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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
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天暴星
てんぼうせい
解珍
かいちん
梁山泊での順位 34位
持ち場 歩兵軍頭領
特技 点鋼叉(てんこうさ)(さすまた)
あだ名 両頭蛇(りょうとうだ)
出身地・前歴 登州・猟師
あだ名の由来
両頭蛇とは双頭のヘビのことで、これに出会うと死ぬという故事がある。粗鉄(あらがね)づくりの点鋼叉を持ち、その腕前は弟・解宝とともに登州第一で、気性が激しかったので両頭蛇と呼ばれた。
山岳地帯をものともしない野生児兄弟の兄
 解珍は天罡星のひとつ天暴星が生まれ変わった好漢である。
 登州で弟・解宝とともに猟師をしていた。身長七尺(約210cm)を超え、腰は細く肩幅は広く、赤黒い顔をしており、いかにも猟師らしく、豹の皮のズボン、虎の筋の帯ひも、虎皮の腰あてをしていた。手には点鋼叉を持ち、脚には両刃の剣を備えており、仕掛け弓なども得意としていた。普段から山の中を動き回っていたので、身のこなしは抜群だった。梁山泊でも歩兵として活躍し、適地に侵入し、破壊活動をするような仕事を得意としていた。まるでランボーのような、梁山泊きってのアクションスターといえるかもしれない。
解珍の物語
◆毛太公の罠にはまって牢につながれる

 解珍は弟・解宝とともに登州で猟師をしていた。あるとき、登州城外の山に虎や豹などの猛獣が出て人々を困らせたので、猟師たちが役所に呼び出され、三日以内に虎を退治しなければ厳罰に処すと命じられた(第49回)。そこで、解珍は解宝と一緒に仕掛け弓、毒矢などを取りそろえ、山に入った。
 一日目も二日目も兄弟は獲物なしで家に戻った。三日目、弓を仕掛けた二人はじりじりしながら待ち伏せした。真夜中過ぎになってついに仕掛け弓がはじけ、毒矢が一頭の虎にあたった。が、二人が急いで近づくと虎は逃げ、間もなく毒のために山から転がり落ちていった。落ちていった先は二人の親戚にあたる毛太公の屋敷の裏庭だった。すでに夜は明けていたので、二人はすぐにも毛太公の屋敷にとんで行くと、「役所の命令で虎狩りをして、今朝四時頃一頭しとめたんですが、おじさんの屋敷の庭に落ちてしまったんですよ」と事情を説明した。
 ところで、毛太公の家は里生(庄屋)で、同じく役所から虎退治の命令を受けていた。が、自分では虎を退治する腕もなくて困っていたところだった。二人の話を聞いた毛太公は密かに下男たちにその虎を片づけてしまうように命じた。その上で毛太公はいかにも親切そうに、「それならゆっくり朝飯でも食いなさい。それから取りに行けばいい」といった。朝食後はさらにお茶まで出して二人を引き止め、それから裏庭に案内した。裏庭の門の鈎はさび付いていたので、毛太公はわざとらしくそれを金槌で壊して解珍、解宝を中に入れた。それから三人で捜したが虎は見つからなかった。が、少しして解宝が、「そこの草がぺしゃんこになって血の跡がある。きっと屋敷の下男たちが片づけてしまったんだ」といった。これを聞いた毛太公は、「そんなことがあるかい。たったいま門の錠を壊して入ったばかりじゃないか。まったくひどい奴等だ。わしに言いがかりをつけるなんて」
 しかし、解珍、解宝の怒りは治まらない。「なら、家捜しさせてもらうよ」というなり屋敷に上がり込み、あちこち捜し回った。それでも見つからないと部屋の中で手当たり次第に物を壊して大暴れしたあげくに門の外へ飛び出すと、「よくもおれたちの虎をだまし取りやがったな」とののしった。
 ちょうどこのとき毛太公の息子の毛仲義が馬に乗り、供の者たちを従えて戻ってきたので、「お宅の下男たちがわしの虎を横取りしたんです」と解珍は訴えた。ところが、この毛仲義もぐるだった。「それならわしが取り返してやろう。わしと一緒についてきなさい」といって解珍、解宝を屋敷の中に入れるといきなり門を閉めさせ、二三十人の手下に二人を捕らえさせてしまった。そして、二人は毛太公の屋敷で捕らえた虎を奪い取ろうとして暴れたというまったく正反対の罪で訴えられ、役所で拷問を受けた。拷問にたえられなかった二人はその通りに自供し、牢につながれた。すぐさま毛太公親子は役所中に賄賂をばらまき、解珍、解宝が死刑になるように取り計らった。

