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フランボワイヤン・ワールド
水滸伝の豪傑たち
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 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

販売開始しました。
《内容》
 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。
 小説
イオの末裔
〔Kindle版〕

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地幽星
ちゆうせい
薛永
せつえい
梁山泊での順位 84位
持ち場 歩兵軍将校
特技 槍棒
あだ名 病大虫(びょうたいちゅう)
出身地・前歴 洛陽・流れ者の薬売り
あだ名の由来
病大虫とは“虎まがい”という意味。虎のように恐ろしかったのでそう呼ばれた。
掲陽鎮で膏薬売りをしていた槍棒使い
 薛永は地煞星のひとつ地幽星が生まれ変わった好漢である
 生まれは河南の洛陽で祖父は武官だったので、薛永の槍棒の腕はかなりのものだった。しかし、家が落ちぶれたので流れ者となり、得意の槍棒の技を見せて客寄せをする薬売りをして暮らしていた。そんなあるとき宋江や穆弘、穆春らと親しくなり、宋江が江州で処刑されそうになると仲間とともに救出に出かけ、そのまま梁山泊入りすることになった。小者の豪傑のひとりなので、梁山泊入山後はほとんど目立つことはなかった。
薛永の物語
◆宋江と一緒に穆弘と穆春に追いかけられる

 薛永は槍棒の技を見せて客寄せをしながら膏薬を売り歩く流れ者だった。あるとき、薛永は江州に近い掲陽鎮にやってくるといつものように槍棒の技を見せて人々を集め、「わたしは遠国からやってきた膏薬売りです。打ち身の膏薬が必要な方はさっそくお買いあげください。そうでない方もできることなら多少の銀子をおめぐみください」といって人々の間に皿をまわした(第36回)。しかし、二度も皿を回したのに、誰も金を入れるものはなかった。すると、ここにひとりの男が進み出て、「わたしは罪人なので大したことはできないが、この五両を差し上げましょう」といって金を差し出した。この男というのが宋江だった。閻婆惜殺しの罪で鄆城県で逮捕された宋江は江州へ流される途中、護送の役人たちとともに掲陽鎮に立ち寄ったのである。金をめぐまれた薛永は大いに喜び、男の名を尋ねた。ところが、ここへ人ごみの中からひとりの大男が出てきて、「何だきさまは! どうしてこの男に金をやる」と宋江を怒鳴りつけた。この男は穆春で、兄の穆弘とともに掲陽鎮の親分をしていたが、流れ者の武芸者の薛永が町で商売をしているのが気に入らず、町の者たちに薛永には金をやるなと命じていたのである。しかし、宋江は「自分の金を与えて何が悪い」と大男を突っぱねた。これに腹を立てた穆春が宋江に殴りかかろうとしたので、薛永はとっさに穆春の脇腹を殴りつけ、相手が倒れたところを足蹴にした。大男は「ちくしょう、おぼえてやがれ」といって逃げ出した。
 邪魔がいなくなったところで薛永と宋江は互いに自己紹介した。薛永は相手が有名な宋江だと知ると膝をついて挨拶した。このとき、宋江が「一緒に酒でも飲みましょう」というので、薛永は宋江たちについて近くの酒屋に向かった。ところが、酒屋に入ってみるとそこの亭主が、「さっきの大男に禁じられているので、おまえさんたちには飲み食いさせるわけにはいかないんです。そんなことをしたら大変なことになります」という。仕方なく薛永と宋江は酒を飲むのをあきらめ、薛永は「わたしは一度宿に帰って払いをすませてから江州に向かいますから、そこでまた会いましょう」といって宋江と別れた。ところが、薛永が宿に戻ってみると、さっきの大男が仲間を引き連れて押し掛けてきた。これには薛永も歯が立たず、大男に殴られた挙げ句に町の留置場に入れられ、天井から吊るされてしまった。
 しかし、この状態は長くは続かなかった。それはこういうことだった。薛永と別れた宋江一行はその後、穆弘と穆春に追いかけられたり、渡し船の船頭をしていた張横に殺されそうになったが、幸いにも李俊に助けられた。この李俊が穆弘や穆春と兄弟分で、穆春たちが追いかけているの有名な宋江だということを皆に説明した。穆弘や穆春も宋江の名前は知っていたので大いに驚き、すぐにも謝罪すると宋江一行を自分の屋敷に招いて歓迎することになった。そこで、宋江との一件のために捕らえられていた薛永も縄を解かれ、穆弘の屋敷に招かれたのである。
 こうして穆弘や穆春たちと知り合った薛永は、宋江が江州に旅立ってからも穆弘の屋敷に滞在していた。するとしばらくして、宋江が謀反の罪で捕らえられ、江州で処刑されるという知らせが届いたので、薛永は穆弘や李俊たちと一緒に宋江を救出するために舟で江州へ向かった。ところで、このころ梁山泊の好漢たちも宋江救出作戦に乗り出しており、薛永たちが江州に着くより前に処刑場から宋江を救出していた。薛永たちが江州に近づいたとき、偶然にもこの梁山泊の一団が川岸に集まっていた。そこに宋江がいるのを知った薛永たちは大いに喜び、好漢たち全員を舟に分乗させると掲陽鎮の穆弘の屋敷に向かった。
 穆弘の屋敷に着くと、宋江が自分に謀反の罪を着せた黄文炳に復讐したいと言い出した。そこで薛永たちは梁山泊の好漢たちとともに黄文炳の住む町・無為軍を襲う計画を立てた。このとき、薛永は「わたしは無為軍にもいったことがあり町の様子に詳しいので、ひとつ探りに行って来ましょう」といい、1人で無為軍に侵入した。そして、薛永はかつて槍棒を教えたことのある侯健が偶然にも黄文炳の家で働いているのを知り、仲間に引き入れた。また、侯健の情報をもとに梁山泊軍が黄文炳の家を襲ったときも、薛永は侯健、白勝とともに一足先に敵の家に侵入し、菜園に火をつけ、襲撃を助ける活躍をした(第41回)。こうして、梁山泊の好漢たちが見事黄文炳に復讐したあと、薛永は正式に梁山泊の一員となった。
梁山泊入山後の活躍
◆方臘討伐戦中に昱嶺関で戦死する
政和7年 7月ころ、入山直後の宋江が家族を梁山泊に呼び寄せるために単身故郷に向かう。宋江の身を心配した呉用らの命令で、薛永は李逵、陶宗旺たちとともに宋江のあとを追い、宋江の故郷で宋江を捕らえようとしていた役人たちをけちらした(第42回)。
政和8年 春、梁山泊で二度目の職務分担が決まり、薛永は陶宗旺とともに梁山泊の垣や櫓の築営管理者に任命された(第51回)。

