小説
イオの末裔
〔Kindle版〕
販売開始しました。 |
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《内容》
教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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梁山泊での順位 |
65位 |
持ち場 |
歩兵軍将校 |
特技 |
団牌(円形の楯)、標鎗(投げ槍)・剣 |
あだ名 |
飛天大聖(ひてんたいせい) |
出身地・前歴 |
邳県・芒碭山の山賊の第三の頭領 |
あだ名の由来 |
背中には二十四本の標鎗をはさみ、百歩離れた人に命中させる腕前だったので俗信中の神の名を取って飛天大聖と呼ばれていた。 |
いつも項充と行動をともにした団牌と投槍の使い手 |
李袞は地煞星のひとつ地走星が生まれ変わった好漢である。
芒碭山の山賊の第三の頭領で、第二の頭領・項充と同じように山賊時代からよろいかぶとで身を固め、うしろには「飛天大聖」と書かれた旗印を立てていた。項充とは二人一組のような存在で、中心となる人物を団牌で守るというのが主な仕事だった。ともに団牌、標鎗(投げ槍)などを得意技とする李袞と項充は、梁山泊でも歩兵軍の団牌、標鎗(投げ槍)の兵団を率い、火砲を守ったり、歩兵軍の頭領・李逵を守って戦いに出ることが多かった。梁山泊は騎兵が中心で、歩兵軍はどうしても影がかすんでしまいがちだが、李逵、鮑旭、項充、李袞の4人組だけは特別で、しばしば騎兵並の威力を発揮した。 |
李袞の物語 |
◆項充とともに李逵とチームを組んで活躍する
李袞は芒碭山の山賊の第三の頭領で、第一の頭領・樊瑞、第二の頭領・項充とともに三千の手下を集めて強奪行為を働いていた。あるとき三人は梁山泊を倒して自分たちの配下にしようと企み、これを知った梁山泊から史進、朱武、陳達、陽春の4人の頭領が軍勢を率いて芒碭山に攻め寄せてきた(第59回)。李袞は項充とともに手下を率いて徒歩で山を下り、団牌を振り回して一気に敵陣へ斬り込むと、あっというまに敵兵の半数を殺して史進らを追い払った。ところが、この直後に梁山泊軍に公孫勝、花栄、徐寧らの強力な援軍が駆けつけた。翌日、梁山泊軍が芒碭山の麓に陣を敷くと、李袞と項充は今度は騎馬に乗った樊瑞の左右に従い、三千の兵を率いて山を下りた(第60回)。李袞と項充は、「風が巻き起こったら敵陣へ斬り込むのだぞ」という樊瑞の命令に従い、馬上の樊瑞が妖術を使って狂風を巻き起こすや敵陣に殺到していった。ところが、李袞たちが敵陣にかけ込むや両側から弓や弩(いしゆみ)が一斉に放たれ、手下の者たちのほとんどは敵陣に切り込めずに自陣に引き上げてしまった。しかも、梁山泊軍の陣形が蛇のように変化し、さらには公孫勝が二人のまわりに黒雲を巻き起こしたので、李袞と項充は右往左往したあげくに梁山泊軍に生け捕られてしまった。
ところが、捕虜になった李袞と項充を梁山泊の頭領・宋江は温かく迎え、李袞、項充に樊瑞を連れて梁山泊入りすることを勧めた。この言葉に李袞と項充は大いに感動し、すぐにもどちらか一人が山に戻って樊瑞を説得してくることを申し出た。このとき、李袞と項充はどちらか一人を人質として梁山泊軍の本営に残しておこうと考えていたのだが、宋江はそんな配慮は必要ないから、二人一緒に山に戻っていいという。そこで、李袞は項充とともに山に戻り、樊瑞を説得した。樊瑞も宋江が義を重んじる立派な人物だと知ると素直に説得に応じ、翌日には三人一緒に山を下り、梁山泊の仲間に加わった。
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梁山泊入山後の活躍
