じられないような顔をした。燕青はすぐにも護送役人が盧俊義を殺そうとした経緯を説明し、「こうなったからには本当に梁山泊を頼るしかないでしょう」といった。しかし、盧俊義は前夜の宿で役人たちに足に熱湯をかけられ、歩けないというので、「わたしがおぶっていきましょう」と燕青はいい、盧俊義を背負って歩き出した。しばらくして疲れたころ一件の居酒屋があったのでそこに入った。その店には飯の菜にするものがなかったので、燕青は盧俊義をおいて近くに出ていき、弓矢で小鳥を取った。ところが戻ってみると居酒屋は多数の役人に取り囲まれており、盧俊義が車で運ばれていくところだった。森の中の死体を見つけた旅のものが役所に訴えたために、捕り手たちが派遣されていたのである。弓があるといっても矢は一本しか残っていなかったので、燕青にもどうすることもできなかった。「こうなったら梁山泊に頼んで主人を救ってもらうしかない」こう思った燕青はすぐにも梁山泊目指して歩き出した。
夜中まで歩いた燕青が林の中で野宿し、夜明けに目覚めてみると空にカササギが飛んでいた。空腹だった燕青は一本の矢を取り出し、祈るような気持ちで射った。矢は見事にカササギの尾にあたり、カササギは岡の下の方に落ちていった。が、探しにいってもカササギは見つからない。このとき前方から二人の男が歩いてきて燕青とすれ違った。一文無しだった燕青はすぐにも二人を襲って梁山泊への路用を手に入れることにした。燕青は二人を追いかけ、後ろを歩いていた男の背後から拳骨をくらわして殴り倒した。さらに前方のもう一人と思ったとき、その男が棒を振るって燕青を地面に打ち倒した。さらに、後ろの男も起き上がり、燕青を足の下に踏みつけて刀を抜いた。「おれは殺されたっていい。でも、それじゃ主人が助からないんだ」と燕青は叫んだが、このとき燕青の腕の刺青が相手の目に留まった。男はびっくりし、「あんた浪子の燕青じゃないか」といった。「そのとおりだ。これから梁山泊を頼って、主人の盧俊義を救ってもらおうと思っているんだ」と燕青が応えると男は笑いだし、「殺さなくてよかったぜ」といった。聞けばその二人の旅人はどちらも梁山泊の頭領で、楊雄と石秀だった。「宋兄貴の命令で、北京に盧俊義どのの消息を探りにいくところだったんだ」と楊雄がいうと、燕青は喜び、これまでのことをすべて話した。「よし、それならわしが燕青を山寨まで連れていこう。石秀は一人で北京に行って様子を探ってきてくれ」と楊雄がいった。こうして燕青は楊雄とともに梁山泊へ行き、それからは梁山泊の一員として行動することになった。
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梁山泊入山後の活躍
◆伊達男・燕青にしかできない活躍で梁山泊に貢献する |
宣和2年 |
正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。燕青はあらかじめ北京に侵入し、攻撃開始と同時に張順とともに盧俊義の屋敷を襲い、李固と賈氏を生け捕りにした(第66回)。
春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。燕青は盧俊義とともに曽頭市外の間道で伏兵となり(第68回)、逃げてきた敵将・史文恭を捕らえた。
東平府・東昌府攻撃軍が編成される。燕青は盧俊義の軍に加わり、東昌府を攻めた(第69回)。この戦いで燕青は敵将・丁得孫の馬の蹄に矢を命中させ、丁得孫を生け捕りにするのに貢献した(第70回)。
4月、百八星がそろった梁山泊に長く平和に日が続く。この間燕青は箏(こと)を弾いて楽しんだりした(第71回)。 |
宣和3年 |
正月、宋江が15日の元宵節の祭りを見物しに密かに東京に行く。燕青は李逵、史進、魯智深たちと一緒に宋江の供となった(第72回)。
東京で皇帝の愛人・李師師と面会する。