◆一族のおかげで牢を破って梁山泊へ

 ところが、それから少しして一人の牢番が解珍と解宝に話しかけてきた。それは、面識はなかったが二人と縁続きの関係にあった楽和だった。解珍、解宝のいとこにあたる提轄(軍の指揮官)・孫立の妻が、楽和の姉だったのである。これを聞いた解珍は自分たちが逮捕されていることを親戚の顧大嫂に伝えてくれるように依頼した。顧大嫂は孫立の弟・孫新の妻になっていたが、とんでもないやり手なのでどうにかしてくれると思ったからだ。
 すると早くもその翌日、楽和から連絡を受けた顧大嫂が孫新、孫立、鄒淵、鄒潤を引き連れて解珍たちを助けにやってきた。楽和が手引をして顧大嫂を牢城の中に入れ、解珍と解宝を自由にした。解珍は解宝、顧大嫂と牢役人を何人も殺し、牢を出ると孫立、孫新、鄒淵、鄒潤と合流した。それから、孫新と楽和が孫立の家族を乗せた車を守って梁山泊へと出発し、解珍と解宝ら6名は毛太公の屋敷に押し掛けて大暴れし、一家の者たちを皆殺しにした。この後、解珍、解宝ら6名の好漢たちは登州を逃げ出し、楽和らに追いついて一緒に梁山泊へ向かった。鄒淵の知り合いの楊林、鄧飛、石勇がすでに梁山泊に加わっていたので、そのつてで入山しようとしたのである。
 解珍、解宝らが梁山泊の入口にあたる石勇の居酒屋に着いたとき、梁山泊は祝家荘との戦いの真っ最中だった。石勇によれば、祝家荘の三人息子がかなりの豪傑で、しかも武芸教師の欒廷玉というのがとてつもなく強いので、梁山泊軍が苦戦しているという。ところが、この欒廷玉が孫立と同じ師匠から武芸を学んだ仲だったことから、解珍たちは梁山泊に入山する前に大きな手柄を立てることになった。解珍らは孫立に率いられて宋江に面会し、呉用とともに作戦を立てた。それから、孫立に率いられた役人とその家族に変装して祝家荘に向かった。孫立と古い知り合いだった欒廷玉は、近頃鄆州の警備を命じられて梁山泊の強盗を退治することになったという孫立の言葉を鵜呑みにし、一同を祝家荘に迎え入れた。解珍、解宝は孫立の弟というように紹介された。
 やがて梁山泊との戦いが激しくなり、欒廷玉や祝家荘の三人の息子たちが兵を率いて屋敷からうって出たとき、楽和が合図の歌を歌い、解珍と解宝は北門の馬草置き場に火を放った。他の者たちもそれを合図に暴れ出した。こうして梁山泊軍を勝利に導いた解珍は仲間とともに梁山泊入りした(第50回)。
梁山泊入山後の活躍
◆山男らしく烏竜嶺から墜落して戦死
政和8年 春、梁山泊で第二回目の職務分担が決まる。解珍は解宝とともに山の正面の第一関門の守備を任された(第51回)。

冬、呼延灼率いる朝廷軍と戦う。二回目の戦いで、解珍は解宝とともに歩兵軍に編入された。戦いは梁山泊の勝利だったが、二人は点鋼叉で呼延灼の双鞭と戦い、まったくかなわずすぐに逃げ出している(第57回)。

青州に雇われた呼延灼が白虎山の孔明を生け捕りにしたことから、青州攻撃軍が編成される(第58回)。この戦いで梁山泊の捕虜となった呼延灼が梁山泊の仲間になると、解珍、解宝を含む十人の頭領が呼延灼と一緒に青州城に入り込み、城外の本隊と呼応して青州城を落とすのに貢献した(第58回)。
宣和元年 2月、華州に捕らえられた史進を救出するため、呉用の作戦で西嶽華山に参詣する朝廷の使節団を装う。解珍は解宝とともに 虞候に変装し、だまされて華山にやってきた華州長官・賀太守を捕らえて短刀で首をはね、その後仲間とともに華州へ押し掛けた(第59回)。