◆いつも項充と一緒に行動した李袞 |
宣和2年 |
正月、盧俊義・石秀救出作戦が実行される。李袞と項充は歩兵の副頭領として樊瑞に従って北京攻撃軍に加わった(第66回)。
春、曽頭市との二度目の戦争が起こる。李袞と項充も攻撃軍に編入された(第68回)。また、戦いが梁山泊の有利に進んだとき、曽頭市から和平の申し出がなされ、その条件として互いに人質を交換することになった。このとき、梁山泊からは李袞、項充、時遷、李逵、樊瑞が人質となって曽頭市に送られ、後に曽頭市で大暴れして、梁山泊の勝利に貢献した。
3月、東平府・東昌府攻撃軍が編成される。李袞と項充は盧俊義麾下の軍に編入され、東昌府を攻めた(第69回)。 |
宣和3年 |
夏、童貫率いる朝廷軍との戦い。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、李袞と項充は李逵、樊瑞とともに前軍となり、敵前に突進した後でわざと逃げだし、敵の大軍を自陣の方へおびき寄せた(第76回)。やがて、敵が逃走し始めたとき、李逵は板斧を振り回し、鮑旭は剣を振り回して敵兵を斬りまくり、李袞と項充は団牌を振り回してそれを守った(第77回)。 |
宣和4年 |
3月、梁山泊は正式に朝廷に帰順する。
4月ころ、遼国戦争に出征しようとしていた矢先に、天子から兵士たちへ贈られた支給品を朝廷の下級役人がピンハネしたというので、李袞と項充の部下の一人がその役人を斬り殺すという事件が起こった。李袞と項充はすぐにも事件を宋江に知らせ、役人を斬り殺した兵士は処刑された(第83回)。
遼国戦争始まる。
檀州城攻略戦。水軍の頭領たちが糧秣船に乗り込んで敵城を奪うことになり、李袞、項充らは砲手の凌振を守って敵城に近づき、城の水門が開くと同時に攻撃の合図となる号砲を撃つのを助けた(第83回)。
檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、李袞と項充は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。
薊州攻略後、遼国から梁山泊を招安したいという申し出があり、宋江が遼国に寝返ったと見せる作戦が採られる。李袞、項充ら十数名の将が宋江とともに遼国の文安県城に赴き、城を落とすのに成功した(第85回)。
幽州の戦い。盧俊義が十二名の頭領と一緒に青石峪という谷で動けなくなり、宋江が兵を率いて救出に出かける。このとき李袞と項充は樊瑞、李逵、鮑旭らと谷の入口にいた遼軍をけちらした(第86回)。
昌平県境での最初の戦い。李袞と項充は樊瑞、李逵、鮑旭とともに牌手(楯の兵)を率いて敵陣に突入したが、奮戦及ばず逃げ出した(第88回)。
昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の陣を敷き、李袞と項充は李逵、樊瑞、鮑旭とともに牌手を引き連れ、火をつけた 雷車を守って敵の中軍に突入した(第89回)。
田虎討伐戦始まる。
盧俊義軍が陵川城を攻略する。李袞と項充は李逵、鮑旭らとともに歩兵を率いて戦う(第91回)。
高平県城攻略戦。陵川城の副将・耿恭(こうきょう)が宋軍に寝返ったことから、李袞と項充は李逵、鮑旭らと一緒に耿恭配下の敵兵に扮し、高平県城に侵入して攻め落とした。 |
(宣和5年) |
蓋州城攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、李袞と項充は宋江麾下の軍に編入された(第93回)。
昭徳州の関所・壷関の戦い。李袞と項充は李逵、鮑旭とともに投げ槍と楯の兵を引き連れて大暴れし、関所を落とすのに貢献した(第94回)。