冬、呼延灼率いる梁山泊討伐軍と戦う。一度目の戦いのあと、薛永は槍棒使いの薬屋に変装し、東京から凌振の家族を梁山泊に連れてきた(第56回)。また、二度目の戦いでは歩兵隊を率いた(第57回)。
宣和元年 冬、関勝の梁山泊入りが決まると、薛永は蒲東県へ行き、関勝の家族を梁山泊に連れ帰った(第64回)。
宣和3年 夏、童貫率いる朝廷軍と戦う。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、薛永は中央の陣の北門の一隊を率いた(第76回)。

11月、高俅率いる朝廷軍が大小の海鰍船数百隻で攻め寄せる。薛永は李忠らとともにあらかじめ敵船に紛れ込み、敵将・梅展を捕虜にした(第80回)。
宣和4年 3月、梁山泊が朝廷に帰順する。

4月ころ、遼国戦争が始まり、薛永は宋軍の副将として出征する。

檀州攻略後、宋軍は進軍する兵を二隊に分け、薛永は宋江麾下の軍に編入された(第84回)。

昌平県境での最終決戦。宋軍は九天玄女の法を用い、薛永は花栄らとともに敵の土星の陣に討ち入る一隊を率いた(第89回)。

田虎討伐戦始まる。
(宣和5年) 蓋州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、薛永は盧俊義麾下の軍に加わった(第93回)。

威勝城攻略戦。薛永は張清らとともに城内で暴れ、敵将や王族を討ち取るのに貢献した(第100回)。

王慶討伐戦始まる。

山南州攻略後、薛永は盧俊義麾下の軍に加わり、西京州へ向かった(第106回)。

荊南州攻略後、宋軍は南豊州へ進軍する。薛永は李応、柴進らとともに本隊の後から糧秣車や火砲の車両を護送した。この途中、敵に襲われた薛永らは見事にこれを撃退し、糧秣を本営に届けた(第108回)。

南豊州での最終決戦。梁山泊軍は九宮八卦の陣を敷き、薛永は中央の陣の北門の一隊を率いた(第109回)。
宣和5年 方臘討伐戦始まる。

宋軍が敵側の大商人・陳将士の屋敷を襲う。薛永は魯智深、李逵らと屋敷に討ち入って大暴れした(第111回)。

潤州城攻略戦。宋軍は陳将士の兵糧船を装って潤州城に侵入する作戦をとる。薛永は第一団の船に乗り敵城を襲った(第111回)。

潤州攻略後、宋軍は陸路の兵を二隊に分け、薛永は盧俊義麾下の軍に編入され、宣州、湖州へ向かった(第112回)。

湖州攻略後、盧俊義軍は兵を二隊に分け、薛永は呼延灼指揮下に徳清県へ向かった(第114回)。

杭州攻略後、宋軍は兵を二隊に分け、薛永は盧俊義軍に加わり歙州へ向かった。

歙州昱嶺関で戦死する。盧俊義軍が歙州の昱嶺関に近づいたとき、薛永は史進、石秀らと偵察に出かけたが、敵が関所の上から雨のように矢を浴びせかけたため、薛永ら偵察隊は全員戦死した(第118回)。
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 教団拡大のために凶悪な犯罪もいとわない《鬼神真教》の教祖・サヤ婆(鬼塚サヤ)の孫として生まれた鬼塚宏樹(主人公=私)は鬼塚一族の残酷な行為を嫌って一族の家から逃亡し、裏切り者として追われる身になる。その恐怖から彼は各地を転々として暮らすしかない。やがて彼は大都市のK市である女に出会い、一時的に幸福な暮らしを手に入れる。だが、そんなある日、大都市の町中でサヤ婆を狂信する磯崎夫妻の姿を見つける。そのときから、彼の恐怖の一日が始まる。恐るべき鬼塚一族の人々が次々と彼の行く手に出現する。…、そして、彼の逃亡がまた始まる。はたして、彼は逃げ切れるのか。鬼塚一族の魔の手を逃れ、自由な暮らしを手に入れられるのか。

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