秋、盧俊義と石秀を救出するため北京攻撃軍に加わる。解珍は解宝、孔亮らと一緒に苦戦する李逵の援軍として敵将・索超の軍の前に飛び出し、索超を追い払った(第63回)。
宣和2年 正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。解珍は解宝とともに猟師の恰好で北京に侵入し、戦いが始まったときに役所への報告を妨害する役目を与えられた(第66回)。

春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。解珍は解宝とともに敵の中央の陣を攻める軍に加わった(第68回)。

3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。解珍は解宝とともに宋江の軍に加わり、東平府を攻めた(第69回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、解珍は解宝とともに中軍の護衛にあたった(第76回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、解珍は宋軍の副将として出征する。

檀州での戦い。張清が敵の弓をのどに受けて落馬したのを、解珍と解宝が史進とともに救出した。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、解珍と解宝は盧俊義麾下の軍に加わった(第84回)。

薊州攻略後、遼国から梁山泊軍を招安したいという申し出があり、宋江が一部の将兵を引き連れて敵に寝返ったように見せる作戦が取られる。解珍は魯智深らとともに敵に寝返る第二陣を編成し、覇州文安県の関所に押し掛けてこれを奪い取った(第85回)。

幽州での戦い。盧俊義と一部の将が断崖に囲まれた青石峪という場所に迷い込み、身動きが取れなくなると、解珍は解宝とともに猟師の身なりで捜索に出かけ、この土地で猟師をしている兄弟に出会い、青石峪について詳しい情報を聞き出した(第86回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、解珍は解宝とともに敵の中軍に討ち入る一隊に加わった。解珍は解宝とともにまっさきに敵の元帥旗を切り倒し、敵兵を斬りまくった(第89回)。

田虎討伐戦始まる。

蓋州城攻略戦。解珍は解宝とともに飛楼(攻城兵器)からまっさきに敵の城壁によじ登って大暴れした(第92回)。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、解珍は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。

昭徳城攻略戦。宋軍が魔法使いの敵将・喬道清に苦しめられると、解珍は解宝、張清、王英とともに衛州まで行き、無事に公孫勝を連れてきた(第95回)。

襄垣県での戦い。解珍は敵の女将軍・瓊英の石つぶてを受けて倒れたが、解宝らによって救われた(第98回)。

威勝城攻略戦。女将軍・瓊英が梁山泊に寝返ったことから、解珍は瓊英に率いられて敵の本拠地威勝城へ向かい、敵兵を装って城内に押し入った(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南城攻めの戦い。解珍は解宝らとともに水軍の操る船に乗り込み、逃げ遅れた宋軍の兵糧船と見せかけてわざと敵に捕らえられ、一斉に暴れ出して敵城を奪った(第107回)。

山南州攻略後、盧俊義軍に加わり西京州に向かう。西京州城攻略戦中、楊志が率いていた部隊が行方不明になると、解珍は解宝とともに捜索に出かけ、奥深い谷の中で身動きできなくなっていた一隊を救出した(第108回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

潤州攻略戦。宋軍は敵城に糧秣を納入する大商人の兵糧船を装う作戦を取り、解珍は解宝らとともに第三船団の船に乗り込み、敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、解珍は盧俊義麾下の軍に加わり、宣州、湖州へ進んだ(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分けると、解珍は盧俊義とともに独松関に向かった(第114回)。

杭州城攻略戦。解珍は解宝とともに敵将・張倹と張韜(ちょうとう)を討ち取った。さらに二人は敵地を偵察中に杭州城に糧秣を運搬する船団を発見し、杭州攻略にこの船団が利用されることになった(第115回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、解珍は宋江麾下の軍に編入され、睦州に向かった。

睦州の烏竜嶺で戦死する。
 宋江軍が睦州城への入口にあたる烏竜嶺の関所で苦戦したとき、解珍は解宝とともに宋江に申し出て、烏竜嶺の上にある敵の関所に火をつけるために猟師のわざを生かして険しい山を登っていった。しかし、二人を発見した敵が撓鈎をのばし解珍の髷をひっかけて釣り上げた。解珍はすぐにも刀を引き抜いて振り回したが、それが敵の撓鈎の柄を斬ってしまい、解珍はそのまま墜落して戦死した(第116回)。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
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《内容》
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