宋江はいつかは朝廷に帰順したいと考えていたので、東京に着くと皇帝と親密な関係にある李師師(りしし)という花魁(おいらん)に会い、自分の思いを皇帝に伝えてほしいと考えた。このとき燕青は李師師の家を訪ねてその母に会い、山東の金持ちが李師師に会いたがっていると嘘をつき、金を払って言いくるめ、宋江が密かに李師師と会えるように手はずを整えた。が、宋江、柴進、戴宗、燕青の四人が李師師を訪ねると間もなく、裏門から皇帝がお忍びで遊びに来たというので、四人は慌てて立ち去った。翌日は皇帝は来ない予定だというので宋江、柴進、燕青がまた李師師の家を訪ねたが、この日も皇帝が訪ねてきたという知らせがあり、宋江は自分の思いを李師師に伝えることができなかった。このとき、宋江たちは李師師の家の前に李逵と戴宗を待たせていた。李逵は宋江たちが家の中で美人と酒を飲んでいるのに腹を立て、李師師の家を訪ねてきた皇帝の付き人とひょんなことからケンカを始め、あちこちに火を放ってしまった。このため、宋江たちは慌てて東京から逃げ出すことになった。幸い、宋江の身を心配した呉用が五虎将に千の兵をつけて東京に派遣していたので、宋江たちは無事に東京城外へ逃れた。が、どういうわけか李逵の姿が見えないので、李逵と親しかった燕青が宋江に命じられ、李逵を待つことになった。少しして、燕青は李逵が二本の斧を持って宿屋の門から飛び出し、東京城に討ち入ろうとしているのを見つけ、李逵を捕まえて二人で梁山泊へ向かった。
李逵と一緒に偽宋江を退治する。
燕青は李逵と一緒に東京から梁山泊へ帰る旅の途中の村で、ある大きな屋敷に泊めてもらったが、屋敷の主人・劉太公がいうにはつい最近梁山泊の宋江と名乗るものが若い者と二人でやってきて、家の娘をさらっていってしまったという(第73回)。燕青はそんなことがあるはずはないといったが、李逵はこの話を鵜呑みにした。李逵は宋江が実は悪い奴だったのだと思い、梁山泊に帰るやいなや大斧を振るって宋江に打ちかかり、居合わせた五虎将に取り押さえられた。燕青がすぐに事情を説明すると宋江は、「わしがそんなあやまちをするはずがあるまい。なんなら劉太公にあって顔合わせをしてやろう」といった。李逵は相変わらず宋江が犯人だと信じていたので、宋江と話し合って互いの首をかけることにした。李逵はさらに、もう一人の若い者というのは絶対に柴進だといいはり、李逵、燕青、宋江、柴進の四人でもう一度劉太公の屋敷を訪ねていった。ところが、宋江と柴進の顔を見た劉太公は娘を連れていたのは全然違う男たちだという。宋江は喜び、山寨に帰ってから話を付けようと李逵に言い残し、柴進と一緒に先に帰っていった。李逵は呆然とした。「こうなったら自分で首を斬るから、おまえさんが持っていってくれ」と燕青にいった。これを聞いた燕青は、「山寨に戻ったら自分の身体を縄で縛り、鞭を背負って宋江どのの前にて、どうか存分にお仕置きしてください、というのだ。そうすればきっと許してくれるよ」と知恵を貸した。李逵がその通りにすると宋江は笑って、「許してほしいなら真犯人二人を捕まえるんだな」といった。そこで燕青は李逵について真犯人退治に出かけることになり、見事にそれを成し遂げた。
3月、泰安州の祭りで相撲大会があることを知った燕青は宋江の許しを得てその大会に出場し、三年連続優勝を狙っていた身長一丈(3m)もある相撲名人を打ち破って優勝した(第74回)。
冬、梁山泊軍が太尉・高俅率いる梁山泊討伐軍を打ち破り、高俅を生け捕りにする。このとき、高俅が自分は相撲が強いというのでさっそく燕青が相手をし、高俅を投げ飛ばした(第80回)。
梁山泊招安を皇帝に直訴する。
梁山泊に生け捕りになった高俅は梁山泊軍が朝廷に仕えられるよう皇帝に進言すると約束し、参謀の聞煥章を梁山泊に残し、蕭譲と楽和を供にして東京に戻った。が、梁山泊は高俅を信じていなかったので、梁山泊の力を評価している宿太尉に宛てた手紙を聞煥章に書いてもらい、燕青と戴宗が東京に向かった(第81回)。東京に着いた燕青は一人で李師師に会いに行き、簫(しょう)を吹き鳴らしたりして李師師の気をひき、李師師の家で密かに皇帝に会うことに成功した。このとき、燕青は梁山泊の好漢たちが心から朝廷の招安を待ち望んでいることを皇帝に訴えた。この後で、燕青は戴宗とともに宿太尉を訪ね、聞煥章からの手紙を渡し、ここでも梁山泊の招安を訴えた。こうしたことがあって、間もなく梁山泊に三度目の招安の詔勅が下り、梁山泊が正式に朝廷に帰順することになったのである。ところで、先に東京に戻った高俅は梁山泊の招安について皇帝に進言する気などなく、蕭譲と楽和を自分の屋敷に軟禁していた。東京での仕事を済ませた燕青と戴宗はこの二人を救出してから梁山泊へ戻った。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊が朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争が始まり、燕青は宋軍の正将として出征した。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、燕青は盧俊義麾下の軍に編入された(第84回)。