昭徳城下の戦い。李袞、項充、鮑旭は李逵を守って敵軍に攻め寄せたが、敵の魔法使い・喬道清が妖術を使って狂風を巻き起こしたために、逃げ出せなくなって生け捕りにされた(第95回)。のちに公孫勝が活躍して宋軍が昭徳城を落としたときにやっと解放された(第97回)。
銅鞮山の戦い。李袞と項充は魯智深らとともに標鎗、団牌、飛刀の兵を率いて大暴れし、敵の精鋭たちをけちらした(第100回)。
王慶討伐戦始まる。
山南城攻略戦。李袞と項充は楊雄、魯智深らとともに水軍の操る兵糧船に潜み、敵が兵糧船を捕らえて城内に引き込もうとしたときに一斉に飛び出して敵城を大いに混乱させた(第106回)。
荊南州の戦い。李袞と項充は李逵、樊瑞、鮑旭と敵基地のある紀山を背後から不意打ちして攻略した(第107回)。
南豊州での最終決戦。李袞と項充は李逵、樊瑞らと宋軍の斥候隊となって敵に戦いを挑み、わざと逃げるふりをして敵軍を宋軍の前におびき寄せた(第109回)。 |
宣和5年 |
方臘討伐戦始まる。
宋軍が敵側の大商人・陳将士の屋敷を襲う。李袞と項充は魯智深、李逵らと屋敷に討ち入って大暴れした(第111回)。
潤州城攻略戦。宋軍は陳将士の兵糧船を装って潤州城に侵入する作戦をとる。李袞と項充は第一船団の船に護衛として乗り込んだ(第111回)。
潤州攻略後、宋軍は兵を三隊に分け、李袞と項充は宋江麾下の軍に編入され、常州、蘇州へ向かった(第112回)。
常州城攻略戦。李袞と項充は李逵、鮑旭とともに五百の兵を率いて敵城の偵察に出た。このとき李逵は敵将・高可立を討ち取ったが、李袞と項充は戦いの間、高可立の繰り出す槍を団牌で防ぎ続けた。さらに何百人も斬り殺した李逵と鮑旭が勝手に敵城に突入しようとするのを、李袞と項充は必死に引き止めて無事に退却した(第112回)。
無錫県城攻略戦。李袞と項充は李逵、鮑旭とともに宋軍の先頭に立って敵城を攻撃し、あっというまに城を落とした(第113回)。
蘇州城攻略戦。李袞、項充、李逵、鮑旭は李俊らとともに行動し、敵の武具運搬船を装って蘇州城に侵入するや、縦横無尽に敵兵を斬りまくった。
杭州攻略戦中に張順が戦死し、宋江が現場に出向いてその供養をする。この間に李袞と項充は李逵、鮑旭とともに偵察に出て、宋江を捕らえようとしていた敵兵の大半を斬り殺した(第114回)。
杭州攻略後、宋軍が兵を二隊に分け、李袞と項充は宋江麾下の軍に編入され、睦州へ向かった(第116回)。
睦州手前の桐廬県の戦い。李袞と項充は李逵、樊瑞らと歩兵を率いて城を攻め落とした(第116回)。
睦州入口の烏竜嶺で戦死した解珍、解宝の死体を取り戻そうとして宋江が危機に陥る。李袞と項充は李逵とともに千の歩兵を引き連れて救援に出かけ、敵将・石宝の兵たちを追い払った(第117回)。その後、宋軍が裏道づたいに烏竜嶺を越えようとしたときは、李袞と項充は李逵とともに道を守る四五百の敵兵を討ち取った。
睦州城攻略戦で戦死する。
睦州城下で、李袞と項充は李逵とともに鄭魔君と呼ばれる敵の魔法使い・鄭彪の軍に何度となく戦いを挑んだ。あるとき、李逵、李袞、項充が一気に攻めかかると、鄭魔君が逃げ出した。そこで三人は必死になって鄭魔君を追いかけたが、三人が谷川をわたろうとしたとき西岸から敵の軍勢が飛び出してきて三人の背後を断ち切った。項充は危険に気づいて李逵と李袞を呼び止めたが、このとき李袞は河の中でつまずき、敵の矢を浴びて戦死した。 |
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教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。 |
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