昌平県境の最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、燕青は盧俊義らとともに大将として敵の中軍に討ち入る一隊を率いた(第89回)。
遼国との講和が成立した直後、宋江は燕青ら多くの将を率い、かつて魯智深が師事したことのある五大山の智真長老を訪ねた(第90回)。
この旅の帰り、一行が双林鎮という村に来たとき、燕青は十年以上も会わなかった旧友・許関忠と出会った。燕青は梁山泊の仲間を先に行かせ、一人で山の中にある許関忠のあばらやを訪ねた。そこで二人は昔のことや今のことをあれこれと話し合ったが、その中で、「あなたも国のための仕事を成し遂げたなら、時宜をわきまえて身を退くことを考えた方がいいでしょう」といった許関忠の言葉が燕青の胸に残った。次の日、燕青は許関忠が描いたという絵を譲り受け名残を惜しみながら東京に戻っていった。
田虎討伐戦始まる。 |
(宣和5年) |
蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、燕青は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。
王慶討伐戦始まる。
山南州攻略後、燕青は盧俊義指揮下に西京州へ向かった(第106回)。
西京州の戦い。燕青は不吉な夢を見たことから、盧俊義にその日は戦いに出ないように進言した。が、それでも盧俊義がいくというので、五百の兵を率いて別行動を取る許可を得た。盧俊義が橋を渡って戦いに出た後、燕青は木を切りだし、橋の両側に浮橋を渡した。この日、盧俊義軍は大敗し、兵たちが一斉に押し寄せたために橋が崩れ落ちたが、燕青が浮橋を作っておいたので、多くの兵が救われることになった(第108回)。
王慶討伐戦に勝利した宋軍は東京に凱旋し、城外に駐屯した。間もなく正月になったので、燕青は李逵と一緒に城内へ灯篭見物にいった。このとき、二人は茶店の中である老人と世間話をし、江南の盗賊・方臘が謀反を起こし、八州二十五県を占領したという話を聞かされた。これを聞いた二人がすぐに陣営に戻って宋江と呉用に報告したことから、梁山泊軍が方臘討伐戦に出征することになった(第110回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
宋軍が敵側の大商人・陳将士の屋敷を襲う。燕青は方臘側の役人に変装して解珍、解宝とともにまず初めに大商人の屋敷に侵入し、出迎えに来た商人一家の者を皆殺しにした(第111回)。
潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、燕青は盧俊義麾下の軍に編入され宣州、湖州へ向かった(第112回)。
柴進とともにスパイとして方臘の本拠地に侵入する。
宋江軍が杭州を攻めようとしていたとき、柴進の提案で、柴進と燕青が方臘の本拠地にスパイとして送り込まれることになった(第114回)。睦州へ入った二人は柴進が学者の柯引、燕青はその従者と名乗って敵城に入った。さらに敵の本拠地清渓県に案内され、敵将たちと目通りした。柴進は学識があったので、誰も疑う者はなかった。柴進はうまい言葉で方臘をもだまし、信頼を得て、どんどんと出世していった(第116回)。宋軍が清渓県まで押し寄せ、方臘一味が宮殿のあるホウ源洞に逃げ込んだとき、二人は正体を現した。このとき、燕青は敵将・方杰(ほうけつ)を討ち取り、ホウ源洞内に火を放った(第119回)。
方臘討伐戦勝利後、梁山泊軍を離れ、行方をくらます。
方臘討伐戦に勝利した宋軍が凱旋途中に杭州に立ち寄ったとき、燕青は思うところがあって密かに盧俊義を訪れた。燕青は、「すでに大事を成し遂げたのですから、朝廷の官爵など求めようとせず、どこかひなびた土地で天寿をまっとうする、というのはどうでしょうか」といった。が、盧俊義はそれを理解せず、「これから故郷に帰って錦を飾ろうというときに、どうしてそんな実のないことをいうのか」といって受け合わなかった。燕青は、「いいえ、わたしの道にこそ実があるのです」といい、その夜のうちに荷物をまとめ、どこへともなく立ち去ってしまった(第119回)。 |
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小説
イオの末裔